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『コーヒーについてぼくと詩が語ること』を語る

1 コーヒーの語り
 
 コーヒーをめぐって、あれやこれや、語ってきた20年だった。
 「コーヒー文化研究」にも散発的に寄稿してきた。「詩とコーヒー」をテーブルのうえに並べて、なにごとかを語ろうとした。
 コーヒーという具体的な飲料に対する興味に支えられながら、コーヒーを通して見えてくる世界の広さと深さに魅せられてきた。そんなぼくの20年だった。

 今回、コーヒーを語る旅を、『コーヒーについてぼくと詩が語ること』として一冊にまとめることができたのは、皮肉にもコロナ禍で自宅待機を余儀なくされた数ヶ月のおかげでもあった。
イスラーム、戦争、文学、哲学と、どんどん横道、脇道にそれ、迷走しながら、拡散していく「語り」を、編集者の粘り強いサポートに助けられ、再構成し、さらに注釈をいれることで補強しながら、なんとかひとつの本にまとめあげることができた。

 この本は、「15世紀にイスラームの地で生まれたコーヒー飲用の文化から、21世紀現在のコーヒーの新潮流までを、20年以上にわたって親しんできた古今東⻄の書物から読み解き、縦横無尽に語り尽くしています。巻末には約50頁にわたるコーヒーの基礎知識と注釈、参考文献付き。コーヒーを愛するすべての人に、また、コーヒーやカフェの仕事に携わる人にはいつもと異なる視点からコーヒーを眺める機会として、楽しんでいただけます」と、リリース文にある、いささか風変わりなコーヒー本だ。

 本の帯には、大坊勝次さんのまるで詩のような文章。

 ちょっと立ち止まって
 一杯、コーヒーを飲もう。
 コーヒーの話を聞こう。
 イエメンのスーフィーたちの
 豆をひく男の
 ジュゼッペ・ウンガレッティの
 世界中のコーヒーを
 飲む人達の話を聞こう。

 そんな物語が、たしかに、この本で語られている。
その語り手が、ぼくと「詩」だ。

 コロナ禍時代にコーヒーを考えることは、そのまま、現在の世界を考えることになるだろう。ジェット機をはじめとした時代の最先端の交通手段が封印され、世界中の人間が、同時に、自分の国に、地域に、自宅に、ひきこもって生活することになった日々。
そんな日々、遠い異国で生産された、顔も見たこともない人たちの手によって作られ、誰かの手によって運ばれてきた貿易商品でもある「コーヒー」が、自宅で飲めることの不思議さ、ありがたさ、そしてその意味を、つらつらと考える数ヶ月であった。

 本書は4章からなっている。
1章は、イスラームで生まれたコーヒー飲用文化の世界、そして日本への拡散と伝播について。2章は、カフェという「場所」をめぐる考察。3章では、コーヒーを通して戦後日本を眺めている。
そして4章では、ユーカーズの『All About Coffee』をナビゲーターにして、詩とコーヒーを論じた。
 どの章にも、詩が登場し、映画が顔を出す。
巻末には、コーヒー初心者向けの基礎知識、そしてイスラーム関係を含め、歴史的な事項などについての注釈。さらに、引用した詩集、参考文献を多数掲載したのは、この本を入口に、読者の関心領域がどんどん広がっていくことを願ったからだ。この巻末の50ページを、脱線だらけの「語り」のおさらいとして、読者に受け取ってもらえたなら嬉しい。


2 さまざまな「出会い」

 ここで、本書が出来上がるまでに、ぼくの「コーヒー遍歴」において出会ったひとびとを、感謝の念をこめて、紹介したい。

 ぼくは、大学を出てすぐに入社した出版社で、コーヒーの文化雑誌の創刊チームに配属された。編集長は山内秀文さん。彼に出会ったことが、ぼくとコーヒーとの数十年にわたる旅の出発点だった。山内さんは、すでにコーヒーの専門書を数冊、手がけていた。彼自身が編集者であり、コーヒーのスペシャリストでもあった。手網の豆炒り器でコーヒーを焙煎する楽しみも、教えてもらった。

