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臨床心理学を専攻している大学院生が修論提出際になって精神科に入院する話

この日記について


 表題の通りだ。修論提出を目前とした12月に、幼少期の色々や貧困妄想?、Twitterで出会った怖いお姉さんとのトラブルなどなさまざまが重なり、諸々があり、寝られなくなった事が全ての始まりだったように感じる。「お前のデブ体型全国に晒してやるからな」という言葉で食事が喉を通らなくなるなどもあった。どんどんと起きられない日が増えてくる。金縛りが頻繁に起こる。修士論文は、研究は、バイトは、どうしよう、入院費、どこから捻出?もう色々考えることが多すぎて休めなかった。
 そして気がついたらチョメチョメ未遂をしていた。自分自身が臨床域になってしまったという悔しさや、失敗談(回復に向かうまでの紆余曲折も交えた)としてここに退院までの日記を残していこうと思う。
 勿論、遊び半分で入院を決めたわけでもなし、親の脛を齧りたかったわけでもない。現在では、入院することなく社会人として、主に教育・福祉領域で仕事を続けている。その傍らで、通院し、カウンセリング(むしろSV)を受けつつ、治療を継続している。
 もちろん、入院なんてしないで済むならそれに越したことはない。なので、眠れない、食べられない、不安が強いなどの症状が現れたら早めにメンタルクリニック、および心療内科の受診をお勧めします


入院に至る経緯


 12/11、メンタルクリニックを受診。チョメチョメ未遂を繰り返してしまったことを告げると、「外来では対応できません」と主治医に言われた。自分自身も、このままだと下宿先(数人が住んでいる)にも迷惑をかけると思っており、その意見には賛成した。
 
 しかし、母を頼るわけにも行けない、ましてや父の連絡先は私の端末上にない。背に腹は代えられない。現在の実家のある県の精神単科病院への紹介状を書いてもらったというところだ。

12/19 八方塞がりに自由はない


 いざ病院に行ってみると、
「じゃあ、来週外来で。」と言われるのであった。
母は、「それはできない。」と反論。
「お母さん、こういう時こそ、お子さんに寄り添ってあげてください。」
「それは無理です、私も仕事がありますから。」
 母とずっと一緒にいる方が調子が悪くなる。ぜひ入院させてほしい、と心の底から思った。病院に行くまでの間、私は咳止めシロップを飲みながらフラフラとしていた。
 副院長は、私の話を聞かず、”人間関係に難あり”とだけカルテに書いた。私はそういうことは言っていない。3回ほどチョメチョメ未遂をして死にきれなかったのに。クリニックでは外来では無理だと断られたからここまで来たのに。
最終的には保健所に掛け合って、その病院にお世話になる事が決まった。院長が話を聞いてくれて、今回は正式に入院となった。

 先日、母に、
「私が死ねば問題なかったんだよね。」
と言われて、私もガチギレしてしまって、気持ちを落ち着けるためにピースロイヤルを吸った。美味しかった。それを見た母はギャンギャン泣いていた。その日は、コデインとメイラックス、レキソタン2ミリ、デパス1ミリで眠りについた。

 病院に行く前に、エンディングノートを買った。死んだ後こうしてくださいと意思を表示するもの。ワイドショーで自分の顔写真は絶対に取り下げてくれと頼みまくる文を書いた。


荷物チェックと、ボディチェック


 荷物は半分ほどドナドナされていった。ピースは母に没収され、咳止めや外来で出された薬は全部没収された。カミソリももちろんダメ、長めのソックスのような長いものもダメ、スマホもだめ。同性の看護師に体のいたるところを触られ、危険物がないかをチェックされた。


