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"エスパー"をさせない

"エスパー" とは

たまに冗談交じりで「それだけじゃエスパーではないので意図を汲み取れないです」というような言い回しを使うときがある。
これはどういうことかというと、発言中の情報量からでは真意が汲み取れないので相手の心を読めるエスパー能力でもないと真意をキャッチするのは難しい、という旨の話である

ただ "心を読むエスパー能力" に見えてしまうようなことができる瞬間がある、それは聞き手が経験に裏付けされた "予想" があり、それが当たるときがある。そうすると、少ない情報量でも、相手の伝えたいことを推測し、それをもとに喋ることができる。そのため、あたかもエスパー能力かのように話を汲み取れるのは、聞き手の "高い推察能力" によるものなのである。

この "高い推察能力"  すなわち "エスパー" は、推察なのであたっているときは大変有用に働く。喋り手側は言葉が不足している状態でも、聞き手側がよしなに理解し、喋り手のメッセージを受け取ってくれる。ただ、同時に推察なので外れる瞬間もある。

この "エスパー"だが、見方によっては喋り手と聞き手という関係性の中では聞き手の労力の比重のほうが高いといえる。なぜなら、喋り手が聞き手のことを理解していれば、聞き手の理解しやすい言葉や話の流れを作る事ができるはずなのに、そこに対して何も追加で労力を捻出していない。逆に聞き手側はそのまま額面通り言っていることが理解できないので、言葉で交わされる情報以外のものをベースに言いたかった本当のことを考えるという追加の労力が発生している。

また、"エスパー" も一つ間違うと、ただの深読みになってしまう。ここでいう深読みは辞書などに登場する意味のままのとおりなので、以下のようなことである

文章の意味を、必要以上に深く読みとること。物事の表面にあらわれない事情などを、必要以上に感じ取ること。うがち過ぎること。

深読(ふかよみ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E6%B7%B1%E8%AA%AD-2079264

深読みが発生し、必要以上に推察してしまい、過剰なアクションを起こしてしまうケースなどがある。また、深読みの結果、喋り手が期待したこととは違う話に帰着してしまったらそこから話がよくわからなくなっていく。"聞き手"としてはよかれとおもって行ったエスパー行為が、"喋り手"からするとお願いしたこととは全然違う答えがかえってきた、となりかねない。

話を円滑に回すうえで適切な推察であれば問題はない。ただ、ここで言う"エスパー" はあたかも超能力に見えるぐらい喋り手側の言葉足らずの状況の話なので、なるべく起こすべきではない。ではどうやったら起こせなくできるのか、それは簡単である。 喋り手がなるべく的確な言葉を選ぶということだ。

的確に言葉を伝える

"エスパー" が発生してしまうのは、喋り手がうまく伝わりやすい言葉を選べていないときに発生する、そのため喋り手がすこしばかり話し手の理解しやすい言葉を選ぶだけでもだいぶ解消する。

また、もしなにか依頼をする場合であれば、ストレートに依頼の内容を伝えるということも不要な推察を挟む必要がなくなる。オブラートの包み方を間違えて依頼の意図が見えなくなるケースなどがこれにあたるので、包み方を変えるだけでも変わる。このあたりは過去自分が書いたブログ記事が参考になるので、参考まで。


片方に労力がかかってしまう "エスパー" する状況をつくらない

"エスパー" は相互が理解できるように歩み寄れば基本は発生しない。そのため喋り手は"聞き手にスムーズに伝わるようにしたらどうしたらいいか" を考え、聞き手は "喋り手が伝えたいことはどういうことか" を考えてお互いがなるべく均等な労力になるように心がけることが肝要かなと思っています。

加えて、"エスパー" に頼りすぎていると、聞き手の予測能力だけが強化されていき、喋り手のうまく伝える力が劣化していくので、長期目線で考えても力量に非対称性ができるので、なるべく減らす努力をしたほうがいいかと思います。

歩み寄り方に関しては別noteに書いたので参考まで


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