小説「予言」

 何かを言葉にしようとするとき、自分のイメージする事柄を完璧にそれに置き換えることは不可能だ。少なくとも僕の場合はということだが。だから僕は真っ白な原稿用紙を目の前に、大海にいかだ一つで放り出されたような気持ちになる。しかし、その不完全さこそが、もっと言うならそれがどのような不完全さを備えているのかということ自体が、僕にしか表現できないものであると言うことも出来るはずだ。回りくどい言い回しになったが要はそう言うことだ。だから僕が今から書く文章が不完全であると感じたとしてもそれは間違いではないし、また、読むのをやめる決定的な要因とならないことを祈る。
 僕がこの文章を書こうという気持ちになったきっかけは彼女の言葉だった。
「ときどき、あなたが何を考えてるのか分からなくなることがあるの。」
 そのとき我々はキッチンのテーブルを挟んでビールを飲んでいた。
「でも勘違いしないでね。」
 彼女は慌てて言った。
「だからあなたを嫌いになったとか、そう言う意味じゃないの。ただ、ときどきあなたが、どこか私の知らないところに行ってしまっているような、そんな気持ちになるときがあるの。そういう感じって分かるかしら。」
 彼女は僕の目を覗き込むように言った。
「分かるよ。」
 僕は言った。
「確かに僕はときどき、君の知らない場所に行ってしまっているのかも知れない。僕の心のどこかには、誰にも知られていない秘密の場所があって、何かあるとスッとそこに身を隠してしまうのかも知れない。それは昔からある傾向なんだ。誰にも知られていないその場所で、物事が過ぎ去ってしまうまでじっとしている。そして何事もなかったかのような顔をして元の場所に、元の自分に帰って来るんだ。」
「そういうのって、いつ頃から始まったことなの?」
「おそらくは小学生ぐらいのときだったと思う。それより前の記憶はあやふやなんだ、僕の場合。ただ、小学生のときあることがあって、それがきっかけで内に籠るような性格になったことだけは確かだ。」
「そのきっかけってどんなことなのかしら?もし差し支えがなければ聞きたいわ。」
 彼女はビールをひと口飲んでから言った。
「大したことじゃ無いんだよ。あれはおそらく小学校3年生ぐらいだったと思う。ウチの学校はお昼に給食を食べ終わったあと、クラスのみんなで担当の場所を決めて掃除をするんだ。そのとき僕の班の担当は校舎の外の掃除だった。そして僕たちは、ほうきとちりとりとを持って校舎の外に出た。最初のうちこそ真面目に掃除をしていたんだけど、そのうちに班の1人の男子がふざけてほうきの先で僕の肩をつついてきたんだ。他愛のないいたずらだよ。だから僕もふざけて追いかけ回した。その子は足の速い子でね。いつも運動会でアンカーを務めるような子だった。だから僕はすぐに置いていかれた。僕が追いかけるのを諦めてしまってからも彼はふざけてそこら中を走り回っていた。そのときに事件は起きたんだ。」

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