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カネコアヤノに救われたい

カネコアヤノに許された日

私とカネコアヤノとの出会いは少し遅くて、2020年のフジロックだった。コロナ禍での開催となったその年、海外アーティストがこない代わりに邦楽のアーティストがたくさん出ていて、そのなかにカネコアヤノはいた。

正直言うと、勝手にカネコアヤノ=あいみょんをもっとエモ系にしたアーティストだと思っており、恋愛ソングにノリきれない私は、ずっと食わず嫌いしていた。

しかしその年一緒にフジロックに行った友人のなかに、小さなライブハウスで手作りのパッチワークを手渡ししていた頃からの往年のカネコアヤノファンがいて、その友人に連れられるかたちで初めてライブを目撃することになった。

友人曰く、カネコアヤノは猫のようにその日の気分が変わるらしい。とくに、大衆が注目するイベントでは警戒心がむきだしになり、「殺気のある猫」になるんだとか。(あ、カネコアヤノのネコってそゆこと…?)そのあと、本当に睨みをきかしたカネコアヤノが現れたからちょっとおかしかった。

しかし、私が笑っていられるのはここまでだった…「祝日」という曲を聴いたとき、なぜか自然と涙がこぼれていたのだ。

「できないことも頑張って」のあとに「やってみようと思ってる」が3回くるのだけど、

①「やってみようと思ってる」(やってやるぞ!)
②「やってみようと思ってる」(やる、やる、頑張れる)
③「やってみようと思ってる」(やりたいのに、なんで…)

この三段構成に、みんなと同じようにやりたいのに結局できなくて徐々に力なくなっていく自分の惨めさが表れているような気がして。「ああこの人は、私を許してくれる人だ」って思ったら泣いてた。

「愛のままを」の歌詞なんて、もう私の人生だ。

私には、人に伝えるわけでもない内なる熱い思いがつねにある。その思いがより熱くなったとき、心からあふれでて肌の表面に薄い膜を張る。それがバリアになったり、ときに絆創膏になったりする。

…そんな感覚がずっとあるんだけど、こんなことは誰にも理解されないだろうと思っていたし、ちょっとポエムっぽくて恥ずかしいし、自分だけのものとしてとっておいていた。

カネコアヤノは私のそれを、カネコアヤノのなかで昇華して私に提案してくれた。彼女を通して私は私を理解できるし救われる。そんな歌詞に思えたのだ。

「光の方へ」は、「次の夏には好きな人連れて月までバカンスしたい」という詩的で美しい表現にも魅了されたが、「ちっぽけだからこそもっと勝手になれる」といった、どうしようもない自分を肯定して前に押し出してくれる歌詞にやっぱり心が燃える。

ここで「勝手になれる」を2回繰り返すのも、例に漏れず

① 勝手になれる(そっちがそんな感じなら、勝手にやってやるからな…?)
② 勝手になれる(オラァアァア!!!!!)

みたいに二段階で解釈している。(勝手に)あと「隙間からこぼれ落ちないようにするのは苦しいね」「だから(ちょっとでも救われるために)光の方、光の方へ」「できるだけ光の方へ」ここがやっぱり、どっからどう考えても私なのよ!!!

洋楽を聴くときは歌詞の意味を理解できていなくても、曲がカッコいいだけで最高オブ最高!!! って思っていたけど…歌詞の世界がこんなに味わい深くて、こんなに自分とつながっているとは。

これは、アートを見ているときの感覚にとても近い。もしかしたら西洋画を見て私の人生を考えるのより、もっとわかりやすく私に寄り添ってくれるものかもしれない。

私はこの日から、カネコアヤノの虜になった。

武道館2023感想「早く日常をやりたい」

そこから、音楽イベントでカネコアヤノがいたら必ず行くようになったし、タイミングが合いそうな単独のチケットがあれば応募するようになった。

そして1/18、ついに初めてワンマンライブに行くことに。単独のチケットを取れたのはこれが初めて。

実際ライブ会場に行ったらめちゃくちゃ人がいて、こりゃ当たらないわけだ…と思いつつ、でも当然カネコアヤノを好きな人がたくさん集まっていて「ここにいたんだね、心の友よ」と勝手に嬉しく思いながら、はずむ足取りで席に向かった。二階席だったけど中央で、音響的にもめちゃくちゃ良席だったと思う。

