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旅立ちの朝


 札幌での会議中、前任教会のある信徒の訃報が知らされた。80歳を超えてのお一人暮らしで、ここ7年ほどは体調が振るわず、教会でお会いすることは少なかった。

時折お宅を訪ねると、それまで横になっていたにも関わらず、スッと起きあがり、話をするうちに顔色が良くなり、声にも張りが出た。

熱意のこもった話を聞いていると、3時間、4時間経過していることがよくあった。そして、体調が思うようにならず、教会に行けないのが残念だと言い続けていた。


 この方の一日は、毎朝4時には起床し、身体を洗い清めて髪を整え、身支度もきちんと調えて、祈ることから始まった。時にはこれだけだったこともあったし、入院中もこの日課は出来る限り守られた。

「どんなに体調が悪くても、神様は、これだけは自分にさせて下さる。」

と言っておられたのが思い出される。

この方が教会の門をくぐった日から、家族のため、教会のため、信徒のため、牧師のために捧げられていた祈りによって、確かに支えらていたと思われることも少なくなかった。


 会議が済むと、この方の納棺の式に立ち会うことにして、ご遺族と合流した。ご遺族と牧師で葬儀の打合せが行われ、隣の部屋では納棺の準備が始まった。ここに納棺師として現れたのは、これまた教会の信徒で、確か私と同じ年頃の女性であった。

偶然の巡り合わせに驚いたが、神様と共に生きたこの方を天国に送り出す支度を手伝うために、神様がお計らい下さったことなのだろう。

「葬儀の時に着る服」と書かれた箱には、一度教会でお見かけした覚えのある服と、真新しい下着や靴下が丁寧に揃えられており、櫛と鼈甲のかんざしも準備してあった。

それらは、命の最後を繰り返し感じながら生きてきたこの方が、天国で神様にお会いする時のために整えた支度であり、それらで身支度をして神様のみ前に出ることが、最後の願いだったと思えた。

納棺師の彼女が支度を進める間、私はこの方の信仰生活の断片を語っていた。葬儀の打合せが終わり、納棺の式が始まる頃、静かに横たえられた姿には、いつものこの方らしさが感じられた。

髪も、衣服も、手の先、足の先までも、全ての支度が整えられて棺にお納めしたとき、この方の最後の願いが遂げられた安堵の念が満ちた。

 翌朝ごく早く、旭川への帰路に付いた私の頭上に、北へ帰る白鳥の群が鳴き声を交わして飛んでいた。優雅で力強いその姿に、天国への旅が重なった。

「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
(ヨブ記 1章21節)

2009年 4月 聖公会新聞

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