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マチカネに福来たる。期間限定最強馬マチカネフクキタル 〜名馬たちの記憶5〜


栗東の森調教師に
「4歳(現3歳)の夏から菊花賞までは圧倒的な強さだった」
と評価を受け、20世紀の最強馬に推されたマチカネフクキタル。
真価を発揮した期間は短いが、彼が魅せた全盛期の末脚は、他馬が止まって見えるほど桁違いのスピードだった。
そして、
見る者に強烈なインパクトを与えた。
今回は、短期間ではあったが、最強馬に相応しい末脚を持った彼の記憶を辿ってみたい。


マチカネイワシミズにマチカネタンホイザ、マチカネアカツキ。
マチカネの冠名を付けた競走馬たちを挙げるとキリがないほど、マチカネ○○は多頭数存在する。

これほどまでに競走馬を所有してきた馬主も、この時ばかりは馬名に難色を示していたのであろう。
そこで、
ある新聞記者から一般公募してみては?
との意見に賛同。
約9000通の公募から2頭(兄弟ではなく同期の馬)に対してワラウカド・フクキタルと命名。

『笑う門には福来たる』
当時、2頭で分けた馬名は話題を呼んだ。
こうして、
マチカネ軍団初のG1馬となるマチカネフクキタルは誕生したのだった。

マチカネフクキタルの父クリスタルグリッターズは、フランスの中距離G1を2勝した名馬で母の父は、日本が誇る名馬の1頭であり、その姿形から『天馬』と呼ばれたトウショウボーイだ。

そんな血を受け継いだ彼のデビュー戦はダート。
2番人気に支持されるも3着。
ちなみに、このレースで大差勝ちしたのは、翌年の桜花賞馬キョウエイマーチだった。

年が明け、クラシックシーズンが到来し、キョウエイマーチが桜花賞、サニーブライアンが皐月賞を制した頃、彼は1勝クラスで2着、1着。何とかオープンクラスの仲間入りする程度だった。

3歳の春先でオープンクラスとなった以上、目指すは日本ダービー。
その切符を手にするため、最後のトライアルレース、プリンシバルステークスに出走。
6番人気だったが、後に最強の逃げ馬との呼び声が高いサイレンススズカに届かずも2着となり、日本ダービーの出走権利を得て、マチカネ軍団の念願だったダービー出走権を手に入れた。

晴天で迎えた日本ダービー。
1番人気は、メジロライアンの初年度産駒メジロブライト。皐月賞馬サニーブライアンは6番人気でマチカネフクキタルは11番人気だった。

結果は、逃げ切り勝ちを収めたサニーブライアンから0.5秒差の7着と惨敗。
なお、1番人気のメジロブライトは3着に破れている。

次の目標をクラシック最終戦の菊花賞と定めた陣営は、日本ダービーから1ヵ月後に2勝クラスの条件戦へ出走させ、3馬身差の圧勝。
これが、彼の最強馬伝説の幕開けとなるのであった。

短期間だったが、彼の魅せた末脚は、間違いなく最強馬だ。🐴画像chunichi.co.jpより🐴


2ヵ月後の神戸新聞杯G2では、10馬身以上突き放し、マイペースで逃げるサイレンススズカに誰もが追い付けないと思った瞬間、馬群の中から桁外れの末脚でサイレンススズカを射程圏内に入れると、10馬身以上あった差をゴール前で差し切り。プリンシバルステークスのリベンジを果たす。
鞍上の南井騎手は
「まさかサイレンススズカを捉えることが出来るとは、凄い脚でしたね」と彼を称えた。

神戸新聞杯にて初重賞制覇、賞金も加算した。
ところが、
現在のローテーションでは考えにくいが、彼は菊花賞までに もう1戦することになる。
菊花賞の前哨戦 京都新聞杯G2である。

このレースでは、先行勢から早め抜け出し勝利。
日本ダービー後、3連勝で菊本番に向けての準備は整った。

そして、迎えた菊花賞。
予想外にも3番人気。1番人気は京都大賞典G2で古馬を相手に勝利したシルクジャスティス。
だが、覚醒した彼に人気など関係なかった。

豪腕、南井騎手を背に桁外れの脚を10万人の前で披露。
連勝での勝利を競馬界の名実況でお馴染みの杉本アナが上手く表現している。
『またまた福が来た!神戸そして、京都に次いで、菊の舞台でも福が来たぁ!』

桁違いの末脚は、最強馬に相応しい疾風迅雷の如く走りだった。🐎画像jra-vanより🐎

彼の桁外れの末脚は、
菊花賞で上り3ハロン33.9秒という驚異的なタイム。
このタイムを記録したのは、これまでディープインパクト、ソングオブウインド、フィエールマンの3頭しかいない。
菊花賞を7馬身差、圧倒的な勝利で三冠馬となったナリタブライアンでさえ、34.3秒だったのだ。

この数字を見れば、多くを語らずとも彼が魅せた桁外れの末脚がいかに凄いか、理解して頂けるだろう。

余談だが、この菊花賞には、後の大種牡馬となるステイゴールドも出走していたが、8着に敗れている。

また、馬名の由来となった同期馬マチカネワラウカドが地方競馬の交流重賞 東海菊花賞を勝利したことで、兄弟ではないが、馬名の由来馬同士で菊花賞馬となったことも話題となった。


菊花賞馬となり、当然だが、翌年以降も注目と脚光を浴びる存在となるはずだったのだが……。

菊花賞で燃え尽きたのか、その後の彼は、年明け初戦から引退まで重賞レース11連敗を喫してしまう。
よって、
彼が魅せた勝利は、菊花賞が最後となった。

短期間ではあったが、
その桁違いの末脚が評価され、最強馬として謳われたマチカネフクキタル。
引退後、種牡馬となったが、彼の末脚を受け継ぐ仔を輩出することなく、一昨年に生涯の幕を閉じた。

彼の魅せた末脚こそ、
菊花賞を勝った馬としての記録ではなく、我々競馬ファンの中では記憶として残り続ける。
それほどまでに凄い桁違いの末脚だった。


マチカネフクキタル
父クリスタルグリッターズ
母アテナトウショウ
母の父トウショウボーイ
22戦6勝
主な勝鞍 菊花賞


お陰さまで『名馬たちの記憶』シリーズも第5回目を迎えました。
お読み頂いた皆さん、本当にありがとうございます。

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当記事と合わせて読んで頂けましたら、幸いです!

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