 それから編集者として、さまざまな取材先で、職人として、そして何より人間として個性的で魅力的なコーヒー屋の店主たちと出会うことで、コーヒーの奥深く、不思議な世界に引き込まれて行った。
 1年間の連載を通して、そのひとの技術と美学にふれた「カフェ・ド・ランブル」の関口一郎さん。
鮮烈な味の記憶と、井の頭公園の風にコーヒーの甘い香りを流してくれた「もか」の標交紀(しめぎ・ゆきとし)さん。
果てしない会話のなかで、技術を支えるロジックを教えてくれた「カフェ・バッハ」の田口護さん。
コーヒーを通して、世界を見る「知の技法」の可能性を教えてくれた「あんねて」の森尻純夫さん。
そして、人生の嵐に難破しそうな折々に、まるで断崖絶壁にたつ灯台のような「大坊珈琲店」の大坊勝次さんの、変わることのないコーヒーに向かう真摯な姿勢に救われた。
個性的な彼らの語りと生き様が、ぼくのコーヒーの語りのエンジンとなったことは間違いない。
 そして、さまざまなひとが集う「日本コーヒー文化学会」。この学会には、出版社時代、出版部長の三ツ木清さんに誘っていただいた。この学会の立ち上げに尽力された三ツ木さんに、設立準備から声をかけていただいたおかげで、日本コーヒー文化学会と深くつながることができ、ぼくの「自由奔放」な語りを受け止めていただけるコーヒーの多くの友人たちと出会うことができた。

 さらに、コーヒー研究家のおふたり。
 ひとりは、豊橋市に在住されていた伊藤博さん。伊藤さんは、ながらく日本コーヒー文化学会の副会長をされていた。『珈琲探求』(1984)を担当させていただいた。伊藤さんの優しい語り口と、コーヒー研究に傾けられたしずかな情熱にふれるため乗った新幹線こだま号。
もうひと方は、詩人でもあった、文章の達人、井上誠さん。
 直接、ご本人にお会いすることはかなわなかったが、亡くなられた1985年、ぼくは柴田書店の『月刊喫茶店経営』で追悼記事を担当させていただくことになった。その折、コーヒー関連の書籍や遺品などを撮影するために、故人のご自宅にお邪魔させていただいた。
 そのときに目にした、故人が最も信頼を寄せ、愛読したウィリアム・H・ユーカーズの『All About Coffee』1935年の改訂第2版のことが、忘れられない。
B5判、2段組、818ページの大著。そこに井上誠さんの書き込みがびっしりとあった。その後、ユーカーズの『All About Coffee』を語るたびに、そのときのことが思い出され、ぼくのなかで、ゆっくりと「熟成」されていった。

 改訂第2版の出版から60年後の1995年、UCC上島珈琲株式会社の監訳による全訳の日本語版が出版された。この全訳本とともに、ユーカーズが渉猟した「コーヒー詩」を読み込むことで、1998年発行の「コーヒー文化研究」第5号に「『詩とコーヒー』試論への断章」と題した、長い断章を書くことができたのだ。この断章は、本書では、第4章のベースとなった。

 こうしたいくつもの出会いを経て、アラビアからヨーロッパ、アメリカ、そして日本の詩人たちの「声」が、ぼくひとりぼっちの語りではない、不思議な交響曲のようにひとつの楽曲へと、一冊へと、収斂していったのだ。


3 「We」が語ること

 本書の英語タイトル「What We Talk About When We Talk About Coffee」は、レイモンド・カーヴァーの短編小説「What We Talk About When We Talk About Love」からいただいた。     
邦題『愛について語るときに我々の語ること』(村上春樹の邦訳タイトル)は、二組の夫婦が、ひょんなことから、「愛とはなにか」についてお喋りをする、たわいもない、ごくありふれた物語だ。「愛」についてわかった風な口をきくことの気恥ずかしさ、照れ隠しのようなものも、このタイトルにはにじんでいるだろう。
 それでも、4人は4人なりの「愛」を、偶然のようにして、語りだす。もちろん、そこには、結論も、同意も、共感さえもないのだが。ただただ、台所のテーブルを囲んだ4人が、ジンを飲みながら、「愛」について語る時間が、偶然にもたらされ、だらだらと、時間が過ぎ、4人は、ゆっくりとジンに酔っていく。
 ただ、それだけの話だ。
 それだけの話が、短編小説に結晶した様子は、なにか、拍子抜けするくらいのものだが、そこに流れていた気まずい時間、空気感が、それぞれのリアルな、あるいは切実な「愛」とか、もしかしたら、人間という存在を浮き彫りにしているかもしれない。およそドラマチックで、情熱的な「愛」とは、ほど遠いところで語られる「愛」にふれた感触だけが残る。

