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13年前からのメッセージ、そして世界は変わる。

 Aさんからのメッセージ

 翌日も朝からPPEを着ての訪問診療。新規の陽性者や在宅患者さんの発熱対応などでバタバタしてばかりいてゆっくりはできない。ただ、外来はこの間は休みなので、時間的には余裕は少しある。このまま東京の感染状況が悪くなるのであれば、通常診療は制限もしくは中止せざるを得ないか、、と考えていたところだったのでこの一週間はその状況に近い、とみなせばまだましか、と思えなくもない。政府の対応はこの状況でもほぼ感染をコントロールするという強い姿勢は見せてくれない。オリパラをやっている間は動かないのかなとも思っていたけれど、もしかするともうこれ以上は何もしない、というかできない、と政府が腹をくくっただけなのかも、とも思い始めた。  

 若干絶望的な気分でいると、いろいろなところから東京の危機的状況を伝えるアドレナリン全開の発信が目に入る。まあ、世間の人と我々のような最前線とのギャップは確かに感じるので、そのリアルな実情を発信したくなる気持ちはとってもよくわかる。だけれども、今は不平や不満をやみくもにぶつけるよりも、やっぱりここは地に足をつけた活動を続ける時期なのでは、、、とも考えてまたもやモヤモヤする。淡々と地域で対応している医師や看護師、保健所職員などは、その場その場でできることをしていて発信する時間はない。彼らの気持ちを思うと、とにかく、今は僕は僕にできることを続けるだけだ。ただ、誰がどういうことを言って、どういう行動をしたかについてはよく覚えておこう。そして後できっちり落とし前はつけさせてもらおう。

 そうこうしているうちに「プライマリ」生みの親であるAさんから、メールの返信がきた。

 先のメールでは、秋季セミナーで行う予定にしているプレゼンテーションの内容的なことはあまりお伝えしてなかったので、そこについての言及はそれほど多くはなかった。けれども、頂いたメールの中で、私が今やっていること、考えていることについて、「年月がたって、変わっているのに、変わっていない」との表現を用いたコメントとともに、そして当時某先生が私の立ち位置を喝破した、「周回おくれのトップランナー」という迷?キャッチコピーを用いて励ましてくれていた。

 ありがたい。

でも、それって普通に考えてビリじゃね?

 って当時は思ったけれど。

今では自分がトラックを「走っている」こと、そして「走っていることを許してもらえている」こと、そしし今でも「走り続けていること」を評価することも大切なのだ、という事と、とらえている。それならば理解できる。そして、それを敢えて「トップランナー」と表することも、また。

 メールの文末に、13年前にAさんが私に向けて発信したメールの文面を貼り付けて再送してくれた。本のタイトルもまだ決まっていなかったころに、序文の前にもうひとつ文章を足すよう、依頼の文章とともに送ってもらったものだ。

 当時、タイトルを何にするかあれこれ迷っているうちに、ある日診療を終えて家に帰る途中、だいたい散り終わった桜の花びらを踏みしめながら、なぜか突然タイトルを思いついたのだった。そのことについては本書のあとがきに書いた。そしてそのあと、一気にその「檄文」を書きあげた。

それが冒頭の「プライマリでいこう」にあたる。

「自覚せよ、君たちはマイナーなのだ。」

 「いつまでも前を目指して、進め。」

 40手前のいい大人が書く文章じゃあなかったけど。そしてスマートさにも知性にも欠ける文章だった。そのことについて、お前の文章は単なるポエムだよ、とさんざん友人たちには馬鹿にされた。そしてそのことは当時の自分もよくわかっていた。

 13年前にいただいたメールにも、こう書いてあった。

 「本書のキーワードは、ふつう、と続ける、という事ですね。」

 そうなのです。そして、今もそこは変わっていないのです。

 ただ、それを、今このコロナ禍、特に災害級に現場が混乱しているこの時代の中で、迷いながらも奮闘し続けている地域へむかう医師たちへ、どう伝えていくか。締め切りは迫る。しかし、迷いが多くまとまらない。そしてその作業は遅々として進まない。無情にも時間だけが過ぎて行く。

