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逆転裁判3の成歩堂龍一をトランスジェンダーで解釈してみた

このコラムは筆者がTwitterで逆転裁判1、2、3をプレイする際、主人公の成歩堂龍一が1,2,3を経て、ジェンダーが移動し、逆転裁判3ではトランス女性になったという解釈をしたこと、その後、筆者がそこから考案して描いた逆転裁判3とその後の架空のAUの成歩堂龍一(通称「オネホド」)をどう扱ったかについて、実際のトランスジェンダーの説明と共に記録してあります。原文は韓国語で、以下のリンクから見ることができます。
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https://shinhogoesreal.postype.com/post/9465732
コラムの中に引用されたツイートの内容が韓国語になっていますが、参考資料のため、コラムの内容を理解できなくなることはありません。

このコラムは逆転裁判1,2,3のネタバレを含みます。

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ジェンダーフルイドとジェンダーの流動性

ジェンダーフルイド(genderfluid)
本題に入る前に、このコラムで提示する私の成歩堂龍一の解釈のポイントになる性自認の範囲の一つのジェンダーフルイドについて紹介したい。

ジェンダーフルイドとは時間の経過によって変わっていくジェンダーを意味する性自認である。自分をジェンダーフルイドと認識する人は男性、女性、ニューとロイス(Xジェンダーの一種)、または他のノンバイナリーの性自認、そしていくつの性自認の照合を時間の経過とともに感じることもある。こういう変化は不規則であり、個人の立ち会っている状況によって変わったりもする。
femiwikiの「젠더 플루이드(ジェンダーフルイド)」から訳

ジェンダーフルイドはトランスジェンダーの範囲に含まれる概念である。そして私はこのコラムで成歩堂をトランスジェンダーとして解釈することについて説明するつもりだ。じゃあ、ただトランスジェンダーの一言で良いではないか?と思うだろうが、このジェンダーフルイドという性自認を説明するとき使われる「時間の経過によって変わっていくジェンダー」から導き出される「ジェンダーは流動的だ」という概念が持つ特殊な意味について話したい。

ジェンダーの流動性
私が覚えている一番古いセクシュアルマイノリティに対する嫌悪への代表的な反論(約5年前の韓国での記憶である)の一つはトランスジェンダーを含むセクマイは先天的に決定されるものという主張だった。これは嫌悪者たちがセクマイを「不自然な存在」や、「直せる存在」だと主張したからである。時代が変わり、嫌悪者たちの主張に立ち向かう戦略も変わっていって、ジェンダーが社会的な部分に影響されることについても色々論議が行われた。また、セクマイの中でもマイナーな概念たちが表面に浮かび上がって、ジェンダーフルイドの概念も広がり、クィア理論の中でジェンダーの流動性の話は以前より活発に語られている。(参考:この傾向についての話は全て私の記憶に頼って作成されたもので、正確ではない可能性があります。これについて違った覚えがある方はお教えください)これは嫌悪者たちが主張するセクマイの作為性とは実際には関係がなく、流動性は自発性とは別の概念である。つまり、ジェンダーは後天的に変わることもあるが、それは選択ではなく、同じ社会的刺激にも人それぞれ違う結果が出される。また、ジェンダーフルイドの説明からも分かるように、そういう社会的刺激がある状態、またはない状態でも人のジェンダーは移動することもあるのだ。

そして私は成歩堂が逆転裁判1,2,3の時期を得て、このジェンダーの移動が発生したと見ているのだ。(なので、この解釈の成歩堂はジェンダーフルイドとでも言える)下からは、その根拠を説明したい。

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逆転裁判3での成歩堂の千尋化

逆転裁判3は、第一話の「思い出の逆転」で6年前の綾里千尋をプレイヤブルキャラクターとして見せた後、その後のエピソードでの成歩堂にその千尋の姿を被せるための装置を巧妙に仕掛けておいた。

