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祈りと乳癌

私は、乳癌で4回手術している。左乳癌全摘出。なんとなく触っていたら痛くないコリコリしたシコリがあり、内科に行ったらそのまま大きな病院へ転院した。
1回目はあまり怖くなかった。「取ればいいんだ!」とよく調べもせず、家族の付き添いもなく、独り手術の説明をぼんやり聞いていた。ステージ3なのに、まるで他人事で聞いていた。誰も一緒に来ていない事に病院側が驚いていた。「普通、家族が来るんだ!」大きな病気をした事のない我が家は戸惑った、ほんのり寂しかったけれど大泣きはしなかった。癌は手術後の検査や治療の方がずっと辛かった。

2回目に転移が見つかった時は局所麻酔で採った後に放射線治療とホルモン剤と軽い抗がん剤の治療をした。放射線治療は毎日学校のように、同じ時間平日に通わないといけない。私は、行き帰りの道に咲くバラのひとつひとつに励まされながら放射線治療を乗り越えた。バラがマリア様とイエス様の励ましに見えた。とても心の支えになり「おはよう」と毎日心の中で挨拶をして通った。

3回目の再発には、とことん落ち込んだ。あんなにお金も時間もかかって治療したのに、左のリンパ節を丸ごと取る事になった。骨に転移していたら治療の方法は無いとはっきり言われた。その日は、母と治療計画について聞いていたが、帰りに食べた、駅ビルのとっても美味しそうなカレーの味が1ミリもしなかった事に、私は驚いた。そのくらい私は動揺していたり不安になったりしていた事にカレーに教えてもらった。これ以上何にたよればいい?と思う自分がいて、後は頭の中が真っ白だった。

そして、骨の転移を調べる時の検査室は、薄暗く音楽は悲しげなオルゴールが流れて、一人一人パーテーションで隣の人が見えないようになっていた。壁も全面グレーで、まるで生死を分ける審判を待つ部屋のようだった。私は、リクライニングチェアに座りながら色々な事を思い出して泣いてしまった。まだ転移が決定した訳ではないのだが、不安でいっぱいになってしまった。「あの人にもあの人にも、もっと優しく出来たな。みんなに恩返しできたはずなのに、どうしてこうなったんだろう。もっとごめんねとかありがとう。とか言えたはずだ。」その想いがいっぱいになった。

ある知人が「自分の事以外を本気で祈っている人なんていない!」と断言した人がいたのを思い出した。私は「そんな事無い!」と強く言い返した。

私は、周りの人一人一人を思い出して泣いた。大泣きした。生きてきて、素晴らしいご縁でお会いし、迷惑をかけたり、助け合ったり、助けられたり、憧れたり、愛したり、色々な人の顔がどんどん浮かんで、死ぬ前に走馬灯を見るというのは、こういう事なのかと自然に頭に浮かぶ想いやビジョンに涙が止まらなかった。

…でも、結果は骨に転移は無く、私の本当の走馬灯は、まだしばらく後になりそうで、良かった。

その後、全身麻酔の手術と髪の毛が抜けてしまうほどの抗がん剤の治療を受けた。丸坊主でさえ吐きそうになりながらも楽しんで生きた。足が浮腫んだらスイカを食べるといいよ(びっくりするほど足が浮腫みます)と様々なアドバイスを教えてくれるSNSで繋がった親切な人たちもいらしたし、とっても仲良くさせていただいているリフレクソロジーの先生にも会えた。一気にご縁が広がった。病気のお陰だ。有難い!

ちなみに今は、もう半年に一度の診察で寛解に近い。

いただいた命、いただいた時間、どう使おうか、たくさん考え、絵で個展を開いてみたり、歌を人前で歌ったりした。またすぐ死んでしまうのではと思ってしまう癖がついていて、体力以上に動いた。楽しかったが軽い燃え尽き症候群にもなった。

最近は、必死になって生き急ぐ事を手放せるようになった。

怖いものが無いと言ったら嘘だが、この経験と私の左胸のシリコンは私の勲章だと思う。

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