 パラリンピックがいよいよ開幕

 そんなこんなだったのでもう午後は作業はやめて、ちょっと気晴らしに本を読んだり、映画を見ることにした。そもそも夏休みだし。

 本当はドライブ・マイ・カーを見たかったんだけど、さすがにこの状況下では映画館に行くのもためらわれる。

 ということでアマプラで古い映画、それもあまり頭を使わなくてもいい昔のミュージカル映画を見たり、前に買っておいた、内田百聞や沢野ひとし、石川直樹さんの本を読んで過ごすことにした。

 旅行記は特にこのコロナ禍で読む機会が増えたものだ。特に、石川直樹さんの本は今回初めて手に取って読んでみた。

 石川直樹さんは、もちろん偉業を成し遂げている人なんだけれども、あくまで自分のことを冒険家とも登山家ともいわず、写真家と呼んでいる。それはおそらく本人の中で、何が一番大切なものであるのかを示す、彼のアイデンティティというかアティチュードの現れなのだろう。

 最近読んだ、ネットのこの記事の中でも石川さんは言っている。

「頂上はたくさんあるうちのひとつのゴールでしかなく、そこにたどりつくまでのプロセスが大切。もちろんたどりつけなかったとしても」

 当たり前、といえば当たり前。でもこういうことをきちんとした言葉で、まっすぐ前を向いていうことが、結果にこだわり続けている今、特に必要なのだ。

 夕方になり、ニュースがおわってしばらくしてパラリンピックの開会式の中継がはじまった。パラリンピック開催の意義は十分に理解できるけれど、さすがにこの状況下では医療従事者としては観る気がしない。ただ、あえて消すのもなんだし、そのままテレビはつけっぱなしにしていた。

 食事を終えた私は、風呂に入って部屋に戻り、昼間読んでいた本の続きを読むことにした。何をしたわけでもないが、ここ数日の激務で疲れたこともあって早くに睡魔が襲ってきた。部屋を出て、居間に行ってみるとパラリンピックの開会式はまだやっていた。オリンピックの開会式の時と同じように、ずいぶん時間がかかった様子だった。私は寝ようと思って歯磨きにとりかかった。まだまだ終わりそうにない。床にもどってさっきの続きを読み始めたら、あっという間に眠りにおちてしまった。

 翌朝、前の日早く床に就いたせいもあってかなり早い時間に目が覚めた。なんとなしにツイッターのトレンドを見てみたら、そこに中村一義の名前があがっていた。なぜ中村一義がこの時期に?…と思って調べてみたところ、パラの開会式に彼の曲が使われたとのこと。

 新曲?と思って調べてみたら、新曲ではなく、ちょっと前にすでに出ていたこの曲のことだった。

 当時、いろいろあって僕がだいぶ凹んでいたときに、気に入ってよく聞いていた曲だ。パラリンピックに、どんな理由で、どんな意義をもって、使われることになったのかは記事になっていなかった。いったいどんな理由なのだろう。

 でも、この曲の中にある、

  蒼い星々、目指して唄う。
  バカを言ってたって、笑って進む。

という、歌詞には当時だいぶ励まされたことを覚えている。いろいろつらいことがあっても、仕事や生活の中では、やっぱりそれを隠して、笑顔をみせなければならないこともある。そして、こんなコロナ禍の中で、それでも気持ちを奮い立たして前へ進むような気持は、心のどこかで、いつまでも持ち続けたい。

世界は変わる。

そのために自分も変わる。

まあ、自分は常に変わり続けるのはあたりまえだ。ただし、そのプロセスを評価できるかどうかは、自分が自分を肯定できるかにかかっている。他人からではなく、自分から。

とはいえ、プロセスばかりだと結果は伴わないんだよな。

やらなきゃ。

(ますます追い込まれていく、大丈夫か俺?そしてこのNote公開できる日が果たして来るのか?)







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