グラフィックの類似性

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逆転裁判3の人物ファイルに使用するために新しく追加された成歩堂の正面グラフィックは私たちが一番よくみる法廷パート用グラフィックとはどこか印象が違う。この既視感の正体を千尋の探偵パート用グラフィックからすぐに見つけることができた。この成歩堂の目の形は千尋の探偵パート用グラフィックみたいに、目尻がちょっとだけ下がっている。なのにむしろ6年前の千尋は私たちが知っている千尋の顔とまた違う。服やヘアスタイルがちょっと違うのもあるけど、この千尋の法廷パート用グラフィックは何よりもジェスチャー、表情、目の形が成歩堂の法廷パート用グラフィックと似ている。精神が変わることで顔が(そんな風に)変わったりはしないだろうけど、これは成歩堂が千尋の信念を受け継いだというのを見せてくれる視覚的装置として理解できるだろう。ゴドーが見てどんだけ驚いただろうか...

依頼人の呼び方の類似性

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「思い出の逆転」では、成歩堂が一時千尋の依頼人だったことと、この裁判の途中、千尋が初めて成歩堂に「ナルホドくん」という呼び方を使った。裁判が始まる直前には、千尋は成歩堂を「ナルホドさん」と呼んでいたが、裁判の途中、千尋と成歩堂の間に信頼関係が作られて呼び方が変化することになる。なのにその直後、私たちが逆転裁判3で初めて会う成歩堂、つまり第二話の「盗まれた逆転」での成歩堂は依頼人である天杉優作を途中から「優作くん」と呼んでいる。呼び方が変化するタイミングは天杉の妻である天杉希華と会って話をする途中の心の中の独り言からだ。天杉が希華から信頼を受けているのを見た成歩堂が天杉のことを信じても良いと思ったことがこんな風に表れたと思われる。

これは今までの成歩堂にはなかった確実に異質な出来事である。成歩堂の歴代の依頼人は皆、成歩堂と同じ年あるいは年下だが、女性の依頼人にはちゃん付けしたりしたけど、男性の依頼人にくん付けしたのは逆転裁判3の天杉だけである。下は、成歩堂の歴代依頼人の呼び方だ。

1-1 矢張(23)
1-2 真宵ちゃん(17)
1-3 荷星さん(23)
1-4 御剣(24)
2-2 真宵ちゃん(18)
2-1 マコちゃん(22)
2-3 マックスさん(21)
2-4 オートロさん(21)
3-2 優作くん(23)
3-3 マコちゃん(23)
3-5 あやめさん(25)

成歩堂の口調は、同じくらいの歳の男性平均よりは優しい。初対面女性にちゃん付けは全然珍しくない感じで、年下の男性にくん付けするのも不自然なわけではないが、上記のリストを見れば分かるように、成歩堂が普段そんな言い方をしてたわけでもない。依頼人ではない方まで含めて考えても、子供である大滝九太を「九太くん」と呼んだこと以外のケースはない。むしろ、「さらば、逆転」で旧識である荷星三郎の後輩の王都楼真悟の場合、荷星の呼び方も「オートロくん」であって、そういう関係性の上で成歩堂がくん付けをするのが天杉の方よりも自然である。荷星はどうしても敬語を使ってしまう老け顔だから、マックス・ギャラクティカと王都楼は有名人だから、という自分なりの基準があったかもしれないが、依頼人ではない人の内、どこにもはまらない年下の男性の諸平野貴雅も同じく、「モロヘイヤさん」と呼んでいるのを確認した。ちなみに、成歩堂が希華の呼び方である「ユーサクくん」の真似をした可能性も考えてみたが、これに影響されたというには書き方が違って、ニュアンスが違う気もするし、優作の希華の呼び方である「まれかちゃん」は真似しなかったということからその可能性は低いと見た。ここまでする?って思うだろう。だが私も信じられなくてここまで確認してみたのだ…

