高校野球の「目的」を問う機会になった甲子園大会の中止

今年は新型コロナウィルスの影響で、夏の甲子園大会が中止になりました。そのニュースは大きく報じられたので、高校野球に関心のない方でもよくご存知かと思います。

夏の風物詩である甲子園がなくなる―。辛い事実は世間を騒がせ、それぞれの立場から、いろいろな見解が出てきました。「球児たちがかわいそう」「インターハイも中止になったのだから、甲子園の中止はやむを得ない」「なぜ高校野球ばかり特別扱いするのか」「人生は長い。甲子園が全てではない」などなど…

こうした中、私は当の球児たち、特に3年生はどう思っているのか、とても気になっていました。どんな心境なのだろうかと。

自粛明け後、私は7校取材しました。ほとんどが”甲子園に近いチーム”です。現実的に甲子園を狙えるチームと言ってもいいでしょう。コロナがなければ、大目標だった甲子園の土を踏める可能性が高かった学校ばかりです。選手たちは子供の頃から野球に懸けて、甲子園に出るために全てを捧げてきたことでしょう。ところが、急にその甲子園がなくなってしまった…

しかし、こちらの心配をよそに球児たちは気丈でした。もちろん落ち込んだ時期はあったでしょうが、各都道府県の高校野球連盟が、代替大会・独自大会という「場「」を作ってくれたのもあり、すでにベクトルはそこに向いていました。また野球部としての活動ができず、自主練習を余儀なくされた期間も、その中で自分を高めようと、前を向いてようです。

世間が思うよりも、球児たちは強い―。私は、そう思いました。

甲子園という「目標」がなくなった中、終始一貫、「甲子園がなくても高校野球が終わったわけではない」と選手たちに伝え続けたのが、東海大菅生高校の若林弘泰監督でした。指導スタンスは一切変えず、3年生に対しても温情は示しませんでした。3年生主体で大会に臨んだ学校が多かった中、若林監督は1,2年生を加えたベストメンバーでオーダーを組みました。

高校野球の「目的」は甲子園に出ることではない―。若林監督はこのことを教えたかったのだと思います。西東京大会の中盤には、勝っても甲子園にたどり着けないことから、どこか「本気」が感じられなかった選手を厳しい言葉で叱咤しました。

選手の「本気」を引き出した若林監督は、西東京大会優勝に導き、東海大菅生高は、東東京大会優勝校の帝京高校との「東西対抗戦」も制しました。

若林監督とは違うアプローチで、高校野球の「目的」を問うたのが、高校野球を通じて何を得たか発表する「夏の甲子園大会オンライン」です。

各地で代替大会・独自大会の熱戦が繰り広げられていた8月9日に行われたこの大会について、「ヤフーニュース個人」で書かせていただきました。お読みいただけましたらと幸いです。



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