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阿久津隆『本の読める店 フヅクエ 案内書きとメニュー(フヅクエ初台)』

「心地よく本を読みたい」人のための、本を読んで過ごすことに特化した店、fuzukue。ここがどんなお店か、どんな風に過ごしてもらいたいか、料金システムがどうなっているか、どんな飲み物や食べ物があるか、などが全49頁にわたって書かれている。

約束された静けさのなかで思う存分に本を読むその時間が、明日への活力というか、よりよく生きるぞみたいなモードであったり、生き続けていく希望の根拠のようなものになったらそれ最高だな、そんな場所であれたら最高だな、みたいな気持ちでやっています。

本書冒頭「はじめに」

雑記

京王線と京王新線を間違えたりしたのち、どうにか辿りついた初台のfuzukueはすばらしい空間だった。

入店して手元に置かれる店の案内書きが、もはや一冊の本だ。

というのはページ数もそうだし書かれている内容、こういう店なのでこういう風に過ごしてくれたら嬉しいな、けどこういう気持ちになられるのも本意ではないのでこれくらいの感じで捉えてくれたら嬉しいです、という過ごし方のガイド、料金システムと続き飲食のメニューが書かれていて、そして奥付がありレジで販売もされている。本だ。

webサイトにもほぼ同じ内容が書かれているのであるていど中身は把握していたけれど、この冊子が机の上に置かれる、ということがとても重要な体験であるように思う。私は本を読みに来ている。本を読むことだけに特化した空間など他にそうそうなく、だから、本を読むことに集中するためのノイズが極力排除された空間を期待して、けれどその空間に客として店に入った瞬間、自分がその空間を構成する一員となる。

『案内書きとメニュー』を開いた瞬間、もう読書は始まっている。

自分が持ってきた本はまだ開いていないが、この案内書きがすでに本だ。

読み進めたり読み飛ばしたりしているうちに、この空間に少しずつ同化していく。席についてまず「どの飲食物を注文するか」に頭と身体を使う飲食店とはここからちがう。座った瞬間からものを読む頭と身体になり、そういう人たちが無言で影響を及ぼし合い、本を読むための空間ができてゆく。

たいてい、これだけの情報量をお店とお客との間で共有しようとすると、少なからず指示・命令の雰囲気を帯びることが多い。

けれどこの本はそうはなっていなくて、全体として、こういう店なのでこういう風に過ごしてくれたら嬉しいな、けどこういう気持ちになられるのも本意ではないのでこれくらいの感じで捉えてくれたら嬉しいです、というトーンが貫かれている。「案内」の中身が今の形になった経緯自体が読み物としておもしろい、というのは阿久津さんの力量によるものだろうし、お客さんの層もそれを楽しむタイプの人なのだろう。どうだろう、他の人はわからない、きっと現実には色々な人がいそうだ。でも自分はそうだ。

この日はかなり気合のいりそうな本を持ち込んで、のびのびと、ゾーンに入るように読み始めることができて、結局fuzukueにはサンドイッチとコーヒーを頼んで4時間いて、途中休憩の散歩を挟んだりしながら本当に読むことに没頭することができて圧倒的な読書体験だった。

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