こういうわけで、「優作くん」は結構明白に千尋の「ナルホドくん」を思い出させる意図に見える。

弁護士としての信念の類似性 ~決定的に受け継いだもの~

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一番明らかな部分で、一番重要な部分でもある。前で説明した二つの要素は全てこれを見せるためだと言ってもいい。逆転裁判3の成歩堂はほぼ完璧に千尋の弁護士としての信念を受け継いで、自分のものにしてあって、それで過去千尋を情熱的に愛してたゴドー…つまり神乃木荘龍にまで認められる。この二つの要素は成歩堂をこの支点、つまり神乃木に認められる所まで持ち上げるためのものであっただろうが、よりによって神乃木が千尋をロマンチック的、あるいはセクシュアル的に引かれていたように描かれていたせいで、これは成歩堂の千尋化現象をまた別の次元に持ち上げていく。

神乃木は本人及び他人を性別で呼ぶことが非常に多い。そういうところから、神乃木が千尋を女性として愛してた可能性が高い。こんな状況で神乃木が成歩堂から千尋を見たという場面は、(私としては)否でも、そうじゃなくても成歩堂に女性のイメージを強く被せるように見える

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「別にジェンダーまで変わったって言わなくても良いのでは?」

ジェンダーの概念
このタイミングでジェンダーとは何かを厳密に見てみよう。

生物学的性別のセックス(Sex)と違ってジェンダー(Gender)は社会的・文化的性別を意味する。ジェンダーには次の二つの意味がある。個別的自我の脈絡でのジェンダーは性自認を意味し、社会的な脈絡でのジェンダーは社会的に構成された文化的規範の分類のシステムである。
femiwikiの「젠더 (ジェンダー)」から訳

性自認は一人の個人が自分のジェンダーを認知する方式であり、どうやって自分を認知するかについての他人とのコミュニケーションの時使う言語(達)である。
femiwikiの「성 정체성 (性自認)」から訳

つまり「性自認」としてのジェンダーとは、広い意味では自分の事をどう思うかに関するものである。また、実際に多くの人たちは自分の事をどう思うかで、ジェンダーの比率を多めに置いているはずだ。難しく考えなくても多分このコラムを読む大抵の人たちは、例えば「今日逆裁3終えた私、やるときはやる女」みたいに、たいして必要でもない場面で自分のジェンダーを明かしながら話すことが多いはずだ。

そう思うと、成歩堂が千尋の信念を自分のものにしたのがこうやって提示され、しかもその結果女性みたいに感じられたという徴さえ見えるが、これは成歩堂の精神に変化が起こり言動が逆転裁判1、逆転裁判2の時とは異なっているからであるだろう。それは成歩堂が自分の事をどう思うかというのも、意識であろうが無意識であろうが変わっているからであろうし、よって成歩堂のジェンダーが女性に移動したと推測するには根拠が十分だということだ。

トランスジェンダーは別に大したものではない
ここまで聞いても相変わらず「でもそこまで言うべきでしょうか?」と思う人たちもいるだろう。でもこれはトランスジェンダーというものが自分とは凄く関係のないもので、もっと露骨に言うと「なりづらいもの」だと思ってるから来る抵抗感だと思う。もちろん、トランスジェンダーではない人がトランスジェンダーに「なる」のは難しいだろうけど、実際に人たちが思うよりトランスジェンダーの範囲は広く条件だって難しくないため、トランスジェンダーについて詳しく調べさえすれば「あれ?見てみると私だってトランスジェンダーだったな」になるのはとてもあり得る事なのだ。また、自分の事をトランスジェンダーだと定義しないんだとしても普遍のトランスジェンダーが持っている感覚、代表的には性別違和(自分の性器等に感じる違和感)のようなものだってそんなに感じ難いものではないしむしろありふれている。

このコラムで多くの事は言えないだろうが、その例を一つだけ言うと、トランスジェンダーの範囲内にはデミジェンダーというものがある。デミジェンダーは、例えばその中でもデミガールだとしたら、自分の事を女性だとは感じているが、その感覚があまりはっきりはしていないものである。「それくらい皆経験してるものなのでは?」と思った人もいるのかな?でも多分違う。周りに聞いてみてほしい。

