私の彼が自殺をした。
原因は仕事でのストレスだった。
彼の仕事は一言でいえば捨てられた動物たちの処分だった。
どれだけ救ってあげたい命であっても、無限に助けることはできない。
彼の悩みを聞くことはできても、絶望をどうにもできなかった無力感に私は苛まれていた。

そうして49日が終わるころ、私は夢を見るようになった。
それは彼が動物たちに襲われている夢だった。
ただただ広く、周りを見渡しても闇があるだけの空間に彼はいた。
無数の動物たちに追いかけられる爪を立てられ噛まれ、しかし彼は一切抵抗することなく泣き続けていた。
そんな夢を何日も続けてみた。
夢はあまりにもリアルだった。
それがどうにも夢には思えなくなっていた私は彼のお墓参りに行くことにした。
動物たちの餌を墓前に供えて手を合わせた。
これで少しでも彼が救われてくれたらという一心だった。

そんな私の様子を見かけて、そのお寺の住職が私に話しかけてきた。
果たして信じてもらえるのか半信半疑ではあったものの、誰かに聞いてもらいたいという思いが強かった私は、住職に見た夢のことを話した。

住職は私の言うことをそのまま信じてくれた。
あれほど一心に手を合わせていたあなたが嘘を言っているとは到底思えない、と。
しかし、と住職は言葉をつづけた。
おそらくは彼を救うことは簡単ではないと。

『畜生に情けをかけてはいけない。
かの者たちは決して人の心を解(かい)さない。
どのように接しても最後に害せば怨みを買う。
まして心を寄せて、その後(のち)に弑(しい)したとあれば怨みは深くなる。
一度呪いを被(こうむ)れば解くに易(やす)くはない。』

住職の言葉に気持ちを重くして私は帰途に就いた。
では、彼の魂はやはり今日も動物たちに襲われることになるのだろうか。
やるせない気持ちがどれだけあっても、私にできることはそう多くはなかった。
翌日私は彼の残した飼い猫を引き取ることにした。
私が頻繁に彼の部屋に出入りするものだから、とても私に懐いてくれていた。
ただどうしても彼のことをあまりにも思い出すので、最初はその猫を引き取ることを躊躇っていたのだ。
しかし、彼の実家に移っても、その猫は誰にも懐かなかったという。
私が迎えに行くと、まるでそれを待っていたかのように、猫は私にかけより、ひしっとしがみついてきた。
もしかしたらこの子も、彼がいまどうなっているのか知っているのかもしれない。
そう思うと、涙が流れた。


最後に告げられた住職の言葉が私にとっては唯一の救いとなった。

『ただし、注いだ愛情は確かに彼奴ら(きゃつら)は受け取る。もし赦されんと思うなら、一匹の猫に愛情を注ぎ、飼い育て見送ってやるといい。或いはその者が彼を救うかもしれぬ』

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