今こそ、クリティカル・シンキング 新見正則
2つの両極で頭の体操をしよう
「がんになったら医者に行くな!」という論調があります。そんなひとは、むしろがんは放置した方が長生きすると訴えます。
一方で「標準治療が最良だ!」という一見当たり前と思える論調で迎え撃つ腫瘍内科医がいます。標準治療とは明らかなエビデンスのある治療を積み上げたもので、これこそがもっとも信頼に足る治療だと訴えます。
明らかなエビデンスというのは、1,000例規模の大規模臨床試験を勝ち抜いた治療です。大規模臨床試験では、ある治療を行った群と行わない群をくじ引きで割り付けます。くじ引きを使うのは、個人の主観が入らないようにするためです。ひとは誰でも自分が選んだ治療をすばらしいと思いたいのです。ですから、くじ引きを利用してそんな思い入れを排除することが、フェアには論じるために必要です。
利益と不利益のバランス
がんに選ばれる治療は、大きく外科治療、化学療法、放射線療法の3つです。どれも少なからず副作用や不利益があります。その副作用や不利益で亡くなることもあれば、せっかく伸びた余命を副作用で苦しみながら終えることになってしまう人もいます。つまり、その治療による副作用や不利益を織り込んでも御利益が多いときにこそ、その治療が選択されるべきなのです。
みかたによって正解は変わる
僕には両方の意見とも間違っていないように思えます。状況によってはどちらも正しいという意味です。標準治療がいくらすばらしくても、それを扱う医師の能力が劣れば、その治療で命を落とすこともあるでしょう。そうであれば、がんは放置した方が結果的には長生きとなります。
環境によって正解は変わる
そして標準治療がすばらしいと訴える医師自身も、標準治療を行えるレベルの腫瘍内科医は日本ではものすごく不足していると語っています。国内の腫瘍内科医の数はアメリカの10分の1と指摘するひともいます。そうであれば、標準治療を行えるレベルの腫瘍内科に出会えない、あるいはその確立が少ないのであれば、がんは放置した方がやっぱり長生きとなるように思えます。
環境は常に変わる。正解も変わる
放射線治療医も数が不足しているそうです。外科医は、昔は希望者がたくさんいましたが、今は希望する医師が激減しています。明らかなエビデンスがあるということは、整った環境で治療を施されたときに、統計的有意差を持って御利益が多かったということです。その整った環境に及ばないときは、やっぱりがんは放置した方が長生きとなりかねません。
少数派の意見が間違っているわけじゃない
つまり、両方の意見は相容れないようであって、実は今の日本の現状をつまびらかにしているように思えます。両極端な意見に対して、いつもそんな立ち位置で物事を捉えるようにしています。僕は何か発言するとき、できるだけ少数の意見を応援するようにしています。自分が多数派を実は支持していても、少数派を応援したくなるのです。いろいろな意見が言えて、それをみんなで考えて、そして極端な意見も鑑みて、納得できる解を探すことが僕は好きです。
マスクがNO? おしゃべりがNO?
新型コロナウイルス対策には、何が正解なのでしょうか? まだわかりません。みんなで智慧を出し合って考えることが必要です。マスクは本当に必要なのでしょうか。しゃべることが新型コロナウイルス肺炎の増加に拍車をかけるのなら、そしてそのためにマスクをしているのなら、しゃべらなければマスクは不要です。むしろ、レストランでマスクを外しておしゃべりをするのであれば、それも禁止しないとアンフェアです。
コロナ対策に本当に必要なことは、何だ?
僕は「4分の1インチのドリルを探している人が本当に欲しいものは4分の1インチの穴」というフレーズが気に入っています。マスクをする目的が飛沫感染を最小限に抑えることなら、会話を禁止すればいいのです。マスクをすることは「4分の1インチのドリル探し」のように思います。同調圧力は僕は大嫌いです。正しい解を探す努力が必要なのです。新型コロナウイルス肺炎対策にとっての「4分の1インチの穴」はどこにあるのでしょう。そんなことを思う今日この頃です。
新見先生のトークイベント、忘年会だよ
今晩21時は、YouTubeもあるよ!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?