結婚と外見

こんにちは。田島です。

不倫って本当に人類の大ベストセラーなんですね。
有名人も一般人も、ハマってますよね。

高級フレンチばかりだと飽きるのか

たまにこんな話をツイッターで見ることがあります。

美人な奥さんがいるけど不倫しちゃうのは、毎日フレンチを食べていて
たまにはジャンクフードが食べたくなるようなものだよね。

美人な奥さん、としましたがイケメンの旦那さんでも同じことです。
美人は3日で飽きる、という珍説もありますが飽きるから他の人と
仲良くしたくなるのでしょうか。

わかるようなわからないような話です。

恋愛結婚なりお見合い結婚なり、結婚というイベントを経て時が経てば
新しい刺激はゼロとは言わないまでも、段々と少なくなると思います。

相手のいろいろな面を見て、多くの時間を一緒に過ごせば、
相手のことが「わかって」きて、おおかた予想がついてくるはずです。

人間関係における刺激は、
相手を「知らない」ことに起因するものが多いのではないかと思います。

初対面の人と話すのって刺激があって楽しいですよね。
刺激ってビリビリするものだけじゃなく、感心とかそういうのも含めて。
どんな人かな、どんな背景があるかな、どんな風に関われるかなとか。

刺激は有限だと思うし、刺激を感じ合う時間を過ぎたら、
関係は落ち着いた、リラックスしたものになるのだと思います。

長い友人関係なんかはまさにそれで、いつも昔話をして刺激は無いけど、
心地よい時間を共有出来たりするものですよね。

僕自身は、そのリラックスした状態を手に入れるのが結婚だと思うし、
それが結婚の最大の魅力だと思うんです。
安心すること、穏やかなこと、緩やかな風が吹く草原のような。

それを「飽きた」と捉えるのは人それぞれですが、
その頃には相手に情が移っているものだと思うし、
外に刺激を求めるという考えには、無条件では至らないと思うんです。

僕は単純に不倫というのは言葉そのものの意味もそうですけど、
要約するとそれは性欲じゃないですか。野生の動物と一緒ですよ。

だからだせえなと思います。圧倒的にかっこ悪い。
配偶者が、子どもが、の考えに辿りつく前にただただかっこ悪い。性欲。

外見が良い人はきっと生きにくい

中学や高校の頃、誰それが付き合っているみたいな話はよくありましたが
多くはかっこいい男の子やかわいい女の子が主役だったように思います。

先輩と付き合ってるとか、バイト先でとか、告白して玉砕したとか、
恋愛にまつわる話は外見が良い子が中心でした。

でもそれって、結構リスキーかもしれないと思う部分があります。

外見がいいことで、若い時分に恋愛に時間を取られてしまう。
もうちょっと言うと、悪い異性から声を掛けられる可能性が上がる。
もっと悪いと、恋愛でトラブルになる、望まない妊娠をしてしまう。

まあ、極端だとは思います。

むしろ恋愛は若いころに適度に経験した方がいいと思います。
年齢を重ねるとひねくれますからね、僕はそうでした。

若い時に自分の好きなことをやってみたり、自分の内面と向き合ったり、
他者との関係の中で新しい考え方に出会えたり、多感な時期だからこそ
吸収できることが恋愛以外にもたくさんあると思うんですよね。
おおかたそれは、その後の人生に関わる大事なパートだったりします。

ですけど、多感な時期だからこそ恋愛はしたくなってしまう。
だけれども恋愛はひとりではできないものなので、
多くの人はしたいと思っても、出来るかわからない。
他方ルックスがいいと、そのハードルがちょっと低くなってしまう。

このころのルックスって、自分で磨き上げたとかいうものではなく
生まれ持った素材がかっこいいとか、かわいいとかだと思うんです。

自分が意図しないところでその価値を持ってしまっていることで
余計なしがらみに囚われるリスクがあるのは気の毒だなと思います。

いやもちろん、本人がそれを望んでいれば別に構いません。
でも、全員が恋愛をしたいと思っているとは到底思えないんです。

部活をやりたい、受験をしたい、恋愛に興味が無い、
イケメンではない僕はもったいないなあと当時は思っていたけど、
それは、彼ら彼女らの本心だったんじゃないかなあと思います。

そして社会に出ると、ルックスが良ければ下駄を強制的に履かされます。
ルックスはその人を作り上げる要素ではあるけれども、
いかんせん目立つために、その他の人間的な要素を隠してしまう。

僕も改める必要がありますが、あの店員さんは美人で性格もいいだろう
とか、また顔を見るためにお店に来ようとか、なっちゃうわけです。
本人はただそこで働いているだけなのに、余計なことが増えるんです。

