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渡邉理佐の卒業で欅坂46に思いを馳せる

渡邉理佐が櫻坂46を卒業した。
5月22日、彼女の卒業コンサートの千秋楽のために代々木第一体育館へ足を運んでようやく、じんわりと実感が湧いてきた。会場を見上げると、彼女の晴れ舞台にふさわしい晴天があった。

もともとこのnoteはコンサートのセットリストと共にいかにコンサートが素晴らしいものであったかを記録しようと思って書き始めたのだが、それ以上に溢れる想いがあり、書きながらテーマを変更することにした。私は彼女のコンサートを通して櫻坂46、そして欅坂46についての想いを書き残しておきたい。

私と櫻坂46の前身である欅坂46との出会いは2015年の秋。当時好きだった乃木坂46の妹グループとして結成された欅坂の冠番組を見始めたことがきっかけだ。デビュー前の「何者かになろうとしている」初々しい姿を見て応援したいと思った。アイドルとしての未来への不安と期待、希望、焦り、いろんな感情が入り混じっているのが視聴者側からもわかり、なんとも言えない尊さに胸が震えたのを覚えている。

欅坂がデビューを果たしたのは2016年4月6日、それは私が社会人としての生活を開始したのと同じタイミングだった。新しい世界へと羽ばたく自分と彼女たちの姿を重ねた。職場へ配属される前夜、そして当日の朝に緊張で震えている自分を支えてくれた「サイレントマジョリティー」、仕事にも少しずつ慣れわくわくが溢れていた夏の時期に聴いていた「世界には愛しかない」、同期と将来について語り合った秋によく部屋でかけていた「二人セゾン」と、私の新しい生活にはずっと欅坂がいた。ここに記載していないカップリング曲も何度も何度も繰り返し聴き、ライブや握手会にも足繁く通った。彼女たちは私の生活の一部であり、友達のような存在でもあり、心の支えでもあった。

しかし、デビューから1年経ってリリースされた4枚目シングル「不協和音」の活動のあたりから暗雲が立ち込め始める。いや、既に不安な音はしていたのだが、一気に可視化できるようになったのがこの頃と言った方が正しい。圧倒的センターの平手友梨奈の不調(この言葉が適切ではないと思うが、かと言って別の言葉でも表現できない)や不在、メンバーの卒業、音楽活動が満足にできない期間…長く暗い道のりが始まった。

周りの人たちから欅坂のことについて「病んでいるの?」「正常ではない」と言われた。「たかがアイドルなのにアーティストを気取っている」「不気味だ」そんな言葉もネット上に散見された。彼女たちの葛藤や苦しみを誰も知らないのに、それはファンも含めて誰も、知らないのになんでそんなことが言えるのだろうか。どんなにファンとしてグループのことを想っていても結局は何も力になれないし、本当のところ何も理解できていないと思うと、そういった心無い言葉に対して怒る資格があるのかすらわからなかった。よくアイドルが口にする「ファンの皆様のおかげで…」という言葉は、自分の存在によって紡がれることはあるのだろうかと、そんなことを考えていた。無力だった。

「僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46」という映画が公開されたのは欅坂が解散すると発表のあった2020年8月のことだ。絶対的エースの平手友梨奈を失って、今度は欅坂が消滅する。私は迷わず劇場に足を運び、結局劇場で2回見た。これはあくまでドキュメンタリー映画であって、欅坂の顔である平手も不在。登場人物も限られているので「嘘と真実」だと謳いながら結局真実なんていうものは当の本人たちにしかわからないことである。本作品を手がけた高橋監督も、「これはドキュメンタリーでありフィクションである。視聴者は自分なりの真実を見つけてほしい」とメッセージを送っていたので、この映画が何かを暴露する目的で作られていないことは明確だ。

なので、監督の言葉通り遠慮なく私なりの真実を書かせてもらう。

映画の内容は正直知っていたことや予想の範囲内のものが多かったが、最も驚いたのはメンバーの平手に対する思いだった。正直、今まで平手一強で平手なしだと総崩れする欅坂をもどかしく思っていた部分があったが、それは一般的に考えられている依存だけではなく、献身があったからだと知った時、重要な何かを見落としていたと思った。

デビューしたてのアイドルはまずセンターの顔を世間に覚えてもらう戦略として平手を全面的にプッシュした運営は間違ってなかったと思うが、あまりに平手の才能が飛び抜けていたことにより彼女が神格化されつつあった。そんな中で「平手なしでは何もできない」のではなく、「平手がいければ欅坂ではない」とメンバー自身が本気で思っていた事実は思ってもみなかった。特に守屋の「自分たちはバックダンサー」という言葉は衝撃的だったが、圧倒的な表現力を持つ平手が欅坂の正解であり象徴になったことで、もちろん依存してたところもあったと思うものの、メンバーは欅坂と平手のために自分たちを捧げてた部分があったのだと思う。

