空想委員会の三浦隆一が亡くなった


 空想委員会の三浦隆一が、2023年4月3日に亡くなったことが、その4日後の本日=4月7日、バンドの公式サイトで発表になった。
 享年41歳。3年前から大腸がんと闘病しながら、音楽活動を続けていた、と書かれている。

 空想委員会は、2023年2月15日に、佐々木直也が音楽活動を休止し(つまり、他でやっているサポート等の活動も休む)、今後は三浦隆一と岡田典之のふたり体制になり、ライブはサポートを迎えて行っていく、ということを発表した。
 そして、5月6日渋谷GUILTYから12月9日下北沢シャングリラまで、7ヵ月かけて15本の全国ツアー『空想委員会one man live tour 「Welcome Home」』を行うことを、その3日後にアナウンスした。
 このツアーは、2022年に回った全国ツアーとまったく同じ会場を回る、ツアーと並行して配信シングルのリリースを行っていく、という趣旨である。
 そのツアーの前に、3月29日に新大久保CLUB Voiceで、「新体制の空想委員会はこんな感じです」とお披露目する、本人たち曰く「チュートリアル的なライブ」を開催することや、空想委員会が初めてライブを行った場所、大塚MEETSで4月21日にワンマン『フラッシュバック』を行うことや、ツアー前にイベント2本に出演することなども、発表になっていた。

 しかし、その後、三浦の体調がすぐれなくなって、3月29日の『チュートリアル』と4月1日のイベント出演をキャンセルすることと、「今後の活動の中で突然お休みしてしまうことが度々出てきてしまうかもしれないため」、以前から大腸がんを患っていて、治療しながら活動していることを、3月20日に公表した。
 その5日後の3月25日には、全国ツアー『Welcome Home』のチケットの一般発売がスタートした。その4日後の3月29日には、4月8日のイベントの出演キャンセルが告知された。

 その次に発表になったのが、この4月7日付の訃報だった、ということになる。
 つまり、三浦隆一は、「病状が悪化したから活動はいったん全部キャンセル」という判断はしなかった。ギリギリまで、1本でも多くのライブをやろうとしていた、やれる可能性にかけていた、ということだ。

 僕は、空想委員会のメジャーからのサードシングル『ビジョン/二重螺旋構造』のリリースの頃から、彼らにインタビューしたり、ライブを観て何か書いたりする立場になった。空想委員会の活動休止→三浦隆一ソロ→バンド再始動→それ以降、の動きも追って来た。
 だから知っているつもりだが、空想委員会活動休止以降の三浦隆一は、一時期失っていた音楽へのモチベーションを取り戻し、自分が何をやるべきか、何をやりたいかがクリアに見えるようになり、そのためにどうすればいいかを考え、実行に移していく人だった。つまり、頭の中も、行動も、冴えていた。

 その「冴え」は、作品にもクリアに表れている。2021年リリースの初のソロアルバム『空集合』と、2022年の楽曲「なくなく」と「QUATTRO」と、空想委員会の復活後のアルバム『世渡り下手の愛し方』を聴けば、それがわかる。
 なので、未聴の方は、触れていただければと思う。すべて各種ストリーミング・サービスにあります。

 やる気も、行動力も、言うまでもなく才能も、たんまり搭載したまま、三浦隆一はこの世を去ってしまった。
 本人、無念だったと思う。僕などには計り知れないぐらいに。彼の音楽を好きな、こっちの無念さなんかとは、比べものにならないほどに。

 人が亡くなった時、残された者ができるのは、その人を忘れないでいることだけだ、と僕は思っている。
 というか、何度かそのような経験をしてきて、他にできることなどない、と知った。
 だから、彼の音楽のすばらしさも、彼の無念さも、忘れないでいたい。
 彼に会うことはもうできないが、彼の音楽に会うことは、いつでもできるので。

 お世話になりました。ご冥福を祈ります。忘れません。

 2021年春に空想委員会が再始動した時と、その1年後に『世渡り下手の愛し方』をリリースしてツアーに出る時に、DI:GA ONLINEで行ったインタビューを、貼っておきます。


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