最初、会場が真っ暗ななか小さな光がいくつか灯り、楽器隊がリズムを奏でるだけのやわらかな時間が5分ほど流れる。そこからカネコアヤノのやさしい声が入り、「追憶」が始まった。

かと思えばライトが突然明るくなり、力強いギターの音色で「アーケード」が始まると、力強いカネコアヤノの声が入ってきた。ここで、会場のボルテージは一気に高まる。私にとって3本の指に入るほど大好きな曲なのだけど、きっとみんなにとっても3本の指に入るほど大好きな曲なのだろう。そこで、本日一番の盛り上がりを見せた。

先日MVが公開されたばかりの「気分」は、バンドセットで聴けるのを贅沢に感じた。しかも、これまた歌詞が素晴らしいんだ…見てほしい。

「堕落は悪くない こころを守るんだ」「ぼくはぼくでしかなくて」「ぼくはぼくでしかないね しかたがないね」…ありがとうございます!!!(?)

そして「抱擁」のとき、ついに涙がでてきた。自慢じゃないが、今まで一度も「抱擁」で泣かなかったことはない。(本当に自慢じゃない)じわじわと目に涙がたまっていったとき、ステージでカネコアヤノを灯しているライトの光が筋になって、滝みたいに流れだした。

※イメージ

ああ、これはあれだ、観客の涙を見越しての演出だったんだ…

多分(絶対)違うけど、あまりにも美しいので、今日のところはそう思うことにした。

「光の方へ」「愛のままを」はアップテンポな盛り上がれる感じのアレンジになっていた。(これは音源を聴き込んでる人からすると、好き嫌いが分かれるかもしれない)最後の曲までMCなし、音楽と世界観だけでつくるストイックで上質なカネコアヤノ空間だった。アンコールでは「さよーならあなた」を演奏。これもみんなの3本指曲なので(?)、必然的に盛り上がらざるを得ない。最後の最後、バンドセットならではの"かき鳴らし合い"も胸熱だった。

最後のMCでカネコアヤノは、「ありがとう」「それしかない」「生きててよかった…」とふにゃ〜としながら喜びを表現していて、ファンの声にも「おう!ありがと!」って答えてた。私はまだ殺気だったカネコアヤノしか見たことがなく、こんなにふにゃふにゃなカネコアヤノは初めて見たので、こりゃメロメロになっちゃうよね!とニヤつきながら、往年ファンの友人に想いを馳せた。

あとは、「みんな健康でね」「今日帰ったら美味しいもの食べてね」「よく寝てね」…こんな感じ。特別なことは言わない。でも私からすると、この何も特別じゃない日常の延長にあるMCがすごく心地よかった。

というのも、この武道館ライブでいくら高揚したとて、私たちは明日から普通の日常に帰って仕事をしなくちゃいけない。日常と乖離しすぎず、「のんびりやろうよ、たまに内なる狼煙を上げようよ」みたいなカネコアヤノの姿勢に救われる。

そもそも私はあんまりライブに行ったあと「明日からも仕事頑張ろう」って思いたくない派(仕事<ライブのほうが人生だろって思いたい抵抗心からきてると思われる)だし、実際ライブに行くと「うわ〜明日仕事行きたくね〜〜」の感想になるのがつねなんだけど。

カネコアヤノのライブ終わりにまず思ったのは、「明日からも日常(仕事含む)を楽しもう」ってことだった。これは本当に不思議な感覚なんだけど、でもあの会場にいた人はきっとみんなそう思ったと思う。早く日常をやりたくて、うずうずしてくる。さっきまで「人生なんてクソだ」って思ってたはずだし、なんなら今もどこかでそう思ってるのに。

これこそが、カネコアヤノの魅力だとわかった。

のほほんと暮らしを楽しみたい気持ちと、やりようのない怒りや戸惑いは両立していいし、むしろそれこそが人生なんだ。

カネコアヤノを見ていると、人生をやってみたくなる。しかも「あの人になりたい」とかじゃなく、クソみたいなこのままの私で。

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