その日も私は暑い中での仕事を終えて、へとへとになりながら簡単な晩御飯の用意をしていた。
夏はなかなか去ろうとせず。暦の上で秋が来ても暑い日が続いていた。

ドンブリに冷めた飯を入れ、お茶漬けのもとをかけ、さらに冷水をぶっかける。
ついでに塩っ辛くて赤い梅干を一つ乗せれば完成する。
日中が外仕事だと暑さに負けて、冷たいものばかり飲んでしまう。
そうやって疲れた胃に重たい食事は入らない。
結局、一番食べやすい冷やし茶漬けを毎夜作っていた。
サラサラと空っぽの体に流し込めばそれなりの量も入る。
まったく食べないよりはマシだろう。
私は食卓にとても晩餐とは呼べないものを運ぶ。
そうして胡坐をかきながら無意識にテレビのリモコンを手に取った。
話相手のいない男の一人暮らし。
静寂よりはまだいいとスマホで動画を見るかテレビで適当な番組を見るかしてしまう。
時間は19時より少し前、どの局もだいたいはアニメかニュースだ。
無作為にボタンを押すとテレビから流れたのはニュースだった。
お堅い顔をしたアナウンサーが
『○○県の県境にある山で男性の遺体が発見されました。
男性の名前はMさん。警察は殺人と事故の両方の線から捜査をするとのことです。』
とそんなことを言っていた。
男性の状態に不審な点でもあったのだろうか、とか。
何か聞き覚えのある名前だな、とか。
そんなことを考えながら目線をテレビ向け、

私は画面に映る写真を凝視した。

写真の男性には見覚えがあった。
そういえば彼の名前はMだったなと、そんなことを思い出す。
Mは大学時代の友人だった。
文字通り“ある山”に登り、そのまま姿を消した友人。

(そうか、彼は許されたのか)

私は心の中で独り言ちると静かに箸を置いた。

そもそも“ある山”について私に教えてくれたのがMだった。
Mと私は同じ講義を履修していたことが縁で親しくなった。
彼は郷土史研究サークルに所属していて、それに加えてオカルト的なことが好きだった。
ただ、怪談やホラー映画を好むようなタイプとは違って、いわくのある土地にわざわざ行ってはその土地の歴史を調べていくような、いわゆる根っからの探求者だった。

彼がなんの折だったか、その界隈に興味を持つようになったきっかけを教えてくれた。
それは「山返し」と言われる風習だった。
Mの祖母が生まれ育った里にあり、M曰く、「分かりやすく言えば、島流しの山バージョン」とのことだった。
と言っても実際の島流しは流れた先で生活をする刑罰。
他方で山返しは「生きて帰ってくれば罪が許される」という刑罰で、二つには大きな違いがある。
細かいルールはともかく、ざっくりと言えば罪人を“ある山”に捨て、生きて帰った者は山の神の加護があったとして許す、というものだった。
子供ながらMは何度もこの話を祖母から聞き、自然と興味を持つようになったらしい。

Mの祖母は話を締めるとき「その罪を山に還すから山返し」と決まって言ったというが、なぜ罪を山に還すことができるのかはMも知らないとのことだった。

「だからさ、今年の夏休みは“ある山”について調べようと思うんだ」
大学二年の夏。テストやレポートなども終わり、後は夏休みを楽しむだけだというところで、Mはそう言った。
「祖母ちゃんから小さいときにいろいろ聞いてて、興味はあったんだけど、そんなに近いところじゃないから行く機会もなかったし、祖母ちゃん自身もこっち来て同居してたから行く意味もなかったしね」
その祖母が春に亡くなったらしい。
「祖母ちゃんの弔いというんじゃないんだけどさ、このタイミングで行かなかったらもう一生行く機会もないかなって」
だから俺は行ってくる、とMは笑っていた。

夏休みになるとM は早々に“ある山”に向かい、私は日がなバイトに明け暮れていた。その日の夜、バイトを終えた私はベットにうつ伏せになっていた。
夏の短期バイトは稼ぎにはなるが肉体的にきついものも多い。
いくら若いといっても体力は無限大ではなかった。
明日もまた同じことをするのかと思って気分を落ち込ませながら、とはいえシャワーだけは浴びておきたい、そんなことを考えて体を起こしたところで、

突然携帯が鳴った。

当時はまだ黒い折り畳み式のガラケーだった。
音でメールの着信と分かり、パカッと開くと小さいディスプレイにはMの名前があった。
暇だから連絡でもよこしたのか思ってメールを開くとそこに書いあった文字はたった4文字だった。

「間違えた」

メールが連続で届き始めた。

「降りられない」

「ここはどこだ」

「来るんじゃなかった」

「暗い」

「何かいる」

「やめろ」

「くるな」

そんな言葉を載せたメールが一文ごとに矢継ぎ早に届く。
そのうちに、もうそれは文ですらないただの文字列となっていき、
最後に

「何も見えない」

と書かれたメールが来て終わった。

その日を境にMは音信不通となった。

Mの両親にはMから聞いた話をした。
当然、Mの両親は捜索届を出した。
しかし、Mが言った“あの山”がどの山を指すものなのか、それを誰も知らなかった。
Mの両親はもちろん、不思議なことに里の人たちでさえ、“あの山”がどこを指しているのか知らなかった。
あるいはただ隠しているだけなのかもしれなかったが、すでに祖母が亡くなっている以上、ただの作り話だった可能性を否定することもできなかった。
Mが山に登っているはずだと言っているのは私一人。
結局、警察も無作為にあたりの山を捜索するわけにもいかず、Mは行方不明となった。

テレビからのニュースはつまりMが戻ってきたことを私に伝えていた。

そこでMが語った“ある山”の例外の話を思い出した。
これがあるからMは興味を持ったのだ。

帰ることができなかった者たちの一部が後年、それもかなりの時間を空けて遺体で見つかることがある。
村人が草むらで偶然に見つけることもあれば、突然に山道で見つかることもあった。
しかもそれは山に連れていかれた時と同じ姿だった。
生き延びていたのなら老いているはずで、そうでないならまともな姿であるはずがなかった。
獣に襲われずに済んだとしても、朽ちて骨になっているはずだからだ。
村では見つかった人は山の神から恩赦を受けた人なのだとして、墓を作って葬ることを許したらしい。

アハハハハハハ!

突然テレビから大きな笑い声が流れて、私はハッと我に返った。
いつの間にかバラエティー番組が始まっていたらしい。
私はリモコンを手に取って電源ボタンを押し、スマホを持ち上げて着信がないことを確かめた。
ひょっとしたら近く警察から連絡があるかもしれないと思った。
もしMが私の言った通り“あの山”で見つかり、しかも彼が学生の時と変わらぬ姿だったとしたら。
警察はさぞかし混乱していることだろう。
もしかしたら私のことを何か疑うかもしれない。
もっとも、それが人間がおいそれとできる芸当じゃないことは分かるはずだ。

「Mはきっと“あの山”で何か禁忌に触れたのだ」

そう素直に話したら警察は私の正気を疑うだろうか。
そんなことを思いつつ、私は箸を手に取った。

ドンブリに多く残った茶漬けはぬるくなっていた。
水を吸って膨れた白飯はもったりとして掻き込もうとしてもできず、胃にスッと落ちてはくれない。

一口食べて、私はまた箸を置いた。

いっそ脂っこいものを食べたような感じですら。

結局、私は持て余し、それをビニール袋につめて、ゴミ箱に放り込んだ。

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