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こころをみつけるにはふたつ以上のこころが必要って話にうなずいているうちにプレゼンがだいたいできた

いよいよ1週間前

 先週末は編集作業をしてそのままパワポを作成したところで力つきた。その後の1週間はレセプト後の作業とワクチン集団接種業務があり、まとまった時間がとれず作業はほとんど進まなかった。まだまだコロナはパラパラとだが出ていたが、だいぶ改善してきている。パラリンピックも終わり、総理も交代することが決まって、なんだか世間はちょっと踊り場でたむろしているような感じになっている。そんな中、セミナー事務局からは矢次早の事務連絡。事前作業はないかの確認、当日の段取りの連絡。そして、参加予定者リスト。見てみると…がーん。100人以上いるじゃないか。もちろん事前登録者と当日の人数は大きく変わることはいつものことなのだが、裏番組に魅力的なプログラムが多数あるので、僕のこの謎なタイトルな謎なプレゼンは誰も興味を持たないのではという予測にも関わらずこの登録者数。うーむ不思議だ。いや、そんな不思議がっていないで、これはきちっと作りこまないといかん。とは思ってみたものの、ここ最近の業務の過密さでココロも体も働かない。すこし感染者数も減ってきたことだし、ということで久しぶりに二子の紀伊国屋にちょっとよって、このところ気になっていた新刊を数冊買ってきた。それを水曜日にあった集団接種の仕事場にもっていき、空き時間に何冊か読み終えた。

そのうちの1冊が東畑開人さんのこの新刊。

 昨年ちょっとした事情があって週刊文春が毎週送られてきていた。いわゆる文春砲だけではなく、いろいろな人たちの連載を楽しみにしていたのだが東畑さんはその連載陣の一人だった。東畑さんの本はいわゆる「ケアをひらく」シリーズの一冊、「居るのはつらいよ」通称「イルツラ」をすでに読んでいたのだが、このエッセイはそれとはだいぶ毛色が違う、面白系である。同じ文春でいうとクドカンや土屋賢二の路線に近い。タイトルは何年か前の人生指南エッセイ「チーズはどこに消えた?」をもじっている。

ただ、心理学には疎くそして興味もそれほど深くない私にとっては、こちらの面白エッセイ連載のほうが受け入れやすい。

 折り返しのところにある言葉。

「心が一つ存在するには、心は必ず二ついる」

たしかにそうだ。こころは、からだでも、物でもない。そしてこころをあらわすには言葉が用いられるが、それをもちいても言葉の隙間から零れ落ちてしまうものが果てしなくある。だからこそ心と心がぶつかってできるエピソードをいくつも重ねることによってなんとか心を浮かび上がらせようとするのだ。

 前書きから。

「それでも心は存在する。

 どこに?

 エピソードの中に。」

 そして、今や私たちはパンデミックに代表される、大きな物語に翻弄されてきた。その大きすぎる物語に引きずられ右往左往している。

「大きな話はもう十分だ…(中略)…今、必要なのはエピソードだ。小さすぎる物語だ。」

 なるほど。小さすぎる物語を重ねて、こころに迫ってみる、と。

 リハーサル実施。

 土曜日はなんだか急に読み返したくなった1Q84なぞを読んで、頭を落ち着ける。一夜明けて日曜日。いよいよプレゼンの最終仕上げ作業開始。これまでに作ったスライド枚数は60枚くらいなのだけれど、動画インタビューを交えて、自分が話をした場合、全体がどのくらいの時間になるのかは見当もつかない。その前に週末、COVID関係のプレゼンや、最近多くの若手の先生たちがアップしているYoutubeの動画などをちらちら見て、自分のプレゼンとの方向性の完全なる違いにあらためて気づかされる。まあいい。これからの私たちに必要なもの。それは。

 多様性と寛容。

 野党か、というツッコミが脳内に響く。

 午前中いっぱいかけてスライドを見直し、動画の動きを確認。全体の話の流れも確認。アニメーションなどの微調整はまあ後回しにして。

 昼食をたべてからふたたびPCの前に座り、ストップウォッチを走らせながら、リハーサル。ひととおり話をしてみる。本当はオーディエンスがいたほうがいいのだがこれはやむを得まい。恥ずかしいし。いろいろ細かいところで手間取ったり、うまくいかないでモタモタするところもあったがなんとか終了。中田敦彦や林修先生のようには当然いかず、ピース又吉のようにもいかないのだがまあ仕方ない。こっちは素人だ。とりあえず一通り全体を通して終了。

… 1時間32分。

 うーむ。

 思った以上に尺が短かったか。しかしこれ以上動画を編集する気力はのこっていない。先日準備したオープニング動画に加えて、プレゼンには直接関係はないけれど、以前から講義などでつかっているクロージング動画も使うことにした。それでも、20分くらい余る。

 ま、ここは質疑応答にするか。しかしそもそもこのプレゼンで質疑応答、できるのか。いや質問なにも出なかったらどうしよう。歌でも歌うか。いやいや。それではまるでコロナでちょっと変なことになった人達と同じになってしまう。
 とにかくプレゼンを増やしたり伸ばしたり中身を変えたりはこの段階からは無理。あきらめよう。まずは完成。パチパチパチ。結局自分の本と、それぞれのインタビュー相手との会話とにだいぶ頼ったものになってしまったが。

 まずは、インタビュー相手の、W先生、B先生、S先生、T先生、そして影の放送作家Kさんに出来上がったファイルを送って「こんな感じです」という連絡と確認。

 そしてちと恥ずかしいけれど、SNSでも告知を開始することに。

 どうせ、いずれわかることだしな。

 日が傾いてきたら、外はもうすっかり秋の夕暮れ。うろこ雲。ススキ。虫の音。そして、金木犀のほのかな香り。そういえば、8月が終わったと思ったら、もうお彼岸。9月だ。

 ドント・トラスト・オーバーサーティ。

 信用されない大人になってから四半世紀。でもこころを見失わなければ大丈夫。こころはどこに消えた?

 ふたたび東畑さんの「心はどこに消えた?」のあとがきより。

「誰かの小さすぎる物語が、まったく異なる境遇にある別の誰かの小さすぎる物語を喚起する。おはなしには、別のおはなしを呼び覚ます深い力がある」

 小さすぎるお話。はたして深い力があるのか?

(いよいよセミナーは1週間後!つづきはあるのか?)





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