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相互理解と歩み寄り



「ねぇ、なんか最近面白いこととかなかったの?」
「あるにはありましたけど、アニメの話なんで、先輩そういうの好きじゃないですよね?」
「話してみてよ、わからないなりに聞いてみるし、わかるように伝えてみてよ」


私が新卒2年目ぐらいのときに、ランチでなされた会話である。このあと私にとっては "普段ドラマしか見ない先輩にその時の旬のアニメの話をする" という地獄のような時間が発生したが、今振り返るとおおよそ相互理解に必要なエッセンスを秘めている気がしています。

知らないことを知る、相互理解のためのエッセンス

おおよそエッセンスを言語化すると3つある。

  1. 自身の知識を全然知らない人に噛み砕いて説明するには、相手を知り、相手に合わせる必要がある

  2. 知らない分野を理解するためには、聞き手側も話し手側とうまく意思疎通を図るスキルが要る

  3. "知らないことを知る"のと”知らない人に教える”というのはお互いの協力があって成立する

自身の知識を全然知らない人に噛み砕いて説明するには、相手を知り、相手に合わせる必要がある

自分の知識を知らない人に話すときには、伝えたい分野の知識レベルがどれくらいかによって話の仕方が変わる。

もしベースの知識があるのであれば差分を埋めていく作業をすればいい。

しかしながらベースが存在しない、相手側に知識が全く存在しないような話の場合はなかなかに難しい。ゼロから説明するときりがないし、会話の時間もとてつもなくかかる。

その場合に登場するのが"例え話"である。自分の話したいことを抽象化して、似たような概念にかぶせて喋る。例え話なので完全には伝えることができないが、60%や70%ぐらいのだいたいが伝わればいいようなときは使えるのが例え話である。

ただし例え話にも難点がある。例えるもの自体を知らないと例え話は成立しない。極端な例で行くと「そんなことを言っていたらオオカミ少年のようになってしまいますよ」という話は、"オオカミ少年"という寓話を知っていないと成立しない。本来は理解する時間を圧縮するために例え話をしたかったのに、更にオオカミ少年の話をする羽目になってしまう。

そのため「この相手にはこの例え話は通じるだろうか?」という相手を知るという行為が重要になってくる。相手がどういうバックグラウンドで、普段はどうやって生活しているかというところも関係してくる。

"理解できる例え話が出せるか"は一例であり、もっと引いた目線で考えると相手がどういう人で、どういう言葉を選ぶと理解できるかを考えながら話すということが、相手に伝えるというところが比重の高い要素となってくると思う。

知らない分野を理解するためには、聞き手側も話し手側とうまく意思疎通を図るスキルが要る

知らない話を聞くときは、何がわからないかを言語化するスキルと、それをうまく確認するスキルが重要となってくる。

伝える側は相手のことを考えて一生懸命言葉を選ぶが、それであっても飲み込めない話というのはたくさんでてくる。その場合に相手の助けになるのが "どの部分がわからないか" を話すことだと思っている。

「◯◯という言葉の意味がわからない」「今の話の△△ってなった流れがよくわからない」「まったくもって言っていることがわからないのでもっと平易な言葉で置き換えて喋ってほしい」などなど、相手にどうすると理解できるかの助け舟を出すと相手もそれに合わせてカスタマイズできる。

また、理解のズレがないかを確認するのも大事になってくる。"相手がいったことを聞き手側の解釈で話してあっているか聞く"というような"確認のためのオウム返し”もズレの確認には有効になる。

このように、伝えようとしている立場の人に、自分の理解度を伝えて、どのような話の切り返しをすると理解度があがるかを伝えてあげる "話のアシスト” をすると格段に話の理解度が増すと思っている。

"知らないことを知る"のと”知らない人に教える”というのはお互いの協力があって成立する

知っていることを説明するために話す側、知らないことを知るために聞こうとする側、この二者の間でどちらか一方通行だと話は成立しにくい。お互いが歩み寄ることで理解にスピードは抜群にあがる。

例えば説明の言葉ひとつとっても、"一方にしかわからない言葉は極力さける" , "必要な固有名詞の説明は最低限にする" , "新しい理解で頭がいっぱいなので、日本語の言い回しとして難しいものは避ける”  など歩み寄り方は様々ある。

また、どうしても聞こうとする側が受け身の位置になるので、無意識に歩み寄りが足らなくなるシーンがある。ただただ聞くだけで、上記で紹介したような話し手側が "話のアシスト" ができていないということはあるので、常に意識しておくといいのかもしれないと思っている。

「そんなこと言われなくても歩み寄っているよ」と思っている人はぜひ普段誰かにものを教えるときのことを思い出してほしい。こんな記事を書いている私ですら満足にできているとは言い難いので、おそらく多かれ少なかれ改善できるポイントはあると思っている。


お互いに理解をしたい、させたいときはどちらか片方が頑張るのではなく、双方ができる限りの歩み寄りをすることが肝要だと個人的には思っています。

なぜかというと、この歩み寄る意識が失われると、「こいつは理解力が低いから私が頑張って説明しないといけない」「あいつは喋るのが下手くそだから俺が頑張って理解してあげないといけない」というような "なんか自分自身がなんとかしてやんないといけない" というようなことが無意識化に生じて変な断絶を生んだりするのではないかと考えているからです。

冒頭の話に関しても若干先輩はアニメのことに興味がないから喋るのは無意味というような先入観があったりなど、無意識に拒絶をしていたところがあったのでそのような感覚は断絶を生むのだよなと改めて思いました。

変な意識を産まないためにも、お互いに歩み寄る、ということを頭に入れておくのが大事なのかなと思っています。

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