とある休日に、私は妻と娘二人を乗せてドライブをしていた。
行先は山奥の古寺だという。
なんで休みの日にそんなところにと思わないでもないが、私を除く三人が乗り気なのだからどうしようもない。
私は渋々ハンドルを握りながら、それでもいい年をして親の休日に付き合ってくれる娘に相好を崩した。
なんでもその寺の境内にある手水舎(ちょうずや)にある水鏡(みかがみ)の噂をたしかめに行きたいとのことだった。
一体全体どこからそんな話を仕入れてくるのやらと思ったが、娘二人はともに同じ大学の怪談サークルに入っている。怪談の仕入れ先くらいならどこにでもあるのだろう。
誰に似たのかと言えば、後ろの席で高いびきをかいている妻だ。
私はホラーだのオカルトだのというものにはあまり興味はないのだが。

話の発端は先月の終わり、「誕生日に出かけよう」という娘からの提案だった。
妻と娘は誕生日が同じである。しかも娘二人は双子で、つまり私以外はみんな同じ誕生日ということになる。妻から言わせれば狙い通りということらしいが、なんということはない、ただの偶然だろう。
そしてこちらは必然として、「誕生日のお祝い」は盛大になるというものだ。私のときとは違って。
しかし、今年は娘二人も大学に入ったことだしきっと友人たちと過ごすだろう、せっかくだし夫婦水入らずで過ごそうか、などと内心思っていたのが、予想はあっけなく裏切られた。
なるほど考えてみれば妻と娘たちは仲がいい。
娘二人も自分の祝いというよりも妻の誕生日を祝ってくれようというつもりらしかった。
それはそれで父親としては大変うれしい......のだが、件(くだん)のごとく、なぜか山奥の寺に行く話が私が帰宅するころにはすでに出来上がっていた。
最初にその話をしてきたのは姉、優希(ゆき)のほうだった。
「誕生日にそのお寺の水鏡で自分の姿を見ると、理想の自分の姿が見えるらしいの」
つまり優希よ、お前は自分の誕生日に母親と父親を連れてショッピングモールに行き服などをねだるよりも、そんな山奥の古びた寺に行きたいというのか?
私の至極まともな指摘にもまったく怯むことはなく、妹、玲(れい)の方もそれに便乗してくる始末だった。
ちなみに娘二人は二卵性で、見た目は普通の姉妹ほどにしか似ていないが、意思疎通という点ではおそらく一卵性をも凌駕するんじゃないかというぐらい息が合う。
疑問があるとすれば私を攻めるときに最もその力を発揮することか。
なんなら妻も加わるのはほんとうにズルイからやめて欲しい。
「それでね。その水鏡には怪談もあるんだけど……」
話が広がりそうなところで、いったん私は妻の方に目線をやった。
妻もたまにはおしゃれをして娘二人とショッピングを楽しみたいだろうと思ってのことだが、その瞳に浮かぶ好奇心は娘二人の瞳に浮かぶものと全く同じだった。
こうして、私の休日の予定が一つ、釈然としない埋まり方をすることになった。

「ところでその水鏡にある怪談っていうのはなんなんだ」
妻は車に乗ると毎回ぐっすり眠ってしまい、話し相手に指名するのにはいささか無理がある。
優希はそれを見越して助手席に座ってくれる。
なんだかんだで優しい子である。
ちなみに玲のほうは母親と同じく熟睡している。前日の夜遅くまでバイトだったので疲れているのだろう、放っておくことにした。
優希はあれ言ってなかったっけ?という表情をわかりやすいほどわかりやすく浮かべた。
「前の時は話を途中で遮ってしまったから」
私の言葉に優希は「パパは少し人の話を聞くようにした方がいいかもね」としたり顔で頷いた。
なるほどその指摘は間違ってはいないがお前たちには言われたくないわ、という気持ちもあったりする。時々でいいから私の愚痴にも付き合ってくれないものか。
「その水鏡なんだけど、たまに死に顔が映ることがあるんだって」優希は続けて「それを見た人は本当に近いうちに死んじゃうんだって、しかもほとんどの場合は自殺なんだって」と言った。
軽い口調で言っているが、それを今から見に行こうとしているよね?
「なんでまたそんな物騒なものを見に行こうなんてしているんだ?」
私は思ったことをそのまま口から出す、自分だったらそんなもの見たくもない。
「ま、そういう話は怪談の定番でもあるし、実際に見たことあるって人に会ったことはないから多分きっと大丈夫よ」
実際に見たことある人だったら生きてないだろ?と思ったが、言っても仕方ないことなので諦めて運転を続ける。
それよりも、最近の娘たちの大学生活のほうが気になってあれこれと話しかける。
話ぶりからしておそらくまだ彼氏はできていないようでちょっと安心した……ような、まだなのか?と不安もあるような。