12/20 依存性と刺激が強すぎて


 うーん眠れぬ、ってわけじゃないけど寝つきが浅い。早朝5:30に採血があったけど、「あ、はい、どーぞ」みたいにフツーに対応していた気がする。次に血圧と検温。これ何時だったかな。37.0度の微熱。よくあるやつです。血圧もマァ低め。空はまだ暗かったから6:00台かなァ。ようやっと眠たくなったので寝ました。そしたら7:30に朝ご飯が来たよ。パン一枚食べて、牛乳飲んでソーセージ。結構頑張って食べた方。それからふて寝してました。院長が来て目が覚めて、
「どうよ、無茶したい?」
<いやぁ、そんな元気今ないです。>
とか話していたかなァ。
 それからMo.と面会。また泣かれた。
「クリスマスもお正月もごめんね。」
ですってよ。自分を責めないでくれと伝えた。それが私にも伝染するから。
 その後は昼ごはん。結構量が多い。食べ終わった後、ゲフゲフとしているから今度からもう少し減らそう。あと、食堂の音が結構苦手。人の隣でご飯食べるのもキツい。個室で食べたいな…。なんとなーく、デパス酒とかマイスリー酒とかやってフラフラしたい気持ちが高まってきた。今日は院内の散策をするか、どうするか迷っている。エンディングノートを10ページ書いたら、大人のやりなおし数学をやれる場所を探してみる…。
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 ものに名前を書いていきます、何かの呪術みたいで怖いですね。お昼ご飯食べすぎて吐きそう。たくさん肌着を送ってくれました。なんせ私の肌着は至る所に穴が空いていましたので…。穴あきのアナーキーパンツしかなかったので…。たくさん支出させてしまったな、ごめんなさい。
 数学に着手して、ものすごい睡魔に襲われて、面会(本日二度目)まで寝てしまいました。何時間という感覚はないです。時計がないからなァ。
 このノート(大学ノートに書いていってます)に書くエネルギーはどこからくるのよ。わかんね。あぁ、間取りを書いてみた。それから、手紙をかかないとなァ。あ、トイレのスケッチとかしたらやばい人かな?いや、大丈夫だよね…?
 ピースが欲しいよ。常々から吸うわけではないけど、落ち着く。
 既に消灯後1時間。デパス1mg。さて、いつまで保つかな私の意識。
 その後デパス1mg追加。

部屋内の間取り、トイレのスケッチ(院内マップは流石に消しました)

12/21勇気とやる気

 実は二日目の夜、下宿宛に手紙を書いた。まだ詰所に持っていっていないけど。夜は痒み、寝る前の幻聴(主に知人の話し声に似ている)とか、嫌なことを思い出したり、ライターズハイになってエンディングノートを書き上げたり、大人のやりなおし数学も30ページほどやってしまうという阿呆なことをした。あとはレトロと生きる廃墟が楽しくてつい、スケッチした。
 消灯は21:00だが23:00になっても寝付けない。なのでデパスを合計2mg飲んだら朝までぐっすり…な気がする。けどお昼寝の方が質が良い。
 今血圧が102、40で久々の100超え。
 今日はお風呂の日だけど入る気しない、キツい。昨日みたいなイライラはないけど、今はぼーっとしていた、けど数学をしないとなァ、という義務感があり。
 今日は歩かねば。館内マップがわからないから。OTには行きたい。服も着替えて元気があればね。まだここのことをよくわかっていないし、人と喋れないし、それが意味のない文字となって、独り言が咲く。
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 今日はお風呂の日で、カラスの行水だけど、ちゃんと1人で洗った。えらいかもしれないヨ。背中に塗る薬はできるところまで塗った。髪も乾かしたし。するとね、だるいんですよ。今日はテンションが低め。でも便所は見つけ次第入った。レトロな便所がたまらないから。
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 勇気とアウトプットしたい欲から、OT室を訪ね、モネの模写をしてみた。不透明法でどこまであの爽やかさ出せるのかなァ…。実はリベンジなんだ、中三の頃描いていて、なんか違うなとなった。あの頃は油絵を水彩で描くような阿呆をしていたから。
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 PSW(精神保健福祉士)の方とお会いできた、そして切手を買ったり、館内ツアー(自分でするのだけど)まで数学氏と闘おう。


模写はなんのトレーニングだ?
 よく「美術部?」と聞かれるが、そうではない。むしろ2を取ったこともある。理由は簡単で、画題の好き嫌いがはっきりしていたからである。嫌な版画は板木をぶち破る。小学生の頃は真面目にやっていたが、中学に上がってからどうも授業に集中できる環境ではなかったからだ。モネの傘をさす女の絵を描きながら、彼の筆跡を感じ取りトレースする。もちろん足りない色もある、似てない。そんな時は彼の目を感じよう。この絵は女性を通して光と風を描いているのだと。
 あと、絵の具について学んだこと、アクリル、ポスカ、水彩の緑は固まりやすい。後半戦は草の揺れと光と風、絵に魂を吹き込め…!
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 15:00から再びOT室へ。16:20頃、モネ(?)完成。OT室で乾かすことにしました。16:45帰室、17:00夜の薬。一気にどかっとタスクを背負い込んでしまった。こうやって少しずつ作業できないから今回みたいな入院になったのだ、反省しろ、自分。しばらくうたた寝をする。
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 爆睡した。18:00、夕食まで寝ていたみたい。食べ終わったこともうろ覚え。それから20時までうたた寝。やはりうたた寝の方が睡眠の質が高い。気持ちがいい、というのも寝つきまでの時間が短いからだと思うのだ。あと30分で消灯だけど二度寝できるのかしら?!
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 今日も今日とて寝付けず、22:00に追いデパスをしたのだけど眠れない。深夜作業でもするか、詰所の灯が差し込む部屋なので蛍雪、学習などはできる。



続きます。


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