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スミソニアン自然史博物館(2)ストーリーで知る「愛でるジュエリー」の楽しみ方

前の記事でエメラルドの歴史的なジュエリーのことを書きましたが、今回もジュエリーの背景を語ります。ジュエリーの数だけストーリーがある…、さぁ行きましょう!

とても華やかなブルーサファイアのジュエリー、中でも一番右のサファイアの大きさに目が行きます。こちらは、

Logan Sapphire

422.98ct!のクッションミックスカットされた、卵くらいの大きさ(縦が約5センチ)のサファイアです。これは、ファセットに研磨されたサファイアの中で世界第2位の大きさだそうです。かすかに紫がかった青色のスリランカ産です。私は内戦の前後約8年ほどスリランカに住んでいたので、スリランカのサファイアに会うと親しみが湧きます。いや、この大きさのサファイアに親しみと申すには畏れ多いですが😅

こちらのサファイアは、スリランカサファイアの特徴的なインクルージョン、シルク(鉱物シルク)が確認できます。このインクルージョンが確認できるということから非加熱。紫外線のテストではオレンジ色に蛍光します。これは微量のクロムが含まれているからで、そのクロムのおかげで紫がかった青色になっています。

このブローチの所有者のMs. Rebecca Polly Pollard Loganは、1952年に当時のご主人Mr. Guggenhelmからサプライズギフトとして贈られました。まさに驚きのプレゼントですよね!でも、Mr.Guggenhelmは浮気性で、Pollyが入院中に愛人と食事をし、その後亡くなりました。その一年後の1960年、Pollyは博物館にこのサファイアを寄贈することに同意します。1962年、PollyはMr. Logan と結婚。1971年にサファイアを博物館へ寄贈しました。その為、このサファイアの名前はLogan Sapphireと次のご主人の苗字になっています…なんとも皮肉な?😅

彼女が寄贈しようと思った理由のひとつに、「これを身につける度に浮気性の前夫を思い出していた」でも寄贈を決めて手放すまでに時間がかかったのは、「誰もがこのサファイアを所有する時に感じる気分の良さと幸せの為」と語っています。確かにこのような魅力的なサファイアを手放すには覚悟が必要ですよね。

因みに、ファセットされた世界一の大きさのブルーサファイアは、Blue Giantと呼ばれるスリランカ産の486.52ctです。

お次のサファイアジュエリーもゴージャスです。

Hall Sapphire Necklace / Bismarck Sapphire Necklace

左は、36個の総計195ctのスリランカ産サファイアと361個(61.5ct)のブリリアントラウンドのダイヤモンドと74個(22.25ct)のペアシェイプのダイヤモンドのネックレスです。サファイアの色はスリランカ産の典型的な明るい青をしていますね。このネックレスはハリー・ウィンストンMs.Evelyn Annenberg Jaffe Hallのオーダーを受けて作りました。そして1978年に博物館へ寄贈されました。

右は、98.57ctのビルマ産の深みのあるブルーサファイアのアール・デコ調のカルティエのネックレスです。持ち主のMs. Mona von Bismarckは今の時代で言えばセレブのインフルエンサーでしょうか。美貌と気品があり、1933年ベストドレッサー賞を受賞。International Best Dressed Hall of Fame Listにも名前を残しました。生涯で5回の結婚、うち3回目の1962年に24歳年上の大富豪、Harrison Williamsと結婚。ハネムーンは世界最大のヨットで世界を周るもので、立ち寄ったインドでこのサファイアを入手したとあります。結婚を繰り返す彼女の生涯はまるでドラマのようです。

この98.57ctのサファイアの最初のデザインは、カルティエの別のデザインのネックレス(1927-1945)でした。

(UNEARTHEDからの抜粋)

最初はサファイアが横に置かれたデザインだったのですね。見比べると縦に置いた方が更に大きく見える気がしますが、どうでしょうか?

さてお次は、ルビーのジュエリーです。

Carmen Lucia Ruby

実物を見た時、23.1ctのルビーの大きさに目が釘付けになりました。縦が約1.8センチ、横は約1.4センチ。

ルビーはサファイアと同じコランダムという鉱物で、赤い色のものがルビーと呼ばれます。色の起因は微量に含まれているクロムに因るものです。市場では2ctを超えるルビーでさえ希少ですが、その10倍以上の大きさ!色も透明度も最高級です。1930年代にビルマ(ミャンマー)のモゴックで産出されました。指輪の両サイドには三角形の1ctを超えるダイヤモンドが寄り添っています。

この指輪はDr.Peter Buckから妻、Ms.Carmen Luciaへ贈られました。その最愛の妻が亡くなった後2004年に、Dr.Buckは「愛する妻を偲んで」ルビーを博物館へ寄贈しました。そして時々博物館を訪れて、このルビーに対する来訪者の反応を静かに眺めながら、「これなら妻も喜んでいるだろう」とおっしゃっていたそうです。

宝石やジュエリーには亡き人との思い出も詰まっているのですね😌


そしてこちらのルビーも華やかです。

Winston Ruby Bracelet

31個(合計60ct)のビルマ産のルビーのブレスレット。1951年、所有者のルビーを使ってハリー・ウィンストンが作りました。まさに芸術作品ですね。こちらは1961年に匿名で博物館へ寄贈されました。匿名の為、背景のストーリーは秘密のまま…余計にいろんな想像してしまいますね。せっかくだから幸せな妄想をしましょうか🥰

ここからダイヤモンドジュエリーです。

Hazen Diamond Necklace

合計325個のダイヤモンドをセットしたプラチナ製のネックレス。1960年代のハリー・ウィンストンの作品でダイヤモンドの総計は131.4ct!

