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田島の自己紹介①幼少から小学校まで

こんにちは。田島です。

このnoteは僕のことを知っている皆さんと共有したいと思っています。

ただ、皆さんとは学生時代、前職時代、妻を介してなど
お知り合いになるタイミングや場所がそれぞれ違ったと思います。

僕がどういう道のりを経てこのような考え方をしているのか、
その部分をご説明しておいた方がいいなと思っています。

幼少時代

僕は1985年に横浜市で生まれました。
その当時僕の家は鎌倉市との境にある住宅街にありました。

「真実を見極められる人になるように」という
父の真面目な部分が強めに出てしまったアイデアをもとに、
「真」の字を使った「シンゴ」と名付けられました。
(最近は名前の由来調べる授業減ってるらしいですね)

ところが僕の人生はトラブルでスタートしており、
誕生時に仮死とは言わずとも産声が無く、お医者さんに相撲稽古よろしく
体中を平手で叩かれていたよ、とよく母から聞かされたものです。

我が家は極端な貧乏とか実家が大富豪といった属性はなく、
父は化学メーカーの研究職、母は小学校の教員をしていました。

2人ともフルタイムで働いていたこともあり、3歳で保育園に行くまで、
日中は車で30分ほどの祖母の家に預けられていました。

祖母はいっぱい食べさせてくれ、いろんなものを買い与えてくれました。
目を離したら銀紙をはがして羊羹を1本食べていたとか、
食べ物に関してはそんなエピソードばっかりだったように思います。

「将来は東大に行くもんね」と祖母から言われるほど愛されていましたが
特別聡明だというわけではなく、単に大人しい子だったように思います。
(実際には推薦で日大ですからね、平凡です)

4つ下に弟がいますが、小さい頃から仲は良かったと思います。
2人で過ごす時間も多かったし、ある程度歳が離れていたので、
それぞれの役割分担みたいなものもはっきりしていたような気がします。

保育園に預けられた当初は3歳と物事がわかる歳になっていたこともあり、
毎朝送り届けられてはギャン泣き、なんで帰れないのと泣いていました。

また、未経験のことに尻込みすることが多く、
滑り台が高くて滑れず、段を上っては降りるを繰り返していたといいます。

唯一車が好きで、街中で走っている車を見ては
その車種をひとりつぶやいている、というようなことをしていました。
(当時ならブルーバードとかタウンエースとかミニカとか)

ともあれ、恥ずかしがりで引っ込み思案で何事にもあまりやる気がなく、
同世代の男の子と比べると元気のない子どもでした。

小学生時代

僕は小学校3年生の時に今の実家の場所へ引っ越してきました。
幹線道路沿いのとても騒々しい、でも田舎っぽい雰囲気のある場所です。

ここには結局25歳まで住み、その後一人暮らしをしましたが
現在は娘と実家の関係も鑑みて再びこの町で暮らしています。

当時転入した小学校ではとても周囲のみんなに温かく迎えられ、
今に繋がるいわば「故郷①」かなと思える場所でもあります。

当時、地元の少年サッカーチームは僕の学年の生徒が少なく、
よく放課後校庭で皆とサッカーをしていた僕も練習に誘ってもらいました。

熱心に誘ってくれたのはオマタくんという友達で彼はGKでした。

時はJリーグ開幕後数年ということもあり憧れのあった僕は
練習に2度参加させてもらい、コーチからも高評価だったと聞きました。

ところが、それまでスポーツの素養がなく足も遅かった僕は
とにかく練習の前後にある素走りがとにかく億劫で仕方なく、
「こんなに走れない...」とそっとトレシューを脱ぎました。

なので僕の本格的なサッカー経験は2回です。

その後は放課後サッカーに加え、少年野球をしている子と野球をしたり、
ゲームを持っていなかったので外で遊ぶことが多かった記憶があります。

勉強は通信教育はやらせてもらっていたものの、お受験という概念はなく
本当にのびのびと好きに時間を過ごしていました。

学校の先生からは「いい子」であることは評価されていたものの、
授業でもっと手を挙げてほしいなあ、なんていう風にも言われていました。
あんまり前に出たがる子どもではなかったんですよね。

そういえばこんなことがありました。

ケンスケくんという友達の家に行ったとき、彼がアイスをくれたんです。
それがラス1だったらしく、これ食べてと譲ってくれました。

帰ってきた彼のお母さんが僕がアイスを食べてるのを見て、
「ケンスケは食べた?」と聞くと彼は「もう食べたよ!」と即答したんです。

彼はぶっきらぼうで皆からやや疎ましく思われていた子だったんですが、
なんて優しい子なんだろうと、単純にその時思ったんですよね。

これは今でも僕が人のうわさを聞くときに大事にしている信条なんですが、
その人が僕に対してどう出るか、で僕は人のことを見ています。
なのであまり周囲から吹き込まれてもあんまり影響しない人間です。

