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若月俊一「村で病気とたたかう」を再読。そしていよいよ東京オリンピックも始まる。

そんなわけで、地域医療の古典、いやバイブルといってもいいかもしれない、若月先生の岩波新書「村で病気とたたかう」。

本棚をそんなに奥まで掘らなくてもでてきた。でも、しばらく読んでいない。たぶん、「プライマリ」書いたときが最後に読んだときだと思う。その前に読んだのは学生のときか…それとも研修医のときか…

 奥付を見る。1971年4月23日 第一冊発行。自分のは、第10冊。1993年とある。うーん。となると、研修医のときかな。学生のときに読んだ気がしたけど、それはもしかすると実家に転がってたものかもしれないし、図書館で借りたものだったのかもしれない。

 ともかく、話として面白い。若月先生ドラマチック。戦時下収監されて、転向して大学に復帰し、敗戦を覚悟して昭和20年3月、信州の佐久病院に降り立つところから始まる。さまざまな困難を乗り越えて病院を発展させていくところは、まるでRPGのようだ。

 「私の結論はこうだった。進歩的なインテリゲンチャ、特に技術者は大衆の中に身をひそめて、大衆とともに闘うことが本すじなのではないか。(p10)」

 いやー。青い。暑い。いや熱い。

 「…それには今の大学の教育がいけない。あまりにも専門技術主義に過ぎる。貧しい農村で働くことこそ医学のヒューマニズムではないか。じっさい農村の日常の診療の中に、解決しなければならない重要な医学的テーマはいくらでもころがっているではないか。(P109)」

 ふむふむ。

 若月先生は病院長でありながら劇団をやったり、映画をとったり、学会をひらいたり、まあアクティブ。どこからでるんだこのバイタリティ。予防活動を行い、その効果をデータで示した、とある。2021年目線でいうとまあその発表はプリミティブなものではあるが、情熱に任せるだけでなく、極力科学的であろうとする姿勢は素晴らしい。最後は国際学会の開催と、農村医科大学構想を披露して終わる。壮大だ。

 おわりに、にはこんな一節がある。 

「医者は、単なる技術者であってはならないのではないか。従来の医者はあまりにも「生物学的」にすぎた。もっと「人間的」「社会的」医者であってほしい、と国民は願っているのである。」

 今のパンデミックの状況と照らし合わせると、さらに深い一節である。

・・・でも。たしか「プライマリ」を書いたときも、強烈な違和感を感じたのはこの部分だった。たしかに人間的・社会的医者であるべき、というのは当然だけど、じゃあ、どうすればいいの?現在の佐久総合病院は、人間的・社会的である、と果たしてほんとうに言えるのか?

  東京は日々感染者は増える。緊急事態宣言が出ているけど、町は人でいっぱい。不要不急の外出を控えるように、といっても、オリンピックは着々と開催準備が進んでいる。そして、開会式はいろんな問題でガタガタだ。いつの世も、社会は矛盾でいっぱい。

 もやもやしながら日々はすぎる。

 まあ、そんなこと考えていても始まらない。まずは立ち止まらず、前へ進まないといけないな。いやでも仕事は目の前に現れる。なんとかしないといけない。続けないと。続けるんだ。

 自分の頭からは何もでてこない。じゃあ、とりあえず誰かと話をしながらヒントを探っていくか・・・あくまでも他力本願。そうこうするうちに、あと締め切りまであと1か月。あんなに先だとおもっていた東京オリンピックもいよいよ始まる、ようだ。

 (果たしてどうなるのか?感染者がぐんぐん増える中、日々の仕事しながらそんな準備できるのか?)



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