もちろん、平手に全て捧げるべきだと全員が思っていたわけではないのは理解している。菅井はキャプテンとして他のメンバーも魅力的だと世間に見せたいと苦悩していたし、平手を押しのけて本気でセンターを獲りたいと思っているメンバーもいた。ただ、やはり欅坂では誰も平手を超えられないことが明確になったのが5枚目シングル「ガラスを割れ」だったように思う。体調不良で活動ができない平手の代理でダブルセンターを務めた歌唱力抜群のゆいちゃんずこと小林と今泉のパフォーマンスは圧巻であり評判もよかった。ただ、この楽曲の活動を終えてもセンターは平手であり続けた。小林は平手を尊敬するが完全に後ろに隠れるのは違うと思っていて、今泉はセンターになりたいと雑誌の取材などで公言していた。結果として、今泉は欅坂ではセンターになれないと悟りグループを離れた。今泉と同じように、グループにおける自分の存在価値を問うたり、活動がままならない苦しさが原因で卒業したメンバーもいるだろう。

ただ、小林は欅坂に残り、次期センターの最有力候補と言われるまでの存在感を放つ存在となった。
そして、平手が去った欅坂として最後に発表した「誰がその鐘を鳴らすのか?」ではセンターポジションは存在しないものの、小林を中心に展開される曲となる。この曲の構成で小林の他に軸となっていたのはキャプテンの菅井、副キャプテンの守屋、そして渡邉理佐だ。理佐は表題曲のフォーメーションでは何度も平手と並んでフロントを経験したまごうことなき主要メンバーである。この4人がいかに欅坂で重要な役割を担っていたかがわかる。

結果として櫻坂が新しく誕生し、イメージを一新するためにセンターは2期生の森田が抜擢されたが、その後ろのポジションは小林と理佐。これまでに発表された櫻坂の4つの表題曲全てにおいてセンターは2期生で、その中で変化はあれど、センターの後ろにいる小林と理佐の2人の配置は変わらなかった。経験の浅いセンターの2期生を支える絶対的ツートップだった。

そして時は現在に戻る。
櫻坂の曲を数曲披露したのちに静まり返った会場が緑色の光に包まれ、ステージのバックスクリーンその光で大きな木が映し出されたのを見たとき、まさかと思った。そして、「二人セゾン」のイントロが流れた瞬間、自分でも驚くほど涙が溢れてきた。ステージライトに照らされ1期生の姿が浮かび上がる。9名。欅坂46結成時は21人だったメンバーは3分の1になった。
櫻坂46が結成されてから1年半、欅坂46時代の曲は永遠に封印されたものだと思っていたのに、その曲が会場で流れた時、他の曲とは比べ物にならないほどその音を地面から全身に感じた。

二人セゾンは数人ずつが前に出てくる振りがあるが、それぞれがほぼ1人ずつになっていた。欅の木をイメージしてメンバーが重なり合って手を伸ばすポーズも、人数が少なく少し寂しさがあったが、それ以上に今までの7年間の長い時間、グループを支え続けたメンバーたちの力強さや頼もしさを感じ、それが柔らかいトーンの曲と相まって感動はピークに達していた。

アンコール後の卒業セレモニーで理佐がスピーチで「苦しいことや悲しいこともあった」と口にした時、涙で言葉を詰まらせていた。今までのグループの歴史を見ていた人には想像に容易い。

でもやっぱり、暗くて長い道のりがあったけれど、私は欅坂が本当に好きだった。

私がこの映画を2回も見たのは、自分が最も魅せられていた時のもう存在しない欅坂46がそこにあったからだ。メッセージ性の強い曲、自分が可愛くあろうなんて1ミリも考えていないであろう激しいダンスと集中力、1人のアイドルではなく表現者のチームとして全員が命を削るようにパフォーマンスをしていた。全員が必死で、切実で、魂で踊っていた。もしかしたらその不安定さも含めて強く惹きつけられていたのかもしれない。

その表現力を引き継いだ櫻坂をもちろん変わらず応援しているし、初めの欅坂を形作り、困難な時期を乗り越えた1期生は特に思い入れが強い。
だから、そんな彼女たちには感謝が止まらず、櫻坂にいても卒業してもずっと幸せでいてほしい。

そんな気持ちだけを残す、卒業コンサートだった。

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