ちょっとしたことですけど、今の自分にもつながっているエピソードは
この頃からいくつか出現してきたような気がします。

その他の用語集

・ピーターラビットの赤ちゃんノート
母が記録していた手書きの赤ちゃん(僕)の様子を記した本。
よく見返していた気がする。

・ファーストシューズ
僕が履いていた「anyo」というブランドの靴。
たぶん今でも実家のどこかに保管してあると思う。

・巨峰
1歳ぐらいの頃遠方に住む叔父が持ってきてくれたお土産。
差し出されて食べない様子がホームビデオに記録されていた。
今でもデラウェアの方が好き。

・胃腸炎
保育園入園直後に1週間入院。
退院祝いにトミカパーキングというおもちゃを買ってもらった。

・ダイハツ アトレー
実家で乗っていた車。
4速マニュアルで母はあんまり運転が得意じゃなかった。

・土曜のお昼ごはん
毎週おばあちゃん家に行って食べさせてもらっていた。
じゃがいものソース炒めみたいなメニューが美味しかった。

・新婚さんいらっしゃい
母が毎週見ていたテレビ番組。
今でもアタック25含めて日曜日の定番。

・西武ライオンズのキャップ
お気に入りで被っていた青い帽子。
保育園の帰りに公園に寄って遊んでいて紛失。

・ショウくん
保育園で一番仲の良かった友達。
当時おぼっちゃまくんの「ぺろぺろ」を一緒にやっていた。
なのでファーストキスは厳密にはショウくんとなる。

・シュンスケくん
保育園の友達でお母さん同士が知り合いだった。
小学校に上がってから交通事故に遭い鎖骨を骨折したとか。

・時間外
保育園時代、母のお迎えが遅くなることが多かったので
最終的には先生の職員室で絵を描いたりして母を待っていた。

・ジェットマン
仮面ライダーや怪獣映画には全く興味がなかったが
戦隊モノは少し見ていた。

・ターボレンジャー
同上

・マユミちゃん
小学校に上がり最初のクラスで隣に座っていた女の子。
名前入りの鉛筆をくれるなど仲が良かったが、
早い段階でお父さんの転勤で香港へ移住。

・uni
三菱鉛筆の文房具シリーズ。
シンプルイズベストだよ、と父が選んだ青い筆箱を使っていた。

・かぜの子クラブ
通っていた学童保育所。
おやつにスパゲティが出ていた気がする。

・杉田先生
前述の学童保育所にいたおばあちゃん先生。
とても優しくて、引っ越すときに内緒だよと言って
大陸系のタイガーバームのようなものをくれた。

・変態
放課後友達と歩いていたら、道端に股間を触っているおじさんがいて
そのことを学童で報告したらちょっとした騒ぎになった事案。

・自販機
学校帰りに冗談で「これ飲みてー」と自販機のボタンを押したら
本当に商品が出てきたので管理している酒屋さんに報告。

・アイスクリームケーキ
自宅近くのケーキ店でアイスクリームケーキがあると知り、
誕生日などの物入りの時に母と予約して買いに行っていた。

・さとくん
小学校から高校まで一緒だった一番の友人。
ゲーム機をたくさん持っていてよく貸してくれたおしゃれボーイ。
高校時代は毎日一緒に登下校、同じ放送部に所属していた。
舞台俳優になる勉強をした後、アルバイトから料理人に転身。
現在は奥さんの実家がある東北地方に在住。

・チェリオ ライフガード
前述のさとくんの家に行くと必ず出してくれた炭酸飲料。
今もなおさとくん家の味として絶大な思い出効果がある。

・ニンテンドー64 プロ野球キング
さとくんが貸してくれた野球ゲームのソフト。
巨人のマック、ロッテのヒルマンなどの助っ人選手のパラメータが異常。

・硬筆
当時書道の授業で硬筆(鉛筆)だけは得意で市の書写展に出展。
今は独自の文字の書き方をするので妻にバカにされる。

・突き指
クラブ活動でバスケをしていて浮いたボールを触って突き指。
左手小指はそれ以来若干内側にカーブしたままになっている。
それからバスケにはいい印象がないが、Bリーグは観に行ってみたい。

・ユウタ
近くに住んでいたやんちゃっぽい野球少年。
家に遊びに来てくれた時に出せるおやつがなく納豆を食べてもらった。
ある時は僕が途中で飲みきれなくなった缶ジュースを袖口で拭いて
「友達だから大丈夫だよ~」と飲んでくれた優しい男。
高校で東北地方に野球留学して高校3年時に夏の甲子園に出場。
高校時代の異名は「東北のドクターK」。県予選で1試合19奪三振。

・放送委員会
小学校教員の母から放送委員とかイメージいいんじゃない?と言われ
5年生から6年生まで前述のさとくんと一緒にお昼の放送などを行う。
当時国語の音読を褒められることがあり、恥ずかしがりだが得意に
なってしゃべっていた記憶がある。

・もののけ姫
公開初日、友達と横浜東宝会館で1本分並んだあとに立ち見で鑑賞。
内容は全く覚えておらず、以来ジブリ映画はほとんど観たことがない。

・SSK
野球用品メーカー。
周囲がミズノの野球グラブを買う中、他の子と違うものが欲しくて購入。
遊びのためだけに買ったが、当時はキャッチボール遊びが本当に多かった。

・バンダナ
日光への修学旅行時に目印用に学年みんなで付けていた紫色のバンダナ。
センター分けをした頭に、鉢巻のように巻いている集合写真が残っている。




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