音が嫌いな人の夏


もうすぐ来る夏に憂鬱な気持ちが押し寄せる。

身体をねっとりと覆う暑さと毎日嫌にでも耳に入ってくる蝉の鳴き声。夏休み中であろう子供たちの叫び声、両親の叱る声があちこちで聞こえる。

世の中では「夏の風情」と称され、愛しまれる存在であろうが、今の私にとってそれらは世界中を脅かすウイルスよりもずっと脅威である。夏は音に溢れすぎている。

毎日、目覚めた瞬間から喧騒の地獄に堕ちるが、その地獄は決して悪意のもとに作り出された世界ではない事実をその度に思い知らされ絶望感を抱く。

誰かが言っていた。
「どこかに絶望を抱え、鬱屈とすることが生きる原動力になるタイプの人間がいる。」と。

私はまさに強い絶望の感情を生きる上で必要とする人間なのだろう。生きていると感じる瞬間は幸せに気づいた時ではなく自分が絶望していると気づいた時。しかし、表裏一体とはまさにこのことで、絶望感が曇天のように私の心を隙間なく覆うことによって死の渇望を抱くわけであるが、そこに太陽が差し込んだ瞬間に生きる原動力を失う。

この性格、体質に生まれたことは私の人生においての運命であり、これからも受け入れながら雨が今にも降りそうな曇天と共に太陽の光を燦々と浴びることなく死ぬのだろう。

そんな夏への憂鬱な気持ちを五月雨の曇天に乗せて思い出す今日であった。

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