ユーリ




オリエンテーション


一年生の時は、入学早々オリエンテーションという謎な合宿があり、まだ仲良くなり切れていないクラスの子たちといきなり他県にて宿泊勉強会が始まった。

毎朝早く起きてみんなでラジオ体操、日中は...何していたのだろう。その学校の歴史やらなんやらそんな感じのことを学び、夕方少し庭で運動みたいな感じだったと思う。

オリエンテーションが私にどんな影響を与えたかは申し訳ないが記憶にない。
本当に何も強く覚えていないんだ。

やはり私は部活の記憶が濃い。

ライバル

前回の続きだけど、仮入部期間は意外と長かった。

私がバドミントン部に入りますと決め、入部届を出してからも、しばらくは仮入部期間が続き、他のクラスの子たちが数名体験入部に来ていたのを覚えている。
そこで、入部してから初めての週末、私は先輩に誘われバドミントン部に体験入部に来た子たち数名と遊びに行くことになった。

色々あって誘った人の数名は当日来られなくなってしまい、結果先輩一人と、私、(後にバレーボール部に入った)他のクラスの子3人とゲーセンへ行きプリクラを撮るなどして解散した。

私は他のクラスの子とまともに話したのはその時が初めてで、そのうち2人とは帰る方面が同じだったため一緒に帰った。
そしてそれから毎日その子たちと朝同じ電車で行くことになった。
後に他の仲良くなった子たちも同じ電車で通学するようになり、私はこの時から卒業まで、毎日同じメンバーで同じ時間の電車に乗り合わせ登校した。

この日遊んで一緒に帰った子の一人は、乗り換えた先の電車も同じで、よく一緒に帰ったのだけど、話を聞くとその子も本当はテニス部に入りたかったらしい。
通っていたスクールでも選手コースとして育成されていたみたいで、男子だけの部でもやっていける気はしたけど、友達と同じ部に入りたかったからとバレーボール部にしたらしい。


仮入部期間も終わりに近づき、私のように早々に入部した子たちは既に練習に参加していた。
私も同期の子たちと仲良くなり始めていたのだけど、ある日他クラスのとある女子が体験にやってきた。
そしてすぐに入部もし、練習に加わった。
私たちがもたもたしてる側、その子は一人でパッパと準備や片付けをこなしていた。
先輩はその様子を見て、あの子を見習ってみんなもパッパと動いてーと言った。

部活が始まる前の準備(更衣室の鍵を開けたり、ネットを組み立てたり)と、終わりの片付け(ネットをしまうことや職員室から借りたものを返しに行くこと、更衣室の鍵を先に開ける、最後はその鍵を職員室へ返す)は主に一年生の仕事で、先輩より先にあれこれするのが使命となったのだが、その遅れて入部した子は、部活が終わると猛ダッシュで職員室に走っていて、更衣室の鍵を開けていた。

正直、そこまで急がなくても先輩より先に鍵を開けることはできるのに、毎回その子がダッシュで鍵を取ってしまうので、「いつも〇〇しか鍵を開けていない」となり先輩たちに私たちが怠けているとみなされてしまった。

私たちもそれには納得できず、仕方ないから走るかと、部活が終わるたびにその子に負けないように鍵取りダッシュを始めた。
私はまだその子と仲良くなれていなく、むしろ全てにおいて先手をとりにくる嫌味な奴という印象であった。

バディ

第一印象が良くない子と結果として仲良くなるというのはよくある話。
むしろ印象の良い子とは後に疎遠になりがち。

私は後にその鍵取り合戦をしていた子と仲良くなった。
この頃は体力にも運動神経にも自信があったし、負けず嫌いの気も強かった。
小6の時に転校生にしてやられたとはいえ、そんな子ばかりではないと気づき、中学生時代は私もまあまあ無双していた。

テニスを習っていたこともあり、私にはそれなりにバドミントンのセンスがあった。
入部後、すぐに先輩たちの練習にもついていけるようになった。
しかし他の子はセンスがある子ばかりではなかった。
私は同期の中で1番力が対等なのはこの子だと認識し、その鍵の子と練習する時間も増え、ダブルスでのペアを組むことになった。

お互い負けん気が強かったこともあり、部活のない休日も学校の近くの市民体育館に行き自主練習をしていた。

3年生の先輩の中で、私たちにも友達のように接してくれる人がいて、その先輩も男勝りで負けん気強い人だったため、体育館はその先輩から自主練に使うといいよと教えてもらった。

体育館は私たちやその先輩だけでなく、男子バドミントン部の先輩もよく来ていた。
練習は男女別ではあったものの、プライベートでの交流も増え、一瞬仲の良い時期もあったのだけど、それ以上進展することはなかった(理由は多々あり)。

休日は練習後に駅前のマックやミスドに入ったり、お買い物をしたりと学校の時間に縛られない二人の時間がとても楽しかった。
多分これは紛れもない青春。

弱小部ではあったけど、私は本当に地区大会で勝ちたいと思っていたし、その思いの強さが同じだっただけできっとかけがえのない存在だったのだと思う。
思いの重さが重なることは少ないというのは大人になり分かったけれど、だからこそこの時のこの時間を大事だったと覚えていたい。





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