1978年、Ms. Lita Annenberg Hazenとその姉妹たちに寄って寄贈されましたMs.Hazelは医学研究への慈善活動家で、科学とアートの寛大な後援者でもありました。

次は、その姉にあたる、

Hooker Yellow Diamonds

Ms.Janet Annenberg Hookerの3点のイエローダイヤモンドジュエリーです。

ネックレスは、合計244.1ctの天然ファンシーイエローダイヤモンド豪華にセットしたカルティエの作品。一番大きいダイヤモンドのサイズは22ctです。わぁー。

イヤリングは、片方が25.3ctの大きさにそれぞれ4個のペアシェイプと8個のバケットカットのホワイトダイヤモンドで囲まれたデザインです。

指輪は、61.12ctのイエローダイヤモンドの両脇に4.75ctのトリリアントカットされたホワイトダイヤモンドがセットされています。はぁ、ため息が…。

この3点のイエローダイヤモンドの総計は350ctになります。本当に眩いジュエリーです。これらは1994年にMs.Hookerから博物館への寄贈されました。Ms.Hookerは長年イエローダイヤモンドに憧れていたそうです。そして1989年にニューヨークのカルティエでこの指輪と巡り合い購入、その後ネックレスとイヤリングも購入しました。

彼女はその頃はすでに健康状態があまり良くなかった為、ジュエリーを公の場に身につけていくことはなかったそうですが、自宅で孫たちとお茶をする時に着けて楽しんでいたそうです。

ある日、彼女は息子さんを通して博物館のキュレターのMr.Postに連絡をしました。自分の保有しているジュエリーの中からスミソニアン博物館にふさわしいものがあるか見に来て欲しい。そしてMr.Postは飛行機で遠路駆けつけ、空港からそのまま銀行へ。金庫に保管された数々のジュエリーの中から選んだのがイエローサファイアのジュエリーでした。

なんとも大富豪なエピソードですね。

さて、ダイヤモンドがイエローになる理由は、微量な窒素に因るものです。地中深くの形成時にダイヤモンドの化学組成である炭素の原子構造が一部窒素に置き換わることでホワイトではなくイエローになります。

色だけでなく眩さの要因にはカットも影響しています。これは、スターバーストカットと呼ばれ、星同士の衝突などで大量のガスなどが発生して新しい星が誕生する現象を呼ぶ「スターバースト」から名前が付けられました。このカットは本来の色よりも濃く見せることができます。

あー、本当に計算された眩さですね!


さて、最後はブルーのダイヤモンドのお話しです。

Blue Heart Diamond

こちらの所有者は前回の記事にも出てきた、Ms. Marjorie Merriweather Postです。30.62ctの深い青色のダイヤモンドはハートの形で、ハリー・ウィンストンのデザイン。25個(合計1.63ct)のブリリアントラウンドのダイヤモンドで囲まれたプラチナ製のなんとも可愛らしい指輪です。1964年にMs.Postが購入してその2ヶ月後には博物館へ寄贈されました。

1997年、GIA(アメリカ宝石学協会)の鑑定では、クラリティはVS2 、天然ファンシー ディープ ブルー ダイヤモンドとして等級付けされています。青色の起因は、結晶構造内の炭素原子の一部が微量のホウ素が置き換えられたからです。

遡ること1909年の10月、南アフリカのPremier鉱山で青い原石が発見されました。そその大きさは100.5ct!その年の暮れに落札された原石は、フランスのMr. Atanik Eknayanによってハートの形にカットされました。翌年の1910年、カルティエが購入して、スズランをモチーフとしたデザインの真ん中にセットされます。

スズランの装飾ネックレス(UNEARTHED抜粋)

その後アルゼンチンの慈善家、Ms. Maria Unzue de Alvearが購入します。そして、

ヴァン クリーフ & アーペルのデザイン(UNEARTHED抜粋)


1953年にヴァン クリーフ & アーペルに買われて、2.05ctのピンクダイヤモンドと 3.81ctのブルーダイヤモンドと並んだペンダントに再加工されました。 その後も転々と持ち主を変えて、1959年にハリー・ウィンストンにが入手して指輪に生まれ変わります。

ひとつの宝石やそのデザインを追いながら、それぞれの所有者のストーリーがあるのだと思いました。そう考えると宝石は家族の歴史と記録ですね。

次回はジュエリーではなく、スミソニアンのお宝級の宝石のお話しを書きますね。


挿絵の画像はスミソニアン博物館のMr.Jeffrey Edward Postの本、「UNEARTHED」から。内容もこの本を参照しています。


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