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本を読むのが遅い人は文字を追い、早い人は概念を追う。

本を読むのが遅い人はページをめくり、文字を追う。
本を読むのが早い人は概念を追う。

本が書ける人になりたい、と願う人がなぜ作家養成講座に通っても、なぜその卒業生の3%も作家にならないのか。

それは、作家というのが語彙力や文章力で決まると勘違いしているからだ。
勘違いをしたまま、間違えた方向に努力を重ねるのだから、その努力は成就しない。

まるで、ゴールと真逆に全速力で走り続けているようなものなのだから。

では、作家になるための正しい努力とは何か。
新しい概念の創造だ。
新しい感性の提示だ。

ビジネス書ならば、仕事は早くたくさんのタスクをこなすことが説かれているところに、『エッセンシャル思考』では「そもそもやるべきことは全体の2割に過ぎない」と断言した。

この過去との断絶とも言える、パラダイムシフトを提示できたからこそ売れた。

これは、語彙力でも文章力でもない。
世の中の瑞々しい現象を緻密に観察して、既知の知識と結びつけて、オリジナルの概念を生み出したクリエイターの才能だ。

しかし、遺伝子診断で述べられるまでもなく、その才能は生まれつきに依るところが大きい。
後天的に伸ばしやすいものではないのだ。
村上春樹が『走る時に語ること』にて述べた以上でも以下でもない。
(一方、語彙力はやればやるだけ増強するので、努力している感が出る)

とすれば、本を読む時も「この本が提示している新しい概念は何か」という切り口で読むとスピーディーに主張の核を捕まえられる。

そして、もう一つ覚えておきたいのは、人間は概念を概念のまま理解することは苦手だ、という事だ。

概念は具体例を通して、肉付けされないと理解できない。

どんな頭が良い人も、ここに例外はない。
正確に言えば、頭が良い人は本文では概念しか語られていなくても、自分の頭の中で具体例を補足して理解する事が得意だ。

だから本文では具体例が多用される。
例えば「愛」という概念が本文で紹介されたとしよう。
具体的に両親の見返りのない優しさや、恋人に感じる性欲を伴ったものなどの具体例が紹介される。

さらに、いきなり新しい概念が紹介されることはない。
既に存在する概念との関係で紹介される。
だから、冒頭では哲学ならば今までの流れの概観が入る。

ことように概念と、それを捉える具体例というように読む人は本を読む事が早い。

***

蛇足だが、駿台や河合塾の浪人生用である早慶コースから早慶に受かるのも100人中、1名くらいだったので割合としては同じくらいだ。
往々にして、夢は見る人ではなく、夢を見せる人がお金持ちになるのだ。

映画館と一緒で、見せてもらうほうがお金を払って、見せるほうにお金が集まる。


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