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僕たちは「おたがいさま」で生きている  新見正則


大切なひとの葬儀

今朝の僕はちょっと目が腫れてしまいました。昨晩の24時(イギリス時間の16時)、英国で行われた葬儀にオンラインで参列しました。1993年から5年間、僕がオックスフォード大学大学院博士課程に留学した当時、たいへんにお世話になった方が9月2日に亡くなり、その葬儀が行われたのです。

僕は22年前のことを鮮やかに覚えています

故人はイギリス人で奥様は日本人、そして2人の男の子がいました。子どもたちは帰国後もわが家にも遊びに来てくれました。大学病院や医学部に見学に一緒に連れて行ったことがつい昨日のようです。長男さんはその後、ケンブリッジ大学の医学部に進み、今は日本で医師として活躍しています。次男さんの方は英国に住んでいます。葬儀には長男さんはネットで参加し、お父様の思い出を語っていました。

葬儀もオンラインで参加できるようになったのだと妙に感慨深い時間を過ごしました。画面を通して奥様、長男さん、そして次男さんと久しぶりにお会いすると、本当に月日が経過するのは早いと思ってしまいます。なにしろ帰国後、22年ですからね。

オンラインでも葬儀に参列したい

コロナショックでいろいろなものが変わりました。会議はzoomなどを使用したオンラインに、授業も対面授業からオンライン授業になりました。多くの人が反対し、または多くの人ができないと思っていたことが、一気に進みました。そして、医師の診療もオンラインが即座に認められました。つべこべ言う前にともかくやってみればできるのだと確信します。そして、葬儀もオンラインでした。これは僕も初めての経験でした。

もちろん現地に伺って、故人に最期のお別れをして、遺されたご家族とお話することは大切です。でもそれがどうしても叶わないとき、オンラインは本当にありがたいのです。オンラインでも葬儀に参列できて本当によかったと思います。

奥様から送られてきたIDとパスワードでログインすると、定点カメラが教会の内部のライブ映像を映しだします。フル画面にすると僕の10インチちょっとのラップトップコンピューターでも十分臨場感溢れる雰囲気です。

あのときのやさしさ、一生忘れません

オックスフォードでの5年間は、僕にとってつらく、苦しい時代でした。移植免疫学という相当奥が深く、いまでも解明されていない領域が多い世界に、ゼロから飛び込んでしまったからです。1989年、本邦初の生体肝移植が島根医大で行われたニュースに影響され、つい移植免疫学を選考科目に選択したのです。30歳過ぎて無謀な挑戦そのものでしたが、たくさんの方に助けられ、なんとか学位を取得できました。そんなお世話になった方のひとりが9月2日に突然亡くなられたのです。

苦しいときの恩人はかけがえのない存在

人はつらいとき、誰かに助けてもらわなければならないことがあります。僕は家内と一緒に留学できましたので、まだ恵まれていました。帰宅すれば家内が手に入る食材で精一杯に作ってくれた日本風の料理がありました。一緒に会話をするとつらいことも軽くなります。当時、数少ない現地の日本人の方々やそのご家庭にたくさん助けてもらいました。なかでも故人の奥様には本当にお世話になったのです。

自分が受けた温かさを、誰かにそっと返したい

人は他人に助けられて、そして他人を助けて、「おたがいさま」という感謝の気持ちがうまれます。そんな気持ちがあるからこそ、生きていけるのだと思っています。「人に迷惑をかけるな!」と建前論を振りかざす人がいますが、僕は「ある程度人には迷惑を掛けてもいいんだ」と思っています。そして、自分が人様に迷惑をかけて生きていることを理解すると、人様が自分にかける迷惑も自然と許せるようになるのです。

そんな話を昨年末、塩野七生さんと対談しました。興味がある方はご覧ください。

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