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ポケットの中の死

2021年12月29日
 タイプライターを手放した。代わりにスマートフォーンで書いている。これは手のひらサイズのタイプライターだ。いつでも直ぐに書くことが出来るのが大きな利点。
 ホットカーペットの上で、いや下で、いややっぱり上で、黒猫が気持ちよさそうに寝ている。薄目を開いて寝ている。ホットカーペットの暖かみが身体全身にいきわたるようにホットカーペットと自分の体を密着させている。まるで磁石に吸い寄せられているかのように、身体とホットカーペットが密着している。黒猫のお腹の辺りが呼吸によって上下する。それを見ることによって、彼女がちゃんと生きている事を確認出来る。でなければ死んでいるように見えてしまう。ときどき耳がぴくっと動く。手や足の先が痙攣するように動くこともある。
「ううーん」
 起こしてしまった。小さい声で唸る。ラジオをチューニングしている時に出てくるノイズのような声。ずっと眺めていたからだろうか。実は視線を感じていたのだろうか。黒猫は身体を起こして一目散にご飯が置いてある場所に歩いて行った。お腹が空いて目が覚めてしまったのかも知れない。ご飯を食べてから戻ってくると、僕の顔の匂いを嗅いでから再びカーペットの上に寝転んだ。さっきとは違う体勢。左腕を枕にして。カギ尻尾のそれは日の当たるところで寝ているのだった。

「ズボンの色が変わってる」とズボンの或る一部分を指差して言う。「もしかしてオシッコ付いたんかな」と心配そうに言う。パジャマのズボンだった。
「もしそうやったら着替えたらええやん」
「パジャマから着替えた時に穿き替えたらええか」
そうやな、そうしたらええ。
 もうすぐ年が明ける。年は毎年明ける。明けない年はない。なぜなら時間は止まらないから。本当は止まっているのかも知れない。全て森羅万象が止まって、再び時間が進み出しているとしたら、誰も時間が止まったとは気づかない。すなわち時は止まっているとも言えるし止まっていないとも言える。
 絵が描けない。ハートマークがうまく描けない。描き初めは左上からじゃなくて、下の尖んがってるとこから描いたらええねん。と説明してもその通りにしない。だから大きなホワイトボードにはたくさんの文字が書かれている。なぜか割り算を筆算した跡がある。777÷3。テレビの放送局の名前が書いてある。SDGsと書いてある。ホワイトボードが黒い文字で埋め尽くされている。青い色で縁取りされたホワイトボードの中は賑やかだ。いろんな人がいろんなことを好きなように大声で騒いでいるようだ。青い縁からははみ出ないように、誰にも迷惑をかけない境界線を守って騒いでいる。字面はとても明るい。その明るさにホッと安心する。
 今年の8月に行った健康診断、心電図に異常が見られた。去年一昨年も異常が見られたが、精密検査によれば問題なしとのことだった。しかし今年は去年一昨年とは異なる異常波形らしく、再び精密検査を受けなければならないという。心電図で異常が見られるということは心臓に異常があるということだろうか。だとしたら僕には基礎疾患があるということか。50歳にもなると死を意識する。チャールズ・ブコウスキーのように、死をポケットに。戦国の世では人生50年と言った。「北斗の拳」のケンシロウが言うように『お前はもう、死んでいる』と言われるまで自分が既に死んでいることに気づいていないのかも知れない。

 ホットカーペットは一定の時間が経過すると自動的に電源が切れるようになっている。黒猫が僕を呼ぶ。やたらと呼ぶ。どうしたのだろうと思って黒猫の姿を見ると彼女もこちらを見て目が合う。明らかに何かを求めているがわかるし、その何かが僕には分かる。椅子に座っている僕の太ももの上に、ぴょんと跳んで乗っかる。その跳躍の姿、美しさ。しなやかな身体の曲線が、清流の川のようにするっと流れるようだ。そんな時はなるほど、ホットカーペットの電源が切れているのだった。

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