海岸にて

「海岸にて」
 
 とても静かな夜だった。僕と彼女は並んで家の近所の海岸を散歩していた。波の寄せては返すザザーッという音が心地よく耳に響いていた。
「ねえ。」
 と彼女が言った。
「どうしたの?」
 と僕は言った。
「私の秘密を知りたい?」
 そう彼女は言った。
「どんな秘密だろう?」
「そうね、それを知ったら後には引き返すことは出来ないといった種類の秘密よ。」
 彼女はいたずらっぽく言ったが、その目は真剣だった。
「構わないよ。」
 僕は言った。
「たとえどんな種類の秘密だろうと僕にはそれを知る覚悟がある。君がそれを打ち明けてくれるなら、僕はそれを受け止めるつもりでいるよ。」
「ありがとう。」
 彼女はそう言って遠くの方を見つめた。海の向こうにはいくつかの島の影が見えた。
「私ね、実は結婚していたの。」
 彼女は言った。僕はどう言っていいか分からずに話の続きを待った。
「大学を卒業してから、就職をして、そこの職場の人と結婚したの。子どももいるわ。7歳になるはずよ。元気にしているといいんだけど。」
「会ってないの?」
「ええ、子どもが産まれてしばらくしてから彼とは別々に暮らすようになったの。世間の体裁とかを気にする人だったからしばらく籍は残してあったけれどね。子どもと離れるのはつらかったわ。必死になって懇願したの。どうか子どもだけは育てさせてくれって。でもあの人は聞いてくれなかった。あの人は私の頼みなんて何一つ聞いてくれたことは無かったわ。結婚する前はとても優しい人だったんだけれどね。結婚生活は地獄だった。あの人は私の人格というものを全く無視していたわ。毎朝決められた時間に決められた朝食を用意しておかなければ容赦無く彼は私を罵った。泣いても泣いても許してくれなかった。夜は彼がどんなに遅く帰ってきても起きて彼を待っていなければならなかった。一度私が家事で疲れ果てて寝てしまったときなんかは酷かったわね。地獄の蓋を開けたようだったわ。殴られるわ、蹴られるわ、身体中アザだらけになったわよ。病院に行くことすら医者に疑われると困るからって許してもらえなかった。」
 彼女はそこで言葉を区切って海の向こうに目をやった。まるで遠い記憶の影を探すように。

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