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大好きなお父さんへ

今日は父の日。
悪い夢を見ているような気持ちで、ずっと信じられなかったのだけど。
1ヶ月近く経って、やっと気持ちの整理をしなくてはと少し思えたので、書き留めておきたい。

5月末、父が亡くなった。
大病を患い、2年ほど通院治療をしていたので、「青天の霹靂」というわけではなかったけれど、GWに帰省した際、「今度東京にも遊びに行くわ」と言われてから、ひと月も経たない出来事だった。

「病気が少し悪くなったので、また入院治療することになった」とGW明けに聞き、入院前日の電話では「また心配かけて悪いな。頑張ってくるわ」と言っていた父。

その翌日の入院当日に、病院で脳出血を起こして意識不明になり、翌日に息を引き取った。

夕方倒れた直後に連絡があったけど、県外に住む私は、PCR検査の陰性証明がなければ会えないと言われ、結果を当日中にメールでもらえる病院を必死で探した。翌日の朝イチで検査を受け、午後のフライトで帰省した。
あと2時間だったけど、最期には間に合わなかった。
全力は尽くしたので、残念だけど悔いはない。

きっと、最後は元気な自分のままの記憶を残しておいて欲しいと父が思ったのだと、今はそう自分に言い聞かせている。

寡黙だけど、家族思いで優しい父だった。
兄二人の末っ子一人娘、父には最高の愛情を注いでもらったと、自負している。
転勤族で仕事の忙しい父だったけど、小さい頃は必ず家族みんなで夕食を食べた。
単身赴任をした数年間も、毎週末必ず家に帰ってきて、週末は一緒に過ごした。
今自分が働きながら子育てするようになって改めて考えると、本当にすごいことだ。

週末は子供のスポーツの試合の応援に来て、会場の観客席一番上、人のまばらなところから、静かに、でもずーっと応援してくれる、そんな父だった。

どんな進路に進むか、進学の時も就職の時も、人生のあらゆる岐路で、「自分で思った道を進めばいい」と言って、何の意見もせず、ただ私の選択を信じて応援してくれた、大好きな父だった。

GWの帰省は、コロナ禍おさまらぬ中、東京から地方へということで、最後まで悩んだのだけど、1月に生まれた孫にどうしても会わせてあげたくて強行した。
特にプラスの感情に関しては、全く表に出さないタイプの父が、「かわいいなぁ〜」とこぼれるように言っていたから、一度でも抱っこしてもらうことができて本当によかった。

最後に帰省した時に父と交わした会話は、
「子育て大変だけど、頑張れよ」というような内容がほとんどだったと思う。
父が私の姿を最後に見たのは空港での見送り。
東京へ飛び立つ飛行機を見ながら、父はいったいどんな気持ちだったのだろう、と考える。
「自分の選んだ道を信じて精一杯頑張れよ」
父はこれまで一貫してわたしにそう伝え続けてくれたので、最後もきっとそんな気持ちだったのだと思う。

告別式に向かう日の朝、夫が運転して会場に向かう車のフロントガラスに小鳥が止まったらしい。
非科学的なことは信じないタイプの夫が、
「鳥と目があって、『頼むぞ』と言われた。あれはお父さんに違いない」と断言した。
それ以来、小鳥を見るとお父さんなんじゃないかと思っている。
意識するからなんだろうけど、それ以来やたらと小鳥を見る。今まで一度も来たことなかったはずなのに、毎週のように、うちのベランダにスズメがやってくる。

父は植物が好きだったが、特に鳥や動物が好きというわけでもなく、「なぜ鳥なんだろう」と少し疑問に思っていた。
そうしたら今朝目覚めた時、「東京に遊びに行く約束忘れてないからな」という父との最後のLINEを、ふと思い出した。
なるほど。東京にもいつでも飛んで来れるように、鳥になってくれたんだね。

今日は父の日。
お父さん、あと1ヶ月長生きしてくれたら、今年も父の日に感謝を直接伝えられたのに。
今年も、「ありがとう」を顔を見て伝えたかったよ。

だけど、これからも伝え続けます。
毎年、この日はいつも以上に、お父さんのことを思い出すからね。
わたしもお父さんのように、子育て頑張るから、見守っていてね。

大好きだよ。いつもありがとう。

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