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「患者さんのために」は正しいか?  新見正則

学ぶ立場で給料なんて出ませんよ

僕が医師になった頃は無給の研修医でした。
朝の6時頃から深夜まで働き、そして週に何日かは病院に泊まっていました。
当時は給料はでません。当然残業代も出ません。
学ぶ立場の研修医でしたから。
でも、献身的に働き、自分が医師として一人前になっていくだけで
気持ちは高まってやりがいのある日々でした。

医師として働ける満足感

そして、病院と雇用契約を結んで働くようになってからも、
残業代を付けたことはほとんどありませんでした。
深夜の緊急手術も、祝祭日の病棟回診も無給の奉仕で行っていました。
それでもなんとか生きていけたので、特段不満もありませんでした。
むしろ幸せな時代でした。

医師にも人間らしい生活を!

献身的な働き方を強制することはできない世の中になりました。
研修医もしっかりお給料をもらって残業もカウントされるようになりました。
働き方改革は確かに医療関係者に人間らしい生活を与える力になっています。
やっと医療の構造改革が始まったといった印象です。

僕は少し疑問を感じています

最近は「献身的に尽くすことは美談か?」と思うようになりました。
年を取ったからかもしれません。
僕達の世代が献身的に働いたからその献身的な奉公の姿勢に
世の中が甘えるようになったのだ。
医療の構造改革が長く行われなかった理由になっていたのだ、と思います。

ブラックな状態はみんなの努力で変えられる

「ブラック企業に勤め続ける人がいるからブラック企業が変わらない」とビジネスクールで自戒の意味を込めて教えています。
ブラック企業とわかったら辞めればいいのです。
みんなが辞めれば会社や組織は回らなくなり、生き抜くために変革が起こります。
でも多くの人が辞めなければ、その会社や組織はブラックのまま変わりません。

命にかかわるという理由で

「そんなことをすると人が死ぬから」とか「今行かないと命にかかわるから」といった理由で、苦しい生活を続けてきました。
自分がそれでいいから、そんな献身的な働き方は正しいと思っていました。
でも違うのです。
永続的に誰もが働ける環境を作る必要があったのです。
そんな努力を僕は怠ってきたと思う今日この頃です。

年収は減りますよ。イヤなら開業すればいいじゃん

働き方改革が実行され機能すると、人手不足の部分は人を増やして補うことになります。
そうすると決められた国の医療費を分けるのですから、各人の給与は減ることになるでしょう。
でもそれでいいのです。
大切なことは、年収ではなくて、時給だと思っています。
時給を維持して、そこそこの年収で生きればよい。その覚悟が必要なのです。

それが不本意な人は、自分で起業するなり、開業すればいいでしょう。

献身的なことが善とは限らない

一方で献身的な努力は一方的なこともあります。
受け取る側には献身的には受け取れないことがあるということです。
献身的な努力は、押しつけになるとお互いが不幸です。
僕は、自分が正しい治療と思っていても、
先方がほかの治療を望むなら、それでいいと思います。
それで命が短くなろうと、命を失おうとそれでいいのです。

今の医療の常識、今の医療のエビデンスとは異なっていても、
本人が強く望むなら、それでいいでしょう。

もし、本人の希望することがどうしてもできないなら
できる施設を紹介することも大切です。
面倒な患者さんとはいかに上手に距離を保つかも大切と思っています。
患者さんに嫌われる勇気も必要です。

自分の命と他人の命は同じじゃない

僕は人の命は地球より重いと思っていました。
今はそんなことは思いません。
人それぞれが天から与えられた命。
その与えられた命をどう扱うかは本人の判断でいいのだと思うのです。

僕が願うことは、自分の命は自分のもので結構ですが、
他人の命まで巻き添えにすることだけは許せません。
他人の命は地球より重いのです。



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