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雨の音 - 音の雨|ジェルジュ・リゲティ|2022年6月3日の日記

PROGRAM
チェンバロのための《コンティヌウム》/大オーケストラのための《アトモスフェール》/《チェロ協奏曲》/100台のメトロノームのための《ポエム・サンフォニック》/大オーケストラのための《ロンターノ》/大オーケストラのための《サンフランシスコ・ポリフォニー》

ヴァイオリニストの本郷幸子さんにご招待いただき、東京芸術大学奏楽堂にジェルジュ・リゲティを聴きにでかける。途中ゲリラ豪雨に打たれ、通りがかりの軒下で小一時間ほどの雨宿り。街中を包み込むような雨粒の音と、足下に飛びちる水の冷たい感触。

 ポエム・サンフォニック。100台のメトロノームが各々のリズムをそれぞれに刻む。ばらついた100のリズムに耳を澄ませていると、大粒の雨に打たれて鳴り響くトタン屋根の下で、じっと雨宿りしているような気分になってきた。ぱらばらばら、ぱらばらぱら。
 速いテンポのメトロノームほどエネルギー消費が激しいのだろう、他に先んじて左右への振動をとめてゆく。ぱら・ぱら・ぱら・ぱら。しだいに音の雨がやんでいく。一番おだやかで、一番ゆっくりとしたリズムが、一番最後までのこる。もし床にふせておだやかに死ぬことができたなら、最後に聴く心臓の音はこんなふうだろう。

 オーケストラ。自然の風が朽ちた竹の根かたを吹きぬけるかのような音を尺八の名人はのぞむというが、ここで奏でられている音にも、なにか自然に接近していこうとする意志を感じた。ただ、尺八がその一音のなかにあらゆる波長、ゆらぎと偶然をはらんで響くのに対して、このオーケストラは無数の音を寄り集め、折り重ね、ゆらぎと偶然すらも計画することで厚みと奥行きをもった一音を実現していく。一即多ならぬ多即一。
 音を分解し、偶然性をぬぐいさり、純粋なまでに音を研ぎすましていった西洋の反動のようなものを感じる。フーリエ変換からの逆フーリエ変換。そうした逆コースで自然に接近していく音が、ついには自然を超えたその先にまで辿りつくところに西洋らしい強度がある。

 コンティヌウム。音と音のすき間をほとんど認めさせない連続音は、チェンバロから発せられているはずなのにどこか電子的な響きをもつ。波形ではなくパルスによってcodeされた音。脳がいつもとは異なる回路で音波をdecodeする。まるで眼前にフラッシュの明滅を高速で繰り返されたかのようなめまいを感じた。

 チェロ協奏曲。終盤、チェロの弦から発せられる音が小さく、か細くフェードアウトしていくに連れて、演奏する手のチェロにぶつかる衝突音が前面にあらわれてきた。楽器ではなく物そのものとしてのチェロが発する響き。やがてチェロを離れた手は、それでも指を止めずに虚空をはじき続ける。全ての音が止んだ後、取り残された指の動きだけが聞こえない音を思わせた。

 名残を惜しんで家に帰ると風呂場から、しめった空気とともに娘の泣き声が流れ出してきた。今日はお風呂にはいりたくなかったらしい。

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