要は、このように自分は「私は確実なシスジェンダーだけど、こんなことは誰でもあるんじゃない?」と思ってる要素が意外に皆に起きているものではないし、それがトランスジェンダーの範囲に属する感覚であることは限りなく多い。

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オネホドが描かれる姿と現実のトランスジェンダー

それではここからはこの解釈を元にして派生させた私の逆転裁判3とその以降の成歩堂の表現の仕方である「オネホド」について話したい。「オネホド」という用語は、「お姉さん」と「成歩堂」をくっつけて作った造語である。同じく「お姉さん」から派生した「オネエ」という単語はすでにいわゆる女性っぽい男性キャラの呼び方として使われている。

オネホドの社会的女性性と現実のトランスジェンダー

細かいルールはあるものの、オネホドの一番の特徴はやっぱりいわゆるサブカルチャーで見られる「年上の女性」の典型に従うという所であろう。主に出るのは「相手を見抜くような雰囲気」、「無知覚なのかわざとなのかややこしい色っぽい言動」がある。これは「女性だったらこうでなければならない!」みたいな分かりやすい種類の社会的女性性ではないが、年上の女性であればきっとこうであろうという期待に応じている所から、社会的女性性に従わせたと言える。

現実のトランスジェンダーは社会的に決められ強要される性役割の内のどれか一つが好きだという理由だけで自分をトランスジェンダーとして認識するわけではなく、例えば自分をトランス女性として認識している人が必ず社会的女性性に従うのではない。むしろ、さっき語った性別違和等、トランスジェンダー自身が生まれた時指定された性別に違和感を感じることにはそれぞれの理由が存在する。その一方、(誤解とは違って)トランスジェンダーはシスジェンダーよりもずっと厳しく社会から性役割を強要される集団でもある。例えば、実際に韓国で性転換手術を受けるためには精神科で診断をもらわなければならず、でも自分が認識している性の性役割に当たる答えをしないと手術の許可をもらえない。

つまりオネホドから社会的女性性が表れるのは実際は成歩堂のジェンダーが移動したという仮説とは大した関係はないと言えるし、トランスジェンダー嫌悪に読まれる余地だってある。この部分は成歩堂がサイコ・ロックを解除できる所とか、年上女性の典型性が強い千尋から口調等、信念とは遠い要素だって移ってるという所から思いついたものなだけで、よく見ると成歩堂がトランス女性に移動したこととはあまり関係はない。でもその一方、現実のトランスジェンダーが自分の認識したジェンダーの性役割に従うとそれはそれで激しく非難される。それでも多くのトランスジェンダーは工夫した結果、それに従うことだってある。それは世界から自分を守るためかもしれないし、ただ自分がそういう役割を果たした時に幸せだからかもしれない。どんな理由であれただトランスジェンダーだからって自分に当てはまると思う性役割を果たすことでシスジェンダーより非難されるべきではない

そういう所では、(私が好きだから始めたというのはまず置いといて)オネホドが女性らしい所についてはちょっと堂々となってもいいかもしれない

オネホドの自分への認識と現実のトランスジェンダー

私が描写するオネホドは自分のジェンダーが移動したことに自覚がなさそうだ。自分の呼び方を男性形にし続けていて(「お兄ちゃん」等)人から男性形で呼ばれるのにも違和感を感じていない。多分逆転裁判を作った人たちやこれをプレイした他の皆と同じく、オネホドもまたこの3年間が自分をどう変えたか正確に分かっていないのだ。

現実のトランスジェンダーも同じく自分が正確にどう感じているのか長い間自覚できなくて自分の事を認識することに苦労をする場合は多い。ただオネホドの絵や漫画で見られるものよりはそういう期間に混乱と苦しみを経験する。一方で、オネホドのようによく分からないまま長い時間を過ごす人たちだっている。前で説明したが、多くの人は自分がトランスジェンダーとは関係ないと思い込んでいる。これに関してはトランスジェンダーという概念自体を知らない場合や、自分にピッタリと当てはまるトランスジェンダーの中の下位概念を知っていない場合等様々な理由があるはずだ。そしてこれを私たちは「可視化されていない」と言うのである。(そう。これはただ物理的に見えないという話ではないのだ。)トランスジェンダーじゃない人がなんでトランスジェンダーについて知らなければならないか疑問を持っているだろうが、ただその概念を知っている人が増えて、話した時に理解されるだろうと思える人が増えるだけでこれからトランスジェンダーが感じるはずの潜在的苦しみはグンと減るのだ。

