一度去りし党員の伝言(前編) 著者:レキシ

 題名はそれっぽいが、決して中央民主党から離党するわけではない。今から、空国に入る前、中央民主党に入党した時から、自由国民党として分立するまでの間の話をしようと思う。文章だけ、かつ、駄文であるが、許してほしい。出来る限り暴露していこうと思うが、私は、人のことをー特にお世話になった人のことをー悪く言うのは好きではないので、限界があるかもしれないが許してほしいし、悪く言うかもしれないが、悪く言ったからと言って、その人のことを悪く思わないでほしい。僕はそうなることを望んでいないので、お願いしたい。

 実はーそれが珍しいのか珍しくないかは分からないが、ー僕は空想国会に入る前に、中央民主党に入党した。きっかけ、というか直接的なものなのだが、すねごん君が勧誘してくれたので、入ることにした。

 彼は空国内、中民内でも悪く書かれている。確かに彼には大きな問題があったし、表に出たもの・出ていないものでも沢山あったが、組織運動局長時代の彼は、とても党のために頑張っていたのだろうと思う。まあ、誰にでも普通に勧誘できるという点は戸別訪問につながると言われれば言い返せないが、少なくともただ党に迷惑をかけただけの人ではないことを頭に入れておいてほしい。おそらく彼が誘った人は大体、二度の分立で去っていったが、それは結果論としか言いようがないと言っておく。

 それはさておき、すねごん君の勧誘で入党した僕は、村上太郎代表の中央民主党に入った。村上さんには大きな問題があった。これは誰もが認める事実だ。しかし、あえて言うが、その時の中民が一番楽しかった。これまでを通して、だ。その時与党ということもあったし、責任のない立場だったということもあるかもしれない。しかし、その当時の中民がそれこそ、本当に真ん中で、右派が少し強かったとはいえ、中道左派の人たちもしっかり影響力があってという感じであった。それに当時は挙国一致であったとはいえ、中央民主党と進歩保守党が大きな力を持って影響力があったという感じで本当に楽しかった。そこから僕は中民と進歩の協力体制。これに凄い憧れ、希望を感じた。そしてそれに向けて行動していくようになる。

 さて、そこで八田さんが帰って来た(私にとっては初めましてだった)。八田さん復帰後の衆院補選で、私と八田さんは立候補し、初当選する。分立の際のイメージで、バチバチのイメージを持たれているかもしれないが、私と八田さんは当選同期で、そこまでわだかまりも無かった。その点については言及しておこうと思う。

 そうこうしているうちに代表選が行われた。現代表(当時)の村上さんと復活したばかりの八田さんだった。私はすねごん君への恩と、すねごん君からの八田さんに関する悪評と、政策の近さから村上さんを応援し、すねごん君とデビッド・アルマイアさんと一緒に推薦人になることにした。前にわだかまりはないとは言ったが、すねごん君からの悪評の束から、僕は八田さんに関していいイメージは持っていなかった。今思えば、それは誤りだったかもしれないが。

 こうして選挙戦が始まった。私は、というか、村上さんも私含めた村上選対も、敗北の2文字は存在しなかった。必死に選挙活動をしたが、はっきり言って勝つと思っていた。だから、実は選挙前にはすでに勝利後の人事案は作られていた。今思えば、というか普通に考えればどう考えてもおかしいことをしていたが、それほど我々は余裕を感じていた。しかし、村上さんは、我々は敗北した。八田さんたちに負けたのである。

後編(or中編)に続く。


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