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ピッツァ職人🦍とチーズ職人🥦

ピッツァ職人 


井川直子さんの「ピッツァ職人」(ミシマ社)。最近出たこの本があの時代のすべてを物語ってくれている。

読み進めながら、年甲斐もなく胸が高鳴って、また寝られなくなってしまった。バックパッカーでナポリに辿り着き、日本人たちと飲んでナポリピッツァ職人になろうと決意し、寝入ることができなかったあの日のように。

2000年代前半の、小汚く危険だけど、人情味が溢れたあのナポリの地の、日本でのナポリピッツァ黎明期のあの時代の全てがある。 

職人としての熱意やチャンスなど同じ方向を向いていた同世代のピッツァ職人たちの行動力、葛藤、修行時代の深夜の語り合いなどのシーンが思い起こされ、あの時の街の匂いまでが漂ってくる。

今から20年も前の話だ。
そこにすがるのでなく、同じ時代に生きて、人生のわずかな時間だが同じ方向を見て歩み、それぞれの道をすすみ、刺激を与え続けてくれている友人に敬意を称して、文章を贈ります。

Pizzeria da Tigre

ゴリラこと鹿子嶋健太郎(以下、健太郎)は現在、大阪市西区新町というところで「Pizzeria da Tigre」というナポリピッツァ屋を経営し、5年連続してミシュランのビブグルマンを獲得。今年の "50 TOP PIZZA ASIA-PACIFIC2024" では、19位にも選ばれている。押しも押されぬ名店だ。
Tigreは英語で言う「Tiger(虎)」。阪神タイガースファン、トラキチならではの素敵なネーミング。

そんな健太郎との思い出を少し話したい。


出会い


健太郎とは同じ大学、大阪外国語大学外国語学部(現・大阪大学外国語学部)地域文化学科イタリア語専攻の同期で2000年に入学した。
入学時から馬が合い、冗談を言いながら授業にも一緒に出たり、入学当初は毎日のように会っていたんじゃないか。
健太郎は歌がうまく、一緒にカラオケにいったり、グループでよく集まって飲んでいた。


入学当初、福山雅治の「桜坂」が流れる中、恋バナなんかをしていたのは今考えると本当に恥ずかしいけど、良き思い出だけど、本当に恥ずかしい。
年度も変わり、部活やサークルが異なるため、次第に飲む機会が減っていったが、事あるタイミングで仲の良いグループで飲むことは続けていた。

ナポリの思い出

僕が高校時代に料理の専門学校に行くか、大学に行くかを迷い、大学に行くことにきめ、入学後すぐにイタリア語学科の先輩に相談してイタリア料理店で働かせてもらったことがあった。言い訳になるが、部活などが忙しく、料理人なるという夢も薄くなってしまってい、辞めてしまった。

4年生になる前に休学をし、バックパッカーで世界を見に行くと決めた。
僕が出発する少し前に、健太郎は料理の勉強をしにいくが、イタリアのナポリにまずは語学留学をしに行くと聞いた。出会った頃には料理のことをあまり話ていなかったから、夢に向かっている姿が格好良かったし、内心、少し羨ましくもあった。

バックパッカーに出て日々を過ごし、素敵な縁などもあり楽しい反面、夢を追いかけている人たちに出会う中で、朝からビールを飲んでいる生活が退屈になってきて、そして料理人の夢がふつふつ湧いてきたなかで、少しでも人と話したく、イタリア語を喋ることができるイタリアに行こうと決めた。

モロッコ、マルセイユなどを経て、ナポリに辿り着き、健太郎の家に泊めてもらうことにした。バックパッカー、予定も何もないからどれぐらいの期間かもわからなかったが、ちょうど、日本人2人が住んでいたアパートが空くという。

前述の眠れない夜を過ごしたあとに、まずは行動からと飛び込みでナポリピッツアの修行先を探した。何件か食べ歩き、僕はここぞというお店「CAPASSO」で修行をさせてもらった。

ナポリ弁がわからないので断られていたかもしれないけど、次の日「昨日いいって言ったじゃん」と半ば強引に行ったのがおそらく良かったかもしれない。

聞けば、健太郎もピッツァで行こうと未来を定め、すでに何件かお願いしていたが、日本人なんか受け入れられないと断られていたという。健太郎はまだまだ語学留学中だから修行していないと思っていただけに、ぱっとナポリに来て、先にピッツァのスタートを切ったことはあまり良く思わなかったんじゃないかな。。