作品自体が作られた時代、作中の時代設定、雰囲気を見て私はオネホドが自分の事をトランス女性として認識できる機会が容易くやってこないだろうと思った。それをオネホドが自分をシスジェンダーの男性だと思い込む理由として設定している。

現実で自分の事をトランスジェンダーだと紹介した人に対してはこのような事はしてはいけない。つまり、その人の生まれた時指定された性別を意味する呼び方を使ってはいけない。ただ、人によっては他人や自分がそう呼んでも構わないって感じることだってある。私だってむしろ自分の性自認を認識した後には不安が減って呼び方を気にしなくなったケースである。だがこんな場合でもとにかくまずは聞いてから行動するようにお願いしたい。

オネホドの周りの人たちが感じる感覚と現実のトランスジェンダー

オネホド張本人と違って、むしろ周りの人たちは何か変わったのを察したような様子で描かれることが多い。もしかするとただ前で話した年上の女性の典型を見たからかもしれない。だがそれが年上の女性の典型である限り、例えば矢張や御剣には「同じ歳の男性」である成歩堂がそんな姿を見せようと、簡単にその違和感をキャッチ出来なくても全然おかしくないものだ。だが彼らは...何かを感じたりする。

現実のセクマイコミュニティーの中でも「ゲイダー」という用語が使われたりする。これは人をセクマイだと気付く一種の勘なのだが、当然ながらこれは言動の傾向で判断するもので正確ではない。もしそんなものが本当に存在するんだったら...トランスジェンダーが自分の存在を証明するのにこんな苦労しない。

でもフィクションではゲイダーが本当にあってもいいんじゃないか?そういうトランスジェンダー当事者の甘い想像で、オネホドの世界観では皆高性能のゲイダーを持っているのである。思えば、「逆転のレシピ」の本土坊薫を見て皆混乱に陥たから実際逆転裁判の世界にはそんなものがあるのかもしれない。

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逆転霊媒とは?

オネホドに続いて私は最近「逆転霊媒AU」という名のもう一つの世界線について話している。ここの成歩堂は霊媒ホドと呼ぶことにする。

このAUは「供子様が決めた綾里家の女性という霊力の条件が実は物理的なものではなく、性自認を含む精神的アイデンティティーのことだとしたら?」という仮説と成歩堂がトランス女性に移動したという仮説を加えて、逆転裁判3の終了の時点で成歩堂に霊力が宿ることについて扱うAUである。私個人はこのAUを通してマスキュリンな体の年上女性ファンタジーをオネホドで満たすことからさらに進んで、成歩堂が実際に自分をトランスジェンダーだと気付き、そう認識することまで描写したいと思っている。

とにかく逆転裁判3が終わった時点の成歩堂は3年間他人に執着し続けていてもっと自分自身の事を振り返る必要があると私は思った。ちょうど、セクマイが自分の事をセクマイだと認識するということだって、自分の事を徹底的に振り返る過程の一部だ。そうやって私は成歩堂にやってあげたいことと私の解釈を詰め込める企画を思いついたのだった。このAUの大抵のストーリはすでに考えておいたし、細かい所を少しずつやっていくところである。序盤あたりの内容はちょっとずつ描いて上げている(時々ずっと後のこともせっかちになって描くこともある)

ともかく、私はトランス女性に移動した成歩堂の仮説が凄く気に入った!オネホドだろうが霊媒ホドだろうが、私だけじゃなく他の人も積極的にこの設定を使って語ったり描いてくれるのが私の一番の願いである。それがきっかけでトランスジェンダーともっと近づくことが出来たらこれ以上はないだろう。


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