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絵本プロジェクトのターゲット

 幼児向けの絵本づくりは記憶の始まり以前に戻る作業のようで面白い。子供の頃の記憶を思い出そうとすると、だいたい3歳くらいから、早くて2歳くらいの記憶までは立ち戻ることができると思う。それ以前というのは外からの記憶を借りて、成長の過程で脳内で再構築しているのではないかと思う。親から教えてもらった当時の記憶を自分のもののようにしたり、当時の写真や動画を見て、自分の実体験の記憶とすり替えたり。一歳のころ読んでもらった絵本がとても面白くて、何度も読んでとおねだりした記憶があるという人にその本の面白さを教えてもらえればいい本が作れるかもしれない。しかし、現実にはそれを説明するのは大人の言葉を使えるようになった脳の分析、コード化、再構築によるものと思えば、目の前の幼児の反応を観察している方が良さそうな気がする。

 自身の記憶が立ち戻ることができないところに、今回作ろうする絵本のターゲット層がある。このチャレンジは面白いに違いない。僕が絵本を読んでもらった記憶が始まるのは3歳からだ。僕が三歳の頃は1974年、絵本革命の真っ最中だったのだと思う。チャイクロという絵本シリーズをまとめて訪問販売で購入した親が、色々読み聞かせしてくれたのだが、唯一覚えているのが「スイミー」。3歳でこれなのだから、それ以前は何が起こっていたのかは、育ててくれた周りの人達しか知らない。僕も自分の顔がどんな顔をしているか鏡で見た記憶はほとんどない。でも写真で見たことがあるから、子供の頃の自分の顔は覚えている。そういう意味で写真は記憶の形成にかなり役立っている。なんだか無理やりだが、写真家が絵本を作る理由が見えきた。

 話があっちこっち飛んでしまったが、自分の記憶の及ばない世界に向けて絵本を作ること。これはどうなるかわからないから面白い、想像力を使うから面白いのだ。現在は1歳の頃の自分の子供に読み聞かせをしていた記憶をベースとして、その時の子供の反応はどういう事だったのかと想像力を働かせながら絵本を作っている。読み聞かせは子供の反応があるから楽しい。この部分のどこに反応しているのだろう。そういう観察をしているのが楽しかった。

 自分の子供が0歳の頃。まだハイハイもするかしないかの頃、最初の絵本を与える前は、とにかく何を見せていいかわからないから、本棚にあったサイ・トゥオンブリーの画集を見せていた。「この赤が暴れているように広がっていて面白いねー」とか、「この辺がブワッとなって、フワーとなって」とか、色々言葉を添えて絵を見せると楽しそうだった。こちらも疲れてしまって何も言わずにページをめくっているだけだと、あまり集中が続かない、明らかにサイトォンブリーの絵にというよりは、こちらのパフォーマンスに反応しているのだった。しばらくして、赤ちゃん絵本の王道と呼ばれる「じゃあじゃあびりびり」(1983年)や、「もこもこ」(1977年)、「いないいないばあ」(1967年)、などがやってきて、子供を愉しませることになるが、これらは絵を見ながら親の読み聞かせとリンクしているのがわかっている様子だったから、流石に赤ちゃん向けの絵本はよくできているなあ、と思ったものだ。しかもなんども読んで欲しいというようになる。

 母親の読み聞かせと、父親の読み聞かせではもちろん反応が違う。母親の読み聞かせの方が盛り上がっている。父親の照れ混じりの読み聞かせでは反応が悪い。しかし、それはそれで、また違うところでいい反応をしてくれる。母親の読み聞かせではスルーしていたところで盛り上がってくれると、それはまた一段と面白くて張り切ってしまう。喜んでくれるならと、頑張って読み聞かせしているうちにだんだんとうまくなってくるものだ。

 子供の成長は早いとはよく言ったもので、あっという間に今は4歳。読む本もかなり込み入ったストーリーのものもチャレンジする。これまでの間にそれぞれの年齢に向けた絵本を読んできたが、もう「じゃあじゃあびりびり」や「いないいないばあ」がまた読みたいとは言ってこない。それらは赤ちゃんのための絵本だからという。幼児にとっても卒業する時がやってくるのだ。幼児向け絵本を卒業するまでに何冊の絵本を読んだだろう。頑張っても20タイトルぐらいだったなと思うと、0、1、2歳向けの絵本に食い込むのはなかなかハードルが高い。それでも4、5歳から大人向けの絵本を作りたいわけではないから、やはりターゲットは2歳ぐらいから。「ねないこだれだ」(1969年)の次に読んでもらえるような絵本を目指そうと思う。


 ちなみに下の写真は僕が幼児の頃、見せてもらっていたのはイースター島の写真集...



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