若さゆえに

結局ナポリには旅行ビザいっぱいの3ヶ月弱泊めさせてもらった。
健太郎も店を見つけ、僕は昼と夜、健太郎は語学学校へいってからの夜はピッツェリアとお互いピッツァの修行に出かけ、別々の時間軸を過ごしていた。

すでにライバルだったんだよな。ライバルにも自分にも負けたくないから、家に健太郎がいない時間にモップの柄にフライパンをつけ、パイ皿をくるくる回す練習なんかもこっそりしていたとおもっていたら、最近聞くと健太郎もやっていたようだった、笑。

そんな中、お互い休みの日には、ポジターノへ行ったり、モッツァレラ工房へ行ったりもした。

ある日、イタリア語の後輩が留学しているソレントという場所へ一緒に会いにいったことがある。
お酒をのみ、将来の夢を語った。
健太郎と僕はその頃には2人共ピッツァ職人としてのスタートを切り出し、同じ方向を向いてピッツァ談義ができるようになっていた。「この生地がいい。将来はこんな窯にしたい」と。全然タイプが違う2人だからきっと面白いことができるはずだと「将来一緒にやらないか」と、告白にも似た気持ちでドキドキしながら話を僕から持ちかけた。健太郎も「俺もそう思っててん」と返してくれた。もとが馬が合う友人だ。
けれども、話が細かい話になると「俺がピッツァイオーロ(生地を伸ばす方)は譲られへん」「交代でやればええやん」とお互い意固地になったり、僕が「ビジネスとして拡大していきたい」と話をすると、「安い価格で庶民的にする。ナポリがそうだから」と曲げない。お酒も入ってるから口論となり、最終的な原因も覚えていないけど取っ組み合いになり、ソレントの友人が泣きながら止めてくれた。
僕らは若かった。

信念を貫く強さ

喧嘩後にどう仲直りしたか忘れた。
僕はその後、トレンティーノアルトアディジェ州で酪農家さんで住み込みで働いて帰国した。
僕は名古屋で既にピッツァレストランで働きながら大学に通い、6年生、一緒の年に卒業することができた。

ネクター


健太郎はシンガポールやオーストラリアでピザを焼いたりと別々の道を歩んでいった。
僕は主戦場を変え、健太郎と一緒に食べに行った出来たてのモッツァレラチーズを仕事にしていくことを選んだ。

健太郎は「安くて庶民的なピッツァをやる」と言っていたように、マリナーラのピッツァを800円で提供し続けている。そして、店内に入るとイタリア愛に溢れた写真が飾られ、イタリア特有のアーチ構造がある店内はどこかイタリアにある店と言われてもわからないだろう。
大の阪神ファンであるから店名にも虎を。ぶれない。

僕は、ピッツァもやっていないし、イタリア大好きだけれど、店名にイタリア語すらつかっていない。ピッツァも冒頭の「ピッツァ職人」の主人公のタクミくんや万博のときに出会った若い職人には叶わないなと、おもい、諦めた側だ。店にイタリアらしさはない。保守的でなく、新しい価値に重きを置いてきた。

どちらがいいとかではないけど、こういうタイプは強いな、すごいなと純粋に思う。

健太郎はすごい。
信念を貫く強さがある。丁寧さがある。好きなことを突き詰める根気がある。アジアで19位。やり続けたってすごいよ。

10周のスペシャルイベント

健太郎のお店da Tigreも10周年を迎えた。

そこで初のイベントを僕と一緒にやろうと誘ってくれた。
da Tigre × CHEESE STAND
6月18日(水)

僕らは練りたてのモッツァレラを作るのと、CHEESE STANDのチーズを使って、ピザを。

イタリア語の先輩や、同期、後輩たちもきてくれて胸熱でした。

(先輩・野村雅夫さんのラジオで紹介してくれてました!)

20年の時を経て、道は違えどお互いが経験を積んでプロフェッショナルになって、行うことができたイベント。出来たものを旧知の方たちを含め皆が美味しいと言って笑顔で食べて頂けた幸せなイベントでした。

健太郎のスピーチでは、あー同じこと考えてたんやな、懐かしいなー、と少しうるっとくることも。

楽しかった、またやろう!


ンホッ🦍


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