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おれの手相はつまらない。

数年前のある梅雨の休日。
その日はとても暇だった。
普段なら家の中でまったりと過ごすのだが、その日は無性に何かをしたくて仕方がなかった。

「そうだ手相占いに行こう」

手のひらに刻まれた無数の線を見てその人の半生から運命までもが分かるという手相占い。
そんな素敵な機能が人間の手のひらに備わっていると知って以来とても興味があったのだ。
とはいえ男がひとりで手相占いに行くというのは如何なものかとなかなか一歩を踏み出せずにいた。
しかしその日は何かをしたくてたまらない、これはもう手相占いに行くしかなかったのだ。

そうと決まれば話は早い、さっそくスマホを使ってよく当たる占い師を探した。
せっかくお金を払うのであれば信頼できる人物に任せるに越した事はないというのが人間の性である。
しかし評判の良い占い師たちは軒並み予約でいっぱいだった。
ようやく1人の占い師の空きを見つけたが場所がとにかく遠い、自宅から約1時間30分、外は雨。
諦めたおれは家から1番近い占い師を探すことにした。
近場で済むのであれば近場で済ませるに越した事はないというのもまた人間の性である。

そして最寄駅から二駅の場所の占い師を見つけた、立地的には完璧だ。
もはや当たるとか当たらないとかはどうでもよくなっていた、とにかく手相占いに行くという目的だけを満たせればそれでよかったのだ。
それになんと占いだけではなくコーヒーとデザートまで付いてくるというではないか、我ながら最高の占い師を見つけたとこの時は思った。

一応予約の電話を一本入れてから目的地へと向かった。
お店というよりは屋敷に近い、中に入ると数匹のネコたちが出迎えてくれた。ネコ好きのおれにとってはたまらなく最高だった。
しかし屋敷の中は数十年は掃除をしていない様子でとにかくホコリっぽく、アレルギー持ちのおれにとっては最悪の場所だった。

奥には占い師とみられる1人の老婆と先客とみられる1組の若い夫婦が居た。
手前にあった椅子に座り、ひざに乗ってきたネコを撫でながら自分の番を待っていた。
15分ほどが経ち、横目でちらっと様子を伺うと、なんと先程の夫婦が号泣しているではないか、その目は憎しみではなく明らかに教祖さまを崇めるときの信者の眼差しであった。
おれの期待値は跳ね上がった、きっと自分もこの屋敷を出る頃には感動の涙と鼻水で顔を濡らし、この老婆を神として崇めているに違いないと。

若い夫婦が何度も感謝の言葉を述べながら屋敷を出て行ったあと、ようやく自分の出番がやってきた。
ネコを膝から下ろし、先ほどの夫婦が座っていた席へと案内されると、老婆が1杯のコーヒーと2袋のハッピーターンを持ってやってきた。
まさか、デザートというのはこのハッピーターンのことを言っていたのか、だとすればとんでもなく舐められている。
もちろんハッピーターンは大好きだ、あの粉に埋もれて死にたいと願ったことすらある、しかしデザートと聞かされた後に出されるハッピーターンとなれば話は別だ。
そう思いながらコーヒーに目をやると、そこにはネコの毛が浮いていた。
もはや舐められているというレベルではない、喧嘩を売られているのだ。
もちろんネコは大好きだ、ネコの毛も気にならない、ただ飲み物に浮いているとなれば話は別だ。

目の前の強烈な2品に引いているおれに対して「今日はなにを占ってほしいのか」と老婆が聞いてきた。
盲点だった。おれは手相占いをしてほしかっただけでとくに何かを占ってほしい訳ではなかったのだ。
とはいえ何か答えねば、生半可な気持ちでやって来たと思われるのもしゃくに触る。
そう思いとっさに出た言葉が「今後の人生について」だった。若干見透かされた気もしないではなかったがそこでようやく手相を見せてくれと老婆に言われた。

満を持して手相を見せるときがやってきたのだ。老婆に言われた通りおれは堂々と両手のひらを見せ、感動の回答を待っていた。

すると手相を見るや否や老婆がとんでもない一言を放ってきたのだ。

「あんたつまらない手相してるわね」

一瞬なにが起こったのか理解ができなかった。
まるで気がつけば転ばされているという合気道のような一言であった。

つまらないとはなんだ、
手のひらに小粋な短編小説でも書いてくればよかったのか。

ノーガードの自分に対して無慈悲な言葉を放ってきた老婆に対して怒りが湧きつつも『つまらない手相』という一言があまりにもショックだったのか、その後の占い結果のことは殆ど覚えていない。

気がつくと話題は老婆の自慢話に変わっていた。「私の手相はこんなにくっきりとしているから幸せになれるの」「政界からスポーツ選手まで色んな人が私を頼ってやってきた」などなど、一体さっきの夫婦はコイツの何に感動し号泣をしていたのか。
などと考えていても老婆のトークは止まる気配がない、一瞬占いではなくこの老婆のディナーショーにでも来てしまったのではないかと錯覚するレベルであった。
そんなものに付き合う気はさらさらなかったおれはネコの毛が浮いたコーヒーと“デザート”を立派に残し、会計を済ませ、すぐに帰宅した。

帰宅後、先ほど起こったことを整理してみた。
汚い屋敷、号泣する夫婦、ネコの毛が浮いたコーヒー、2袋のハッピーターン、老婆のマシンガントーク。
そして『つまらない手相』という破壊力抜群の一言。
良かった事といえば家から近かったことくらいである。いや、むしろ近かったが故にあんなことになってしまったのではという思いも否めない。

何はともあれ、おれは二度とこのつまらない手相を人様に見せたりはしないと心に誓ったのである。

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