優しさに気付ける、優しさ。
優しい人が好きなんですよね。
特に、優しさに気づける優しさを持っている人が。
世の中には優しい人が沢山います。
「優しさ」とは何かと言われると難しいです。
優しさというのは、様々なかたちになって表れますから。
寄り添う姿勢を持っていたり、誰かを否定せず受け入れたり、耳を傾けたり、時には叱ったり、叱るだけの勇気を持っていたり。
何を持って優しいとするかは人それぞれですし、きっと大事なのは自分なりに優しくあろうとするその姿勢でしょう。
その中でも僕は、”気付く”優しさを持っている人に惹かれます。
誰かが思い遣りを込めて発した言葉の、背景を。
その行間を、文脈を想像して、共感して、動こうとする人が。
そういう優しさを持った人が、大好きです。
気付くことも優しさ、そして気付けない事への恐れ
その優しさに気付けるということは、その人がその優しさの意味や意図を汲めるということであり、すなわちその人にも同じ類の優しさがあるということ。
ここで大事なのはその優しさの大小、強弱ではなく、その種のようなものがあるということだと思います。
何より怖いのが、その視えづらい優しさに気付かないということ。
世の中や日常に溢れる優しさ、つまり配慮や思い遣りに気付けないということは、誰かの行為をただ享受しているだけだから。その恩恵にあやかっているだけだから。
例えば、ミーティング中に関係のない話をしてしまっている。
「関係のない話は止めようぜ」とズバッと切り込むのは雰囲気を損ねるかもしれないので、「何の話からこうなったっけ」と誰も傷つけず、自然と元の話の流れに戻す、とても優しい行為です。
この優しさに気付かないとその人はただ忘れっぽい人だったり、脱線した話に乗っかっている人になりかねません。
でも、間違いなくその人は話を元に戻したし、雰囲気を損ねる事なくミーティングを前進させる事をやってのけたのです。
そうです、本当の優しさというのは視えづらいことの方が多いのです。
そして、その優しさに気付けないということは、誰かの配慮や思い遣りに気付かないということであり、つまり「自分だけの力でやっている」という慢心になりかねないのです。
そういった歪みは、組織でいうと、評価に表れてくるでしょう。
視えづらい優しさで組織を前進させている人は評価され辛く、人事制度や昇進に歪みとして表れ、組織の衰退を招くことになるかも知れません。
たとえそれが小さな歪みでも、時間が経てば経つ程その歪みは大きくなり、「この組織は誰かの優しさで成り立っていた」と気づいた時にはもう遅いかも知れない。
そういった優しさが評価されないという事は長期的な目線において組織にとってマイナスに働くでしょう。
ちゃんと、優しくありたい
そういう、誰かの配慮や思い遣りの恩恵を受け続け、勘違いと慢心で満足する自分にはなりたくないんですよね。
常に想像力と共感力、そして感謝の心を持って日々生きていきたいんですよね。
ただ、自分だけが優しいのではなくて。
誰かの”あえて気付かせない”にもちゃんと気付いてあげれる。
それに、ちゃんと、感謝できる。
そういう人でありたいんですよね。
ちゃんと注意して生きれば、日々の誰かの優しさを見落とさないだろうから。
その姿勢は必ず組織を、社会を、そして自分の人生を豊かにしてくれるだろうから。
自戒を込めて。
おわり
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