山奥の寺にはわりとあっさりと着いた。
もっと物々しい雰囲気を想像していたが、周りを木々で囲まれた小奇麗な山寺で、初夏の日の散歩などにはもってこいだろう。
娘たちは早々に、目的の水鏡を見に行ってしまったし、私は特にすることもないので、寺の軒先にお邪魔して座らせていただいていると、年配の尼さんが湯呑にお茶を入れてそっと持ってきてくれた。
頭を下げて受け取ると尼さんがその場にそっと正座をし、話しかけてきた。
「水鏡を見にいらしたんですか?」
ええ、はい、まぁと私はあいまいに頷く。娘たちが見に行きたいと言いまして、などと言っていると尼さんはゆっくりと微笑みを浮かべた。
「あれは幸福を映す鏡なんですよ」
尼さんの言葉に私は首をかしげる。
「理想の姿を映すなんて噂らしいですね。おそらく娘さんたちにはさぞ美しくなった自分の姿が見えるでしょう。ただ、それは言ってみればいまに満足していないということでもありますから。あの水鏡はこうなりたいという自分の心を映し出します。ですから、今の自分に満足している方には何度覗いても今の自分が映るだけなんだそうです。理想があることも、現実に満足していることも、どちらも悪いことではありません。年老いた私からすればどちらも羨ましいことではありますね」
と尼さんは小さく笑った、言葉とは裏腹に落ち着いていて、きっとこの人が水鏡を覗いても今の姿が映るだろうと思った。
「ご自身でのぞかれたことはないんですか?」
いささか失礼かなと思いつつ聞いてみると、尼さんは小さく首を横に振った。
「いいえ、心を乱すだけのものを見ても仕方ありませんから。もし御仏の姿が映るのだというなら是非にとは思いますが」
尼としてのいかにも模範的な回答だった。
しかし、今の発言がその心の全部ではないかもしれないが、いくらかは間違いなくこの方にとっての真実なのだろう。あえて、それ以上聞くことはしなかったが、一つ気になることだけは問うことにした。
「そういえば、まれに死に顔が映る人がいるという話も聞いたのですが。あれは本当なのですか?」
私の問いに気を悪くした様子もなく尼さんは淡々と答える。
「先ほどと同じです。理想の姿がなりたい姿。それは生きたいと思う人にとっては理想の自分であったり、満足している自分の姿だったりするのでしょうが、生きることへの希望を失ってしまった人にとってはその顔こそが理想になってしまっているのかもしれません」
そうかと思った。何かに悩んでいる人が寺の噂を聞いてくる。
しかしその人はもう生きる希望を失っている。そして水鏡の自分の姿を見て、かえって納得して。
自殺する人が多いというのもそういう意味ではあながち理由がないことではないということか。
そんな話をしている間に娘たちは無事に水鏡を見終えて戻ってくるようだった。
二人の様子から察すると思い通りのものが見れたようだった。
二人の声を遠く聞きながら、内心で独り言を言った。
「やっぱりダイエット頑張ろうかなぁー、痩せれば私、もっとキレイになるみたいだし」
「(優希。無理なダイエットをして細くなるなら健康的に食べる丸い君が私は好きだぞ……)」
「私も頑張ろうかな、もっと可愛くなりたしい」
「(玲。君たちは十分私にとって可愛いよ……キモイの一言で片づけられたとしても)」
隣で尼さんがフフッと笑った。表情から何を考えているのかなんとなく察したらしい。
表情に出やすいところは私も娘に似ている……いや、娘が私に似たのか。
楽しそうにはしゃぐ娘の後ろから、妻だけはどこかちょっと浮かない顔をしていた。
「なんで私だけ、いつもの顔なんだろう?」と。
「ひょっとして誕生日が違うのかも?」などととぼけたことを言っているが、今しがた話を聞いたばかりの私にはそれはとてもいい知らせのように感じた。
「どうやら、いい旦那さんでいらっしゃるようですね」
尼さんはそういうと湯呑をお盆に乗せてスッと下がってしまった。ありがとうございます、と背中に声をかけると、小さく会釈をされたようだった。

帰りの車の中で珍しく起きている妻に、尼さんから聞いた話を伝えると、妻は若干引っかかったような表情はしたものの、「そんなものかもね」と言って、また寝てしまった。
ちなみに帰りがけ、結局ショッピングモールには寄らされ、夜はみんなのリクエストに応えてレストランに車を走らせることとなった。
来年はみんなでお酒を飲みたいなぁと私がいうと、「来年も運転お願いね!」と娘二人に可愛く言われた。それはどういう意味だ?

翌日、私は妻のひいきにしている洋菓子店で好物のケーキを買って帰った。
何の記念日でもないのにそんなことをする私に妻は訝しげな顔をしたが、「日頃の感謝の印だよ」というと、嬉しそうに冷蔵庫にそれをしまった。
ふと、台所からの匂いに鼻腔をくすぐられる。テーブルに並べられていたのは私の好物だった。
「昨日はお疲れ様」妻の言葉に頬を緩める。そう言ってもらえるなら疲れた体で頑張った甲斐もあったというものである。
食後、ケーキを頬張って嬉しそうな顔をする妻の顔を見つめながら思う。
私が水鏡を見ても、きっと今の私の顔が映るだけなのだろう。

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