自分はあちらこちらに旅をしてはその土地の不可思議な話を集めることを趣味にしている。
古くからの友人などには「いつかろくでもない目に遭うからやめておけ」などと言われているが、所帯も持たず、誰に迷惑をかけるでもない趣味。いささか呆れられつつも本人は淡々と怪奇な話の蒐集を楽しんでいる。
しかしそういったことでも長く続けているとあちらこちらから色々な話が集まってくるようになる。
ある時、友人伝えで知り合った男性から「私の地元に変わった神社があるから興味があるなら一度行ってみるといい」と勧められた。
場所は私が住んでいるところからはそこまで遠くはなく、かといって近いというほどでもない距離だった。
教えてもらったのは夏の初めだったが、機会を作って行ってみます、と答えてからしばらく時が開いてしまった。
冬の始まる頃、たまたま近くに行く用事ができ、それならばということで訪れることにした。
彼はその神社を“不幸を願う神社です”と言った。詳細な説明をその場で受けることもできたが、私から辞退した。
心霊スポットというなら別だが、神社などの建造物は何も知らずに行ってみて、その時に感じたことを大事にしている。
聞いたのは「してはいけないこと」だけ。こればかりは先に聞いておかないとうっかりしてしまうことがある。
すると彼は「決して行きには神社で願い事をしないようにしてください。願い事をするなら帰りにしてください。そして行かれるときには私にひと声かけてください。その神社の神主が私の同級生なので話を通しておきますから。」と言った。
その時は是非にとお願いをし、実際に彼のおかげで私は神主から話を聞けることになった。

その神社はこじんまりと、駅からほど近く、小さな商店街を抜けた先にあった。
目の前の道路は舗装されているし、周りが木々で囲まれているということもない。なにより、思ったよりも古びてもいない。
しかし参拝している人の数が多い。人混みに溢れるというほどではないが、大きさと比例して多い。しかもよく見ると男女で訪れている人ばかりだ。
雰囲気から察するにみな夫婦なのだろうか。一人で来ているのは私くらいだった。
いささか居心地の悪い思いで歩を進めていると、神社を参拝している人の声が聞こえた。
お百度参りといった風で、参拝をして願い事をしては鳥居の方に戻ってきている。不思議なのは口々に願い事を唱えていることだった。たしかお百度参りをしている最中は口を開いてはいけないはずだったが。
みな一様に我が子の名を呟いてはそのあとに「~が不幸になりますように」や「~の病気が治りませんように」などと唱えていた。声量を抑えめにしかし語気は強く。
その熱量がすさまじく、お互いにより強く念じることを競っているようにすら見えた。
話には聞いていたが、私はそのお参りする人の熱心さを見るにつけ、暗澹たる気持ちになった。
思わず(願いが叶わなければいいのに)と念じそうになったが、「決して行きには神社で願い事をしないようにしてください。」という言葉を思い出し、邪念を振り払ってから鳥居をくぐった。

こうして、ある種呪いとしか言えぬような思いを背に受けて、神主と話をすることになった。
おかしなもので、そんな呪いの集積場とでも言わんばかりの神社であるというのに、私を迎え入れてくれた神主の顔立ちは温和でふくふくとしており、むしろご利益がありそうな気さえしてくるのだった。
神社の横には町の寄り合い所のようなところがあり、私はそこに招かれた。
神主は熱いお茶を煎れると私の前に置き「よくいらっしゃいました。ご趣味であちこちを回られているのだとか。それにしても、こんな辺鄙なところに来られなくてもいいでしょうに」と笑った。
それほど田舎でもないと思ったのでそのまま神主に言うと、「だといいのですが」と少し苦笑していた。
「妙な願い事をしているなと思われたことでしょう」
前置きもそこそこにして話の本題を神主は話し始めた。
私としてもそれを聞きに来ていたので首を縦に振ると話の続きを促した。
すると神主は「あの方たちは実際には子供の幸福を願っているのですよ」と言った。
その言葉に私は首を捻った。先ほど耳にした言葉とはあまりにも違うようだが。
「もともとこの地の氏神様というのがたいそう変わった神様でして、もとより人の願いを聞くのが好きではない。しかも大の子供嫌いらしく、子の救いを求めるような願い事はその一切を聞き届けなかったらしいのです」と神主は話を続けた。
「昔、その噂を聞きつけて、とある夫婦が子供の不幸を願いに来たことがあったらしいのです。その夫婦の子供は生まれながら体が弱く、しかし、死に至ることはなかった。苦しんではいるが、治るのことのないわが子。追い詰められた夫婦はそれならせめて少しでも早く眠りにつくほうがまだしもではないかと。まあ、そんなことを思ったようでした。ですから願うにしても普通の神様のところには行きにくかったのでしょうな」
そう言って茶を一口すすると、ところがですよ、と言った。
「夫婦が参拝してからほどなくして、子供の病気がケロリと治った。弱かった体が噓のように健康で元気な子供になったそうです」
つまり、こう言ってはなんですが、こちらの氏神様は天邪鬼だった?
私が言葉をはさむと今度は神主さんが首を縦に振った。
「特に子供の健康に関しては効果があるようで。決まりとしては夫婦で念じること、いずれかの方だけでは効果はないようです。ただし、どちらかの方が亡くなっていた場合はその方の遺品を手に持ってくればよいとされています。そして効果はより強く念じたものから順番に表れるといわれていますので、声を出しているのは少しでも氏神様に聞こえるようにということです。ただし声を大きくすると耳を塞いでしまうとも言われていますので、声は小さく、語気は強く唱えるのがいいともされています」
「それではうっかり本当に子の快方を願った夫婦が不幸な目に遭ったりすることはないのでしょうか?」と、私は聞いた。
「地元の方はもともとご存知ですし、わざわざ遠方からいらっしゃる方は噂を聞きつけてのことですから、最近ではそういった話は聞いたことがありません。事実、おひとりでいらっしゃったのはご自身だけだったのでは?」
神主の言葉になるほどと頷いた。だから私以外は夫婦ばかりだったのかと。
神主は最後に「みなさん、とても熱心に願われる方ばかりなので本当なら全員の願いが叶うといいのですが、なにぶんそのような氏神様なので願うが叶うようにと念じてしまうと逆効果。かと言って、叶わないようにと念じるのも何か心持が悪いもので」と言って、苦笑を浮かべた。
願い事をするなら帰りに、とはこういう意味だったのかと得心し、私は神主に挨拶をしてお暇することにした。

外に出ると、日が沈め始めていた。あまり遅い時刻ではなかったが、やはり冬、日の沈みは早かった。と、同時に気温が下がり始めるのも早い。
しかし、神社にはまだ多くの夫婦の姿がみえた。みんな熱心に参拝を続けている。
短くない時間を過ごしたはずなのに、私が訪れた時に参拝していた夫婦のうちの何組かがまだ参拝を続けていた。
私は本殿に向かって「この方たちの願いが叶いますように」と強く念じて帰途についた。
おそらく熱心さではここにいるどなたにも遠く及びはしないだろうけれど。

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