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銚子ヶ口 1076m 鈴鹿10座

 
 

よし!そろそろ山欠なので山に行こう!

と、ワクワクしていて寝坊した。

毎日5時30分に起きているがその時間では山へ行くには遅い。

スマホは5時30分を示していた。

いつも通りの起床時間。 


 まず天気予報を確認した。

向かう山のある「滋賀県東近江市」の天気は午前11時までは雪。

山行予定時間は4時間。登りに2時間30分、下りに1時間30分の配分。

「早く行ってもどうせ雪が降っているのだから」と特技のポジティブ変換。

いや、ただの言いわけ。自己正当化。

誰かと約束でもしていたらこのようにはいかない。

1人行動の最大のメリットだった。

予定は予定でしかない。決定権は自分。

『全ては自己責任』。

このマインドは他責ではなく自責……

おっと、道を大きく外れそうなので話を戻したい。


 登山口に到着したのが7時。

通常3台しか停められない駐車スペースは雪の影響でさらに狭まり1台のスペースしかなかった。

この時間にそこにとめられた快感は計り知れない。写真に納める始末。

天気予報が言うように雪が降っていたのでしばらく車の中で読書待機。

朝の読書は大好きな時間の1コマ。

静かな場所で雪を時折見ながらの読書は更にいいもんだ。

 
 今回の鈴鹿10座は「銚子ヶ口」。

山頂まではほとんどが樹林帯の山。

稜線に出るころには止んでいるだろうと計算し、9時前に出発して樹林帯で雨を凌ぐ作戦。

登山開始。

もうそれは本当に楽しかった。

誰かの作ってくれた雪の踏み跡を何も考えずにただ歩くだけ。

思考は楽しむことだけに特化していた。

雪がすごく新鮮で絶対に誰もいないとわかっている開放感。 

自撮り動画を撮るほど浮かれていた。

…

それは、前日に踏み跡を作ってくれていた先行者の足跡が途切れるまでは…。


 その踏み跡は突然消えた。 

まるでそこが山頂であるかのようにその先は一面真っ白だった。

そこからはまさに未知の領域。

雪が深くなるにつれズボッとハマるところもあれば意外に浅かったりする箇所。

そんなところでアイゼンを地面に引っ掛けたり転んだりを繰り返した。

この行程が何よりもメンタルと体力を追い込んだ。

例えるなら水中で足を上げて(太ももまで)数回足踏みをしてようやく一歩進む。

しかも冬靴とアイゼンと雪で片足2キロはある。

その上下運動をひたすら繰り返す。

挙句の果てに道を間違えていたり、アイゼンを着衣に引っ掛けるという泣きっ面に蜂。

さらに止むはずだった雪は強くなり、スマホのバッテリーが寒さで急激に減る(予備バッテリー持って来ていない)という不幸の申し子ですよ状態。

鈴鹿の山だからと甘くみていた…。
少し体力と経験がついてきたと思ったらこれだ。

過信慢心は事故の元。

私にはそういうきらいがある。

それでもなんとか山頂にたどり着いて残りバッテリー5%のスマホでギリギリ撮影。(10座認定には写真が必須)

写真が撮れたらこの状態での山頂に長いは無用。

フラフラになりながら下山する。

その途中、とても楽しそうに話しながら登ってくる女性3人組とすれ違う。

それは雪山に浮かれていた登り始めの私のように楽しそうだった…。



 踏み跡(道)があるないでは雪山の印象が変わってくる。

他のこと(主に人生)にも言えることだが、何か新しく「道」を作ることや、新しく物事をはじめることは、すごく労力がいることだということが改めてわかった。

そして、その先行者が作った「道」を辿ることはひどく簡単なことで思考は他にもっていかれるということも。

貴重な経験と気づきの多い一日となった。

銚子ヶ口、本当に本当にありがとう。

もう2度と登らないと思う。(おいっ)


 
 

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