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優しいうそ  新見正則

母を慕いて

最近、10年前に他界した母のことを妙に思い出します。母は古賀政男が作詞作曲した「影を慕いて」が好きでした。僕の脳裏も突然に「影を慕いて」のセリフや旋律が蘇ることがあります。なんだか「母を慕いて」といったイメージですね。

 黙って見守ってくれて、ありがとうございました

母は認知症になる前にポロッと「まさのりの子どもの頃のどもりは本当に心配だった」と語ったことがあります。それまでは何一つそんなことは口にしない母でした。凛とした母でした。僕たち夫婦に子どもが何年もできないとき、一切「子どもはまだかね・・・」とか言いませんでした。思慮が足らない母の知人たちは、僕たちこそが子宝に恵まれたいのに「お母さんのためにも早くお子さんを!」などと僕たちに急かしていました。

 吃音と発達障害と

そんな思慮深い母でした。僕は子どもの頃には発達障害(最近は神経発達症と称します)の、特にADHDの多くの項目に該当していました。ところが、母や周囲の環境のお陰で、社会生活をそれほど不自由なく(でも僕自身は相当苦しみましたよ)過ごすことができました。社会が寛容であれば障害は特性の域を出ません。吃音は社会人になるまで治りませんでした。

吃音を隠すことを諦めてから、何故か自然と吃音は影を潜めました。僕の頭の中の構造が今でも不思議でなりません。

ランドセルが買えないから小学校は1年遅れて

僕は幼稚園には行っていません。母は、「お金がなかったから幼稚園にはやらなかった」といつも語っていました。そして父と母で「ランドセルが買えなかったから、小学校への入学を1年遅らせようかと思っていた」と語っていました。そんな会話を聞いていると、吃音があって、発達障害傾向が強い僕でしたが、妙に学校に行きたくて仕方ありませんでした。

 母の優しいうそ

最近になって思うことは、もしかしたら、幼稚園に行けなかったとか、ランドセルが買えなかったとかは実は子どもに対する上手な説明で、実はそんな組織で上手く過ごせない幼少期の僕のことを気遣って、実は思慮深く発言していたのではないかと思うようになりました。

 だってうちは貧乏なんだから。

母に、「まさのり、どもりがあっても、学校にいきなさい!」と叱責されていれば、たぶん不登校になっていたと思います。ところが、行かなくてもいいような雰囲気を醸し出されると、子どもとしては、どもりがあっても実は学校で友だちと遊びたくなるのです。貧乏を理由に、上手に登校を無理強いしなかった発達障害傾向のある子どもに対する絶妙な作戦に思えるのです。

 今ならわかる、親のありがたさ

「かーちゃんになにかあったら、僕はどうすればいいの?」と小学生の頃尋ねると、母は「寺にいきなさい!」といつも言っていました。その寺には父親の仕事が上手く行くようになって、お金が入るとたくさんのお布施をしていました。そんな寺に幼稚園代やランドセル代を借りることはできたはずです。でも、敢えて、「貧乏だから幼稚園も学校もいかなくていい」と言って、僕を守ってくれていたように思えるのです。

 僕なりの子育て、母と話したかった

そんな子育ての秘話も知りたかったのですが、母は認知症を患い、凛とした母が一番恐れていたボケ老人として最期を迎えました。でも亡くなった晩も、孫(僕たちの一人娘)と愛犬に添い寝してもらっていました。羨ましいですね。高齢者の仲間入りをしても、未だにマザコンが抜けない僕ですが、たぶんこのマザコンを背負って僕も母の元にいずれ旅立つと思っています。

 僕の子育ての秘話は「しあわせの見つけ方 予測不能な時代を生きる愛しき娘に贈る32通」(新興医学出版社)も是非、御一読ください。

 


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