 さて、ぼくの、コーヒーについての語りはどうだろうか。
 「ぼくと詩」が語る、コーヒーをめぐる語りにも、町はずれのしけたカフェで、あえてコーヒーではなくて、ぬるいビールでも注文しながら、イスラームから始まるコーヒー飲用をめぐる語りが、始まればいいと思ったのだ。結論のない語り。クールでも、情熱的でもないかもしれない、ぼくと詩の、コーヒーをめぐる語りの旅に、このタイトルはふさわしいのではないか、と思ったのだ。

 タイトルについて、もうひとつ付け加える必要がある。
 「We」の正体だ。
 ぼくたちとは、「ぼくと詩」とすでに書いたが、では、なぜ詩なのか。なぜ、語り手として、「詩」が登場するのか。そこにも、やはり、ひととの出会いがあった。

 まずは、『コーヒーが廻り 世界史が廻る』(1992)、出版間もない頃の臼井隆一郎さん。
 イスラームの地で発祥したコーヒーという「商品」を世界史に寄せながら著述したこの新書に、すっかり魅了されたぼくは、いつのまにか、当時の彼の職場だった駒場にある大学の研究室に定期的に遊びに行くようになっていた。バブル崩壊後の1990年代なかばのことだ。
 彼の研究室で、旧約聖書の物語から、イスラームへと、世界史を辿り直すことで、見えてくるコーヒー文化の荒野に、ふらふらと、ぼくは迷いこんでしまった。そして、その荒野は、やがて文学や思想といった、ぼくが十代の頃に夢中になっていた場所でもあることに気づいたのだ。
 この時期に、ぼくは、大人になってから封印していた詩を、ふたたび書き始めたのだった。
 そして、もうひとり。
当時、臼井さんの駒場での同僚だった国文学者で詩人の藤井貞和さんだ。
ちょうど、ぼくが第一詩集の準備をしていた1996年くらいのことだった。駒場の居酒屋に、詩人たちが来ているからと言って、臼井さんに誘っていただいた一夜があった。その席には、ぼくの高校時代の憧れの詩人であった清水昶さんもいた。清水さんのそばには加藤温子さんも。そして、藤井貞和さんがいた。
 このとき、初対面の藤井貞和という詩人に強い印象を抱いたのだが、それがどういうものだったのかを説明するのは難しい。
 その後、藤井さんの詩集、国文学研究者としてのラジカルな著作群などを読み進めていくうちに、すっかり彼の世界に、彼の「語り口」に魅了され、大きな影響を受けて、今日にいたっている。

 1991年に起きた「湾岸戦争」を契機に、詩が、現実の戦争に対してどうあるべきなのか。あるいは、古今東西、詩のなかで「戦争」がどう扱われ、それが現在の戦争に対して、どういう態度を表明し、未来の、未出の戦争に対して抑止も含めて有効なのかどうか。
藤井貞和という詩人は、そんなことを大真面目に問いかけ、実作してみせた。そうした詩人の振る舞いに対して、「何を世迷言を」的な嘲笑や批判を受けても、愚直なまでに、言葉と戦争、言葉と原発事故などと正面から相対して、詩を、文学を語りきった藤井さんの情熱に、魅了されてしまったのだ。
 詩の実作と、詩の実作を支える誠実な論考の営み。その藤井さんの仕事ぶりに、詩とコーヒーを語るうえで、通じるものがあるとぼくは直感的に感じた。つまり、自ら詩の実作を続けながら、いっぽうで、詩とコーヒーを語ることが世界を語ることにつながる。まさに、コーヒーと詩を並べることで、ぼくたちには、「語るべきことがある」と直感的に思ってしまったのだ。

