カメラで言葉を紡ぐ写真家中平卓馬
こんにちは、カイです。
今回はすでに他界した中平卓馬氏について
私なり少し書かせてもらおうと思います。
中平卓馬は伝えるべき何を
形にするためには
言葉では表しきれないもどかしさを
その伝達をカメラに求めたのでは
ないのだろうかと、個人的には
思ったりしています。
ただ、そう言いながらも
「なぜ、植物図鑑か」
「見続ける涯に火が」
「決闘写真論 」
など他、評論集では
たくさんの言葉が溢れだして
いますけれど。
ネットでできる限り最新の
近影を探して見たものは、
森山大道氏目は高齢の今の
年寄りの目ではなく
何かを捉えようとするギラつきを
感じます。
中平卓馬氏の目は
まさにお爺そのものでした
中平卓馬氏について書く上で欠かせないのは、
1960年代末に写真雑誌『プロヴォーク』の創刊。
中平卓馬氏はその写真雑誌『プロヴォーク』
の創刊に関わっていますが、この動きは日本の写真史
にとって重要な意味を持つものでした。
『プロヴォーク』は1968年に多木浩二氏や
森山大道氏と共に創刊され、写真とは
言葉とは別の「視覚的な挑発」として
存在する表現としてあることを主張していました。
当時、日本社会は高度経済成長期の真っただ中であり、
政治や文化の面でも激動の時代を迎えていました。
こうした社会の中で、『プロヴォーク』は写真を通して
現実を再解釈し、その瞬間的な衝撃をもって、
観る者の思考を揺さぶることを目的としていました。
中平氏は、『プロヴォーク』を通じて
「アレ・ブレ・ボケ」と形容される
独特の写真スタイルを確立しました。
このスタイルは、あえてピントがぼやけたり、
ブレたりすることで、見る側に
写真の中に潜む現実を再考させる手法です。
作品には明確な解答や意味がないことが多く、
むしろ不明瞭さや抽象性が強調されています。
彼の写真に見られるこうした表現は、
鑑賞者に「写真とは何か」という問いを
投げかけるものであり、その結果、観る者は
「見る」という行為そのものの意味を
再考せざるを得なくなります。
それが1970年発表の写真集
『来たるべき言葉のために』に
現わされています。
しかし、中平氏のこうした行為は
「意味からの解放」という意識を持ち
やがて、彼は自らの写真表現に疑問を持ち、
「写真は意味を追い求めるべきものではない」
と考えるようになりました。
中平氏は、写真が意味を作り出すのではなく
むしろ意味から解放されることで
新しい価値を生み出すべきだと考えたのです。
それが1973年発表の評論「なぜ、植物図鑑か」には
表現されています。
写真に人間性として出る情緒・観念などを
意識として持ち出さず、目の前の被写体と
あるがままに映し出す客観的視線を見出してこそ
本来の写真の存在意義ではないのか。
という考えが氏の写真への結論のように
思えます。
中平卓馬氏の写真は、視覚的なイメージではなく、
観る者に対して「見る」という行為そのものを
問いかける。
彼の写真は、言葉や解釈から解放された
現実をそのまま捉えることで、
見る者の内面に深く訴えかけます。
後の世代の写真家や視覚芸術家たちにも
多大な影響を与えました。彼の写真は、
記録性やドキュメンタリー性を超えて、
現実そのものを純粋に感じさせるような
新しい写真表現の可能性を示しました。
晩年の彼は、「見たものをありのままに捉える」
ことを強調し、それを「日常の中の光景」
を通して表現しました。彼の晩年の作品には、
戦後日本の風景や人々の姿が、
静かでありながら力強く映し出されています。