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幾田りらさんの歌声は、心の脆い部分と共鳴する。

こんにちは。桜小路いをりです。

実はこの記事、4月の終わりか5月の始めくらいに途中まで書いて、そのまま下書きに眠っていました。

あのときは上手く言葉にならなかった想い、YOASOBIの史上最大キャパのライブだった「電光石火」埼玉公演に参加した今なら、きちんとまとめられる気がします。

最後までお読みいただけると嬉しいです。


この前、お散歩中にウォークマンに入っている曲をシャッフル再生していたら、幾田りらさんの「Answer」が流れてきました。

ちょうど横断歩道に差しかかって、赤信号に足を止めて。

やっぱり素敵な曲だな、と思いながら、りらさんの声に、耳と心を傾けていました。

苦しくて切なくて、でも、優しい光が雲の隙間から射し込むような。

逆さまにした砂時計のように
過ぎ去った時間を
もう一度やり直せても
僕はまたきっと この道を選ぶ

ここの歌詞が流れてきたとき、じわっと涙が込み上げてきました。
前までは、なかなか泣かないタイプだったのに。
なんで急に涙もろくなったのかな……。

りらさんの声って、凛としていて、芯が通っているのに、どこか脆くて儚い部分があると思います。
そんなところが独特の透明感にも繋がっていて、得も言われないほど素敵です。

心の中にある、弱い部分だったり脆い部分にすっと沁み込んでいって、共鳴するような。

その奥にある傷痕を、羽のような柔らかさと温かさで、そっと包んでくれるような。

それでいて、ダイヤモンドのように強い支柱を、心に添えてくれるような。

寄り添ってくれる優しさと、支えてくれる強さと、傷の痛みを知っている距離感の近さと、その全てを持っている歌声だな、と思います。

視えない声に 奪われないように
ここにいるための僕の証明を
思い描いた日々を重ねていく
振り返ればもう 無数のゴールライン
越えてきた証

がむしゃらに、夢中になって走っていると、ゴールラインを切ったかどうかも分からなくて。

でも、不意に「このままどこまで歩いていくんだろう」と足を止めて振り返ってみると、自分の後ろには、「無数のゴールライン」がある。

あれも、これも。
全部、ひとつの「ゴールライン」だったんだな、と。

そして、今ここに自分がいることこそ、「越えてきた証」になる。

立ち止まって振り返る時間があったからこその、その気づきが、それを丁寧に紡ぎ上げるこの歌詞が、たまらなく優しくて大好きです。

涙をぐっと飲み込んだとき、ふと、りらさんの声は、「脆さ」や「弱さ」に共鳴していく、と感じました。

「共鳴」という言葉は、物理の言葉で「振動数の等しい発音体を並べておいて、一方を鳴らすと、他の一方も音を発する現象」のことを指します。

りらさんの歌声の魅力にもなっている独特の「弱さ」や「脆さ」が、心の中の「弱さ」「脆さ」と同じ振動数をもっていて。

いつもは見て見ぬふりをしていたり、あるいは気づいてすらいなかった「弱さ」「脆さ」と響き合って。

不意に表に出てきたその部分を、柔らかく包んで「そのままでいい」と言ってくれるような。

だから、私はりらさんの歌声が好きで、りらさんが憧れの存在です。

弱さを弱さのままで大切にして、でも自分の心には強い芯を通して、地に足を着けて。
強さも弱さも携えているからこその優しさを、周りに与えられる人でありたい。

温かく優しく、それでいて凛としたその歌声が、りらさんが紡ぐ音楽が、これからも私の御守りです。

今回お借りした見出し画像は、青空と海の写真です。おおらかに、どこまでも果てしなく広がる青が眩しくて、鮮烈で、素敵で。即決でした。個人的に、「Answer」は水色のイメージ。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。