 こうして、ぼくの語りの相棒として「詩」となり、ぼくたち=Weとなって、一冊の本となったのだ。


4 コロナ禍の現在において

 世界中がコロナ禍の呪縛から自由ではない現在において、コーヒーと詩をめぐって、もうひとつのことを語ろう。

 『コーヒーについてぼくと詩が語ること』の版元である書肆梓は、自分の第一詩集を私家版として出したときに、ぼく自身が作った小さな「出版社」だ。
当初、「書肆梓」は、私家版の詩集を出すレーベル名として、自分の詩集、友人の詩集を数冊、作ったのだ。
やがて、プロに装幀をお願いし、印刷所で印刷し、ISBN(書籍の国際コード)を取得し、一般の文芸書も出版し、町の本屋さんで販売するようにもなった。
 ただ、ごく小部数の出版で、一般の書店流通にのせることもなく、大手ネット販売サイトへの登録もしないままに、数年がたった。

 そして、2020年。
 出版不況が言われて久しい。町から本屋さんがどんどん姿を消していく。好立地で、広い売り場面積が必要な書店という商売は、本や雑誌が昔ほど売れなくなったいま、採算をとるのが難しい時代に入ったと言われている。でも、そのいっぽうで、町の裏路地には、新しい、小さな本屋、古本屋が生まれてもいる。小規模ながら、その数は増え続けているそうだ。
「小商い」というのだろう。
 豆腐屋さんや、魚屋さんが町から消えて、豆腐も魚もスーパーで買う時代、いままた、あたらしいカフェが町に生まれるみたいに、お豆腐屋さんを始めるひとがいるらしい。手作り豆腐の魅力にひかれて、豆腐屋で修業して、開業したという二人の若い女性のように、若い世代で、こうした「小商い」を新規に始める、そういう動きが日本のあちこちで、起き始めている。どうも、そんな気配がある。

 出版業、出版流通、書店業は、産業としては頭打ちかもしれない。世界を席巻するネット・ビジネスに、日本で百年もかけて構築された産業が、「業界」が、負けてしまう現代において、出版業でも、ひとり出版社、町の独立書店、本屋さんが、どんどん生まれ、敢然と戦いを挑んでいる。
 いや、そうではない。
そもそも、かれらは戦いなんて挑んでいない。めざしている世界が違う。
 なんでもかんでも、「戦争」の用語を使って、ビジネス戦争を戦い抜こうしている資本主義経済そのものの舞台から撤退したふりをしながら、あくまでも貨幣経済の利便性を手放すこともなく、ひとから「健康と時間」を奪ってマネーを供給する労働社会からエスケープして、笑顔と、ちいさな「ありがとう」の連鎖のなかに、小商いを立ち上げようとしている。
そんな小商いとしての全国の「本屋さん」と連携して、これからぼくは、作った本を、未知の読者に届けたい。
 これからの新しい「商売」や、本作りと、本の流通と、販売、つまり、書き上げたものが、どんなふうに構成、編集され、校正、校閲され、デザインされ、印刷、製本されて、流通し、読者の手に、だれによって渡して(売って)もらえるのか。その全領域において、すべてのひとの顔が見える関係ができたら、どんなに素敵なことだろうかと、妄想してしまう。

 いまや、自分が焙煎しようとしているコーヒー豆が、どんな農園で、どんな表情を持った人たちによって栽培されているのか、知ることができる。そんなふうに、作ったひとと、運ぶひと、そして売るひと、それをいただくひと、このひとたちの「顔」が見えるなかで、本を書き、本を作り、届けることができたら、どんなにいいだろう。

 今回、本の奥付(クレジット)には、編集、校閲、装幀者の名前とともに、印刷の営業、現場のみなさんのお名前も載せさせていただいた。いちいち名前をあげることはできないものの、町のなかのカフェのような佇まいの本屋さんで、ぼくの本が、未知の読者に、コーヒー愛好家に届けられたら、と。
そして、その本屋さんのご近所に、豊かな香りのコーヒーが飲めるカフェがあったら、なお嬉しい。
そんな町があるだけで、きっと世界は、未来は、すこしだけ明るいものになるだろう。


書名:『コーヒーについてぼくと詩が語ること』
   ■初版発行:2020 年 9 月 1 日
   ■著者:小山伸二
   ■編集:清水美穂子
   ■校閲:山内聖一郎
   ■装幀:福井邦人
   ■印刷製本:藤原印刷株式会社 
         営業:藤原章次/印刷:山田進・種山敏明・小澤信貴・小宮山裕樹
   ■判 型:四六判 328頁
   ■ISBN:ISBN978-4-910260-00-6 C0095

(本稿は、2020年12月6日の日本コーヒー文化学会・記念集会での講演をベースに書いたものです。)

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