森鴎外「舞姫」 感想

森鴎外『舞姫』を読んで
国語の課題等の参考にどうぞ。

『舞姫』の学習が終わり、感想を書くためにこの作品について深堀りしていった中で、私達が普段意識していない社会の常識についての考え方を改めなければならないと感じた。
この作品を授業で学習していた時、倫理の授業で丁度森鴎外について学習した。そこでは彼曰く当時の日本の社会は未だ近代国家として発展途上の「普請中」であり、自我に目覚めたものがその中で生きようとしても、矛盾に陥らざるをえない、と紹介されていた。これはこの作品にとてもよく現れている。
海外と比べて日本はまさに「出る杭は打たれる」という言葉通り社会に溶け込み、目立った言動を控える性質があるとよく言われる。この時代では日本人は個人より国家のために精進し、家を盛り立てる事が常識だったのだろう。そして国家ではなく自分自身を優先する人間は「出る杭」であり非難の対象であった。
その中で主人公である太田豊太郎は閉鎖的だった日本から解放され西洋の自由な個人主義に触れた。更にエリスと出会った事により国家と個人の板挟みにあうことになる。そして最終的にエリスを裏切る様な形で帰国。エリスは精神に異常をきたしてしまうという凄惨なラストとなった。これは海外では絶対に有り得ない展開なのだろうと思う。個人主義の進んだ海外では国家のために恋人を裏切り、捨ててしまう等それこそ常識の範囲外の事だからだ。彼らにとって国家は恋人を捨てる程重要な物ではない。しかし当時の日本では国際結婚など以ての外。正に「出る杭」的な行為だった。話の中で豊太郎は何度も国家と恋人の間での取捨選択に頭を悩ませていた。
また彼は作中何度も友人相澤謙吉や大臣天方伯の急な頼みや約束事を受け入れてしまっていた。これも日本人ならではの言動だろう。頼み事や約束は受け入れる。それが常識。個人が今より軽視されていた日本において頼みや約束を断るという行為が「出る杭」だったからに違いない。相澤謙吉もエリスとの関係は惰性の結果なのだからとっとと切ってしまえ、と当時の常識を豊太郎にぶつけている。彼や天方伯は『舞姫』における「日本の常識」の象徴のようだと感じた。
また森鴎外自身も若い頃ドイツに留学し、エリーゼという現地の女性と恋仲となり結婚まで考えていた。鴎外が帰国する際結婚するためにエリーゼも彼とは別の貨物船に乗って来日している。しかし鴎外は母親をはじめとする親族の猛反対にあい、あっさりと結婚を諦めてしまっている。エリーゼはその後帰国し別の男性と幸せな家庭を築いたらしい。これについては詳しいことが六草いちかさんの『それからのエリス』に纏められているので是非読んで欲しい。
こうした事からは舞姫を読む際、当時の日本とは価値観や常識から全く違うという事を理解して読むことが必要なのだと感じた。そうやって再び舞姫を読むと、常識がどれだけ不確かで矛盾や苦痛を産むのかを痛感させられる。今現代に住む私達がSNS上で当たり前の様に批判している対象も時代が違えば常識だったのかも知れないし、その対象にも必ず社会と自己との葛藤がある。そんな相手にただ非難を浴びせ続けるのは本当に正しいのだろうか。相澤謙吉や鴎外の母親と同じではないか。1度相手を認め、その意見を聞いてみる事も必要なのではないか。それが森鴎外『舞姫』を読んで感じた事だ。

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