転換
どんよりと終わっていった一年生だが、二年生になり私は自分の身を置く環境を大きく変えた。
約一年部活に熱を注いでいたが、徐々に部活から離れ私の見る世界は卒業後の「未来」になった。
先輩と後輩と部長
二年生になり変わったことはいくつかある。
まず、クラスのメンバーが数名入れ替わり(成績順なため)相棒が同じクラスになった。
部活では後輩ができ、先輩の引退を見届け自分たちの代が部を引っ張っていくことになった。
先輩との最後の地区大会では、私と相棒が初めてベスト8まで勝ち進んだ。
最後の試合は延長に延長を重ね、本当にもう最後はこの点をとった方が勝ちというところで負け、その先に進むことができなかった。
自己ベストの更新は嬉しかったものの、とても悔しさの残る試合で、先輩たちを見送る立場なのに悔し涙が止まらず慰めを受けてしまっていた。
それから、先輩がいなくあることを寂しく思う間もなく、後輩の指導は忙しくあっという間に夏が近づいていた。
新たな部長と副部長は、部員全員が紙に誰が部長になってほしいかを書き、顧問に提出、その数が多い人が部長に選ばれる方式だった。
以前の記事でも書いたが私はそこで部長に選ばれた。
毎度、部内のトーナメント戦でも負けて知らずだったこともあり、「強い人が部長に」という風習があったのかもしれない。
しかし私に人を導く才能はかけらもなかったのである。
自分の体力や実力を基準に練習メニューを考え、みんながどうしたいかという声を聴く機会を設けはしなかった。
大きなもめごとに発展はしなかったものの、正直しんどいと思っていた部員は何人もいたと思う。申し訳なかったと今ではすごい思う。
私に懐いてくれていた後輩もいたんだけどね。
試合の後に一緒に撮ったプリクラを宝物ですとかいって大事そうに持ってくれている子がいて、私がバレンタイン事件の先輩を憧れのまなざしで見ていたものと似たようなことだったのかもしれない。
それからしばらくして、私は部長の座を相棒へ押しつけた。
押し付けたというほど悪い態度をした覚えはないが、この時期に私は附属の高等部ではなく、外部の高校を受験すると決め、そのために週の2日は部活を休み塾に通いたい、だから部長としての債務を果たせなそうだから代わりに部をまかせたいと話し、了承を得た。
そういえば、ユーフォのアニメを見てて思ったんだけど、「部長」って本当にすごいなって。
私は、たぶん今やり直しても部員一人ひとりに気を配れない。いや、むしろどこからも文句がでないようにしようとして、結果何もできないと思う。
私が部長を押し付けてしまった相棒は、相当苦労したと思う。でも、私からはとても適性があったように見えた。
現に彼女は教師として働いているのだから。
学業
一年生の時、新学期が始まって最初の面談か何かで受験の時の各教科の点数を教えてもらう機会があった。
全教科八割を超え、受験者全体で二位の得点だったと聞いた。
一位だった子は同じクラスにいた男子で、その子は特待生枠で受験をし合格、特待生として入学していた。特待生枠、というのもこの時初めて知った。
しかし、偏差値の低い学校故、入試成績がよくとも決して勉強ができるとは言えたものではなかった。
実際、全国の中学生が受ける統一模試的なのもが年一回学校全体で実施されていたが、一年生の時の成績はまあそこそこでとても上位には入っていなかった。
一方、学校の成績は違った。
全員が一から同じ内容でスタートした学校の勉強は、なぜか理解が追い付いていた。
試験ごとに学年順位が出されるが、徐々にその順位があがり、私はいつからか一位の文字しかみないようになった。
特待生枠で入っていた男子は、一位をとれないことで親に怒られていたという噂も聞いた。
私は自分は意外と勉強が苦ではないのかもしれないと思っていたが、勉強をすればするほど、周りからは「勉強してどうするの?」という目を向けられた。
試験前も、みんな勉強はしたくない、やっていない、むしろやらずに低い点数をとって「本当にやばい」マウントの方が強かった。
勉強をしていることやいい点を取ることは「良いこと」ではなかった。
私は、なんとなくその雰囲気が好きではなかった。
学力というより、何かを知りたいというか学ぶことに対する熱量が近い人たちの輪にいたいと考えるようになった。
そしてもし外の学校に行くならどこがいいかなと高校を探す中で、今の学校より偏差値が高く、校則もなく大学のように自由な環境で過ごせる高校を見つけ、そこに行きたいと強く思い受験を決めた。
以前からこの学校では部活や芸術に長けていない私の肩身は狭いなと思っていたし、何より毎朝始発に近い電車に乗るのが辛かった。もう少し家から近い学校に通いたいとも思っていたのでちょうどよかったのだ。
入塾
受験を決め塾に通おうか迷っているときに、私は「部活をさぼりたいけどやめたくはない」という他のクラスの子と仲を深めた。
これがまるもである。
まるもとは家族構成や父親の職業が似ていたことや、家が近かったこともあるし、私の実家の隣にまるもの小学校時代の同級生が住んでいたこともあり、よく地元で遊んでいた。意図的ではない、自然に仲が深まったのだ。
この時まるもは、同じクラスに好きな男子がいて、その男子は例の帰宅部(仮)だったため毎日同じ時間に帰ることができなかった。
部活よりもその男子との時間を作りたかったまるもに、私は「私塾に通うため部活を週に二日休むことにしたんだけど、一緒に塾に通わない?そうすれば合法的に部活さぼれてKとも一緒に帰れるんじゃない?」的なことを提案した。
そしてまるももそれには乗り気で、同じ塾に同じ曜日で通うことになり、学校とはまた違う私たちだけの放課後の世界ができた。
続
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