渋谷の歴史 vol.12「代々木公園は日本初の飛行場だった」
代々木公園は飛行場だった
旧ワシントン・ハイツ、現代々木公園の場所は元々は江戸時代は大名や旗本の下屋敷が点在していた。明治維新後は版籍奉還により大名や武士の収入が激減し、彼らが江戸に所有していた土地や屋敷を手放した。それで都内の多くの場所がそうなったように、青山から渋谷、代々木公園にかけての地域も同様に、輸出用のお茶を作る茶畑や、絹糸を取るための蚕の餌となる桑畑になった。現在では想像つかないが、青山通りも明治初期頃は渋谷から赤坂辺りまで一面に茶畑、桑畑が広がっていたそうだ。九州の有名な茶園「松濤園」を九州から呼び寄せ、それが渋谷区松濤の由来になった。当時、絹とお茶の輸出で日本は外貨を稼ぎ、日本が発展する基盤を作ったのは間違いない。
代々木公園周辺も、桑畑と茶葉が広がり春の小川の河骨川が流れる、のどかな場所だった。その周辺を陸軍省が買い進め、1909年(明治42年)7月、陸軍練兵場と衛戍監獄(陸軍刑務所)が設置された。翌年の1910年には広大な敷地を利用して日本初の飛行機の飛行試験が行われた。
1910年(明治43)12月11日から20日の間に試験飛行が行われ、14日に日野熊蔵大尉のグラーデ単葉機がテスト飛行に成功し15日に公開飛行が行われた。徳川好敏大尉のファルマン機は16日にテスト飛行が成功、19日に公開飛行に成功した。諸説あるようだが、そのために代々木練兵場における日本初の飛行は航空史の原点と言われている。
こんな本も出版されており、代々木公園での日本での飛行機の初飛行の事も詳細に書かれている。明治43年に初めて代々木練兵場の野原の上を飛行機が飛んだ時に一目見ようと50万人の人が周辺に集まったと記載がある。
当時の興奮を伝える記事を発見
明治44年(1911年)2月号の「探検世界」なる雑誌の中に当時の熱気が伝わる記事を発見した。「覚えず骨鳴り肉踊るを禁じ得なかった、壯の叉壯、快の叉快!!!」現代風に訳すと「思わず骨が鳴って、体が踊り出しそうになるのを抑えきれなかった。まさに力強さの極みで、爽快さもこれ以上ないって感じだ。」とある。初めて飛行機を見た当時の人達の興奮を代弁するような高揚感が伝わってくる。
この記事には12月15日は金曜日であったが公開飛行があり、「未明から見物群をなし7時頃は早や人垣を作った。開始は8時30分」とあり、「竹田宮殿下や陸軍の上官、フランス大使、陸海軍2000名が来場」とある。日野大尉は12月ということもあって毛糸の防寒具で覆面し(目出し帽?)防風眼鏡(ゴーグル?)で搭乗した。当時の12月は非常に寒かったのだろう。やがてエンジンが掛かり北西方に円形を描いて飛行し、「歓声四方に起こり、拍手此時雷のごとく代々木原頭に響き渡った」とある。見物客に関しての詳細な記述はここにはないが、50万人が集まったというのも納得できる。
さらに19日火曜日には徳川大尉の公開飛行があり、「此の日の大飛行を見んがために山のごとく群集した」とある。飛行を観覧したその時の筆者の感想が「鬼神の業にあらずんば即ち仙家の妙術、羽化登仙の思ひに仰ぐ者只々阿と感嘆するのみ」現代風に訳すと「この世のものとは思えない力や技は、まさに仙人のような不思議な技術だ。それを見て天に昇るような気持ちでただただ感嘆の声を上げるだけだ。」となる。当時の一般庶民の勤務シフトが現代とは異なっていただろうが、平日にも関わらず50万人もの人達が日本初の航空ショーを見に集まったということは相当な話題だったのだろう。
代々木練兵場の航空写真と当時の略図を発見
こちらのブログも凄い。こちらのブログを読めば日本初の飛行場について私が書くまでもない(笑) 当時の代々木錬兵場時代の資料を集められて日本初飛行当時のことを詳細に記載されている。写真はこちらのブログを基にアジア歴史資料センターから転載した。当日の飛行ルートをグーグルマップで作られている。
空港探索・2代々木練兵場跡地
こちらの航空写真は国土地理院のサイトから転載した。白く切り取られている部分は明治神宮と梨本宮邸があった場所。撮影された1936年は情報統制が強まっていたのだろうか。ちなみに宮下公園は梨本宮邸の麓にあったから宮下と言われるようになった。
この写真で見ても東西を斜めに横切るような道路が、滑走路だったようだ。現在の代々木公園を横に走る都道413号赤坂杉並線あたりは元々滑走路だったようだ。その部分をワシントンハイツでも道路として利用しその後、都道になったのだろう。実際にこの道路沿いは起伏が少ない上に代々木公園下交差点に向かって結構な傾斜の下り坂である。
代々木練兵場と南豊島御料地
この飛行場略図は練兵場時代の貴重な略図である。これで当時の地理が色々とわかった。よく見ると、この時代の原宿駅は現在の位置よりも代々木駅寄りだったようだ。WIKIPEDIAにも記述があった。原宿駅 - Wikipedia
練兵場の隣の南豊島御料地
まだ当然、明治天皇をお祀りした明治神宮はできておらず、明治神宮の場所には「南豊島御料地」との記載がある。御料地とは皇室の所有地である。これについては今後書いていきたい。
参考サイト
徳川好敏 - Wikipedia
日野熊蔵 - Wikipedia
代々木練兵場跡地
アジア歴史資料センター
重要航空遺産 日本初の飛行機による動力飛行が行われた代々木練兵場跡地
東京都・代々木練兵場飛行場跡地
空港探索・2代々木練兵場跡地
参考資料
『探検世界』11(5),成功雑誌社,1911-02. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11186861 (参照 2024-08-31)