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ウイナーメーカー 私を上杉謙信にした英語の恩師

多少の劣化はあるものの、

「英語話せるんですか?」

と聞かれたときに、

「はい、テキトーですけどね。話せますよ。」

と答えられる私。英検は実質2級。大学のときには留学も経験し現地の酔っ払いからも

「オメェの英語すげぇなぁ、ヒック」

と言われるまでに成長しました。

そんな私の英語力は、高校の時の恩師のおかげで培うことができました。今日はそんな私のウィナーメーカーである先生について書きたいと思います。

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高校の話の前に、中学の時の話。

中学のときは英語がすごい苦手で、テストでは30点とか40点とかでした。ま、当時は学年全体の英語力がダメダメだったってのはありましたが、英語は一番の苦手科目でした。

ただでさえ苦手意識があるのに、英語の先生が休みがちで先生が入れ替わり立ち代わりという感じで、正直調子が狂う時期もありました。


で、高校の話。

高校に入ってからというものの、

「なんだか高校の英語の先生、まとも・・・ってか、面白いなぁ。真面目でもあるし。」

と感じつつありました。ひとりの先生が継続して教えてくれるという状況だけでもありがたかったなぁ。

んでんで、ウィナーメーカーの先生と出会ったのは2年生の時の話。

いや、ホントにすごかった。

1時間の授業で全然教科書進まない(笑)1時間使って2ページくらいしか進まなかったときがありまして、それはそれは心配していました。授業の進行具合。

でも、その先生が面白いんですよ。決して教え方が上手とか、大学受験で目を見張る解法を教えてくれるとかじゃないんです。

ただただ、面白いんです。いつだったか、授業中の何かの会話の中で、

「ボ、ボ、ボ、ボクなんて貧弱だよぉ」

なんてワケのわからないことを言っちゃうくらいの人間性。

それでいて、ビートルズ大好き。かくいう私も当時は70年代とか80年代洋楽を聞いていたので、必然的に先生と仲良くなりました。

先生「君はねぇ、そのバンド聞いてるならアトランティックレコードのあのバンドも聞いてみたらいいよぉ。」なんてことも教えてくれました。

なんというか先生というよりか、ずっと年上の英語が得意で趣味が合う親戚のおじさんみたいな感じ。

そうすると不思議なもので、

「この先生が教えてる英語、もっと勉強してえなぁ」とか「自分だけでも高い得点を取って学校での先生の評価あげてあげてぇなぁ」

そんな熱い想いが込み上げてきたのです。

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先生に出会ってからの私はさしずめ連戦連勝を重ねる上杉謙信のように、ぐんぐん成長しテストでは高得点を記録。英語の勉強がもはや楽しいと感じるくらいになりました。

英語以外の授業は寝ていたりもしたけど、英語だけは。。。水泳の授業のあとで生徒の9割が寝ていようが、英語だけはしっかりと受けていました(笑)

3年生になると、しっかりと受験用の別の先生が担当する英語の授業も受けました。これにより、センター試験の過去問では数問しか間違えない、いいときにはケアレスミスで1問しか間違えないくらいの英語力になりました。

英語だけで言えば東大レベルじゃろ!?( ´艸`)

高校の時のこの経験と勉強はとても鮮烈なもので、それは今でも私の中に息づいています。

仕事中も悪態をつくときは英語ですから(笑)

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ウィナーメーカーという単語を聞いたとき、正直にパッとは何も浮かびませんでした。

勉強も仕事もただひたすらに自分と向き合い、ひとりで戦ってきたという自負が無駄にある私ですから。

でも、しっかり思い返してみると高校の恩師の存在はとても大きい。なにをしても鳴かず飛ばずの私に、英語というアルテマウェポンをくれた存在ですから。

先生、マジサンクス。今でも私は先生のおかげで英語が好きです。この前も英語で道案内しましたよ!その外国人の方が助かったのも先生のおかげです。


※期限後の投稿なのでサポートは辞退だ!公務員でもあるし!(´Д⊂ヽ