見出し画像

『ギャル』とはなんぞや。

おれはギャルが大好きだ。
ギャルの良さといえば、あの独自のフランクさとタメ口にあるとおれは思う。
初対面であろうと構うことなく相手のパーソナルスペースに踏み込んでいき、見事に心を掴むその姿には感服する思いだ。
実際、人と仲良くなるまでにかなりの時間を要する自分でさえも、相手がギャルであれば不思議とすぐに心を開かさせれてしまう。
しかし稀に、この『フランク』『タメ口』という部分を「礼儀がなっていない」と捉える人がいる。

だが考えてみてほしい、ギャルにタメ口をきかれて不快な思いをしたことがあるだろうか?
恐らくないはずだ、何故ならギャルはタメ口の天才であり、とてつもなく空気を読むのが上手いのだ。
常に場の空気を読み、相手を気遣い、敬意をもって礼儀正しくタメ口を使っているのだ。
そんなタメ口の天才であるギャルが相手に不快な思いをさせるなどというヘマをやらかす訳がない。
もし、それでも不快な思いをしたことがあるという人がいれば、恐らくそれはギャルではなくただ失礼なやつに当たっただけであろう。

では『ギャル』とは一体なんなのか、見た目か?いや違う。
ギャルとは、底抜けの明るさと洞察力、そして一本芯の通ったあの大胆な思想こそが『ギャル』なのである。

つまり、空気も読まずにお構いなしに騒いでいるだけの派手な生物たちのことをギャルと呼ぶのは非常に失礼なのである。

では、そんなギャルたちをどうやって見分けるのか。
それは『ヒョウ柄』である。
ギャルといえばヒョウ柄であり、ヒョウ柄といえばギャルというほど、この二つは切っても切り離せない関係にある。

かつて暇を持て余していた頃、雑誌『BRUTUS』の架空の表紙を作ったことがある。
そのときの特集こそが『ギャルとヒョウ柄』であった。

ヒョウ柄を身につけていなければ我々はギャルかどうか判断ができないのだ、もし思想がギャルであっても、ヒョウ柄を身につけていない場合はギャルではなく、ただただそういう人ということになってしまう。
つまりヒョウ柄とは、ギャルを証明するためのものであり、警察官にとっての警察手帳、弁護士にとっての弁護士バッチくらい重要なものなのだ。
よって、ギャルとは『思想』と『ヒョウ柄』である
この言葉を心に刻んでおいて頂きたい。

ここまでギャルについて語ってきたが、この絵に描いたようなギャルが実在するかどうかは存じ上げない、しかしおれの心の中には間違いなく存在している。
みんなも心にギャルを置いておくだけで、日々を穏やかに、そして明るく乗り越えていけると思う。もしどこかで会うことがあればお互いのギャルについて語り合おうではないか。

あと言い忘れたがギャル男はクソである。

サポートして頂いたお金で美味しいカレーを食べます。