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10/30〜11/11まで日本中を旅していました。

ちょっと、、いま私に訪れているヒーリングプロセスというものが、何と表現できるのかわからないのだけど

1〜2ヶ月くらい前から
お父さん、お父さん、って内側で言ってて「父を求める強い想い」みたいのがずーーーっとあった。今もある。

それは生物学上の父の着ぐるみを着たその中身のあのお方でもあり
真の父である神への熱望。

なぜこんなにも「お父さん。。。」
って具体的にやってくるのかと思ったら、理由があった。

聖霊が私を納得させるためにこのストーリーを使ったのだ。

今回の人生ストーリーにおいては、父のおかげで時間が相当短縮されてものすごい癒しを受け取らせていただいているのだけど、

実はあの極端なレッスンを通しても通さなくても、すべてが同じレッスンで

この宇宙で出会うすべてと私の関係が、私の父と私の関係と全く同じだったんだよ。という声が私の中から私に語られている。

なぜか毎日何度もあのシーンに戻り「大丈夫だよ、大丈夫だよ、あなたは純粋無垢で愛されてるよ」と、新生児の私の背後から父に向けて愛から語りかけられている。

そのシーンとは、1972年11月父と私との間で現れた。

新生児の私の口に父がガス管を入れてガスを流し込む父の発作的なシーン。(母は私を産む時死にかけたので1ヶ月以上入院していて父が24時間体制で新生児の私の面倒を見なければならなかった)

あの瞬間、父は裁かれておらず愛で包まれていた。

私も攻撃されておらず愛し愛されていた。


この旅の間ずっと、毎日何度も何度も私の心を清い水で洗い流すように

「あの瞬間、ただそれだけが起きていたんだよ。これが真実なんだよ」

と教えるために、実証例として極端なシーンを思い出させられ続けた。

旅が始まった10月30日以降
毎日毎日それが続き、ある日ふとfacebookを見ると「今日の思い出」として9年前の11月7日に私が投稿した記事が表示された。

11/7は父の命日だった。

9年前、臨終間近の知らせを受け取った私は真夜中に250km車を走らせ、その道中で奇跡体験、啓示体験が私の心で起きていった。時に運転をストップする必要があった。

宇宙を呑み込むレベルで「私」は愛されていて、同時に愛していた。
それだけが事実として起きていた。


ここにずっといること
ここから出ないことを「私」は求められている。

父や父の命日、父との極端なストーリーを用いて聖霊は「私」に語りかける。

いま私が感じているのは
もうそろそろ、自分と聖霊との間で決められたあの約束について腹を括らねばならないのだろう。
という深部の寒気や深部のこわばり。

そしてサレンダーだけが私に残された選択肢という感覚。

さらにコントロールをやめていって
さらに妥協をやめないと、私は生命を感じれなくなるんだ。という潔さのようなものを感じる。

昨日、旅の最後に到着した山中湖は私と両親との思い出の場所だった。

小学生のころ山中湖とその周りの紅葉をスケッチするために、キャンプをするために毎年来ていた場所。父や母と面白い形の自転車をレンタルして毎年サイクリングした場所。

昨日は仮眠する予定だった時間に寝れなくて「山中湖畔で日向ぼっこしながら、つぶやき動画でも撮るか」と思っていたら、撮影は一日で十分だね。という話しになって急遽帰宅することになったので自撮り写真だけ撮ったのだった。



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