これも本人が望んでいるのなら話は別です。
周りからチヤホヤされたい、モテたい、まあ大人ならいいかもしれません。

けれども、自分が意識しないゾーンにいる人から好意を向けられると
それは誰もがそうだとは思いますが、著しく不快なはずです。
それを感じる回数が、外見が良い人は他のそうでない人より多いと思うし、煩わしく、余計なことに手間を取られることが多いのではと想像します。

蛇足ですが、僕は娘にあんまりかわいくならないで欲しいと思っています。
心配いらないかもしれませんが(と言って鏡を見つめる)

無限にある中で選ぶ意味

僕は正直に言えば、イケメンも美人さんもとても好きです。

美人だなあ、イケメンだなあ、と視界に入れているだけで
穏やかな気持ちになれます。あの効果は一体何なのでしょうか。

カフェに行けばあの店員さんかわいいな、
ショップに行けばあの店員さんかっこいいな、と思います。
これが前述の「ゾーン外からの好意」です。気持ち悪いですね。

僕は若い頃、煌びやかなショップのスタッフさんを毎日見ていたせいか、
美人度を測るスカウターにバグが生じていました。
そして出来れば、自分も美人さんと仲良くなりたいと思っていました。

ただ、外見のいい人は、無限に出てくるんです。

例えば自分の人生を振り返っても
学校で、バイト先で、職場で、いろんなイケメンや美人を見てきました。
その彼らが同時に同じ場所に存在していることは少なく、
脳内でどちらがイケメンか、美しいかとトーナメントを行うのですが、
多くの場合は新しい挑戦者に軍配が上がることが多いと思います。
(これは現実世界の話です。私はずっと俳優の誰それが好き、というのとは別です。彼らは天上人で最初からぶっちぎりなんです)

新しい美人さんに出会うたびに、
うわ、こんなかわいい子がいるんだ!と感動すら覚えます。
それはその美人さんに初めて出会うという刺激なんです。

初めて会ってから刺激のある期間を経て、お互いを落ち着いてみられるようになった時、果たしてその美人であることはどれだけの意味を持つのか。

それでもなお、うわ、今日もかわいい!おばあちゃんになったけど
それもまたかわいい!ちゅっちゅ!となるかどうか。

僕は友人が繋いでくれて妻と初めて出会ったとき、
これはわが家では有名な話ですが、あ、顔はクリアだな、と思いました。
(お前もういっぺん鏡見て出直してこいや)

それ以降今日に至るまで、
妻の顔「だけ」を取り上げてかわいい、美人、と思ったことはありません。

それは僕が妻を一緒に生きていくことのパートナーとして選んだからです。お互いが落ち着いて、風のそよぐ草原のような関係になれるように、
どれだけ人間同士としてフィーリングが合うか、それが重要だったんです。愛玩動物じゃないんです、トロフィーでもありません。

お互いに、当然なんですけど、もっと好みの外見の人は世にいるだろうし、妻は僕と似ても似つかない三浦翔平くんが好きです。それでいいんです。

外見は目立つがゆえにその他の人間的な部分を見えなくしてしまうのです。外見が良ければなおさらです。

ですから難しいなと思うのはそのグッドルッキングを一旦横に置いて、
その人の人間性を見る(人間性の良し悪しでなく自分と合うかどうか)を
見極めることなんですよね。

これはなかなか難しいと思うんです。
顔やスタイルに引っ張られるのは、動物的にはジャスティスですからね。

無限に現れるイケメンや美人を、はいここまでとせき止めるのは無理です。

その怒涛のように押し寄せるグッドルッキングを求め続ければ、
結婚というイベントをしようが、子の誕生というスーパービッグコンテンツを経ようが、目移りしちゃうんです。そこが基準だから。

たとえば内面で判断という事なら、なかなか他と比較できないんですよね。時間がかかりますから。ある意味一発勝負的なところはあります。
だけどそこで納得出来たらこれは強いですよ。

外見はきっかけとしては有効なんです。
そのきっかけの段階でふるいがあるのは仕方ないことで、
それは僕らもどうあがいても動物だからです。
そのうえで人間としてどれだけフィーリングが合うかを吟味するのが、
結婚を前提にしたお付き合い期間なんだと思うんです。

繰り返しますが、その吟味の期間でもグッドルッキングがあると難しい。
多少価値観に齟齬があっても、その顔を見ていられるならと思っちゃう。

外見のいい方の側からしたら、相手の認知が自分の顔面の良さによって
歪んでいる可能性がある。これは本当に気の毒。

イケメンと美女は、見れるだけでありがたいものです。

そして、自分がイケメンに生まれなくてラッキーだった。

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