カバードアグレッションに無防備な私達

カバードアグレッション、善人のフリをして、人を自分の有利の為に貶める人の事です
彼らとは、関わらない事が推奨されています

ですが、関わらない、触れない事を選択することが正しいのは個人間だけの話です

もし、それが世の中で横行したカバードアグレッションに対して、誰もカウンターを決められないのなら
良き人、まともな人が常に肩身を狭くしたり、どこにも行けなくなるのでは無いでしょうか?

僕の交友関係の中には、そういう被害に遭う方は多いように感じます
そもそも、カバードアグレッションは、目上の人物に好かれやすい傾向があります

なので、組織の中で良い立場を得ている事が多いです
そんな彼らを咎める事に成功した例は、聞いた事無い上に、誰も探ろうとしません

まあ…探るだけ、手痛い目に遭うのは探った本人になるのは間違いないでしょう

ですが、僕目線ではどうしてそんなあからさまな態度や、嘘が分からないのか…?と不思議でなりません

僕には、僕の事を優先して他人を否定することのある恋人が居ますが
度々その否定を咎める事が多いです
「俺にも悪いところはあるよ」と言ってなだめます

恋人はカバードアグレッションでは無いと思いますが、僕の事になると冷静でない時があるので…

僕が思ったのは、どうしてそんな差があるのか…
カバードアグレッションのヨイショに抵抗出来ない理由を考える事があるのです

おそらくそれは、「孤独」です

孤独であるならば、人との繋がりを求めます
人との繋がりを求める中で、自身を肯定してくれる人を大切にします
そしてその肯定してくれる人が、多少おかしな所があっても、気にしなくなったり、手を貸せば穏便に済むと勘違いしてしまいます

そうして、人を傷つける部下を野放しにしてしまいます

僕が思う解決策はただの一例で、他にも複数の要因があり、カバードアグレッションが動きやすい環境が出来上がっているように感じます

なので、これは多くの人が考え、向き合う必要のある事だと考えています

だって、上に迎合し、好感度を稼ぎ、人を蹴落とす言い訳とか、嘘を並べる
僕は、それを政治家に似たものを感じるのです

カバードアグレッションが上手くいく世の中なら…
彼らが成功した果てに、どこに行き着くのでしょう?
それは、あらゆる人々の上に、居るのでは無いでしょうか?
でしたら、社長や管理職、利権や政治家の中に、彼らは居るのでは?

それも、矢面に立たぬ、目立たない形で、当たり障りない仕事を、そつなくこなしている可能性があります

カバードアグレッションには、真がありません
それゆえ、上がるところまで上がってしまうと、嘘にボロが出ます

彼らはそれも気をつけているでしょう
そつなく無難、でも通せる我欲は通す
そのうち増長し、調子に乗って非道な行いをする
〇っぐ〇ーたーかな?増〇メガ〇かな?

あれは矢面に引きずり出されましたが、そうでない上手い連中がどれほど隠れている事か

そしてそれを後押しするのは、横の繋がりが薄い、孤独を感じている者と、縦の繋がりの孤独から、人を認めたいと思う気持ちが原因になるのでは無いでしょうか?

カバードアグレッションの栄養が、他者の孤独であるのならば
このネットが進み、匿名化が進み、薄い繋がりが多くなった昨今
一体どれほどの人間関係を解体し、人を傷つけ甘い汁を啜っているのでしょうか?

人は繋がるべきです
その繋がりが強固である程、腹を割って話せる、真のある信頼であればあるほど、カバードアグレッションがおかしな事を言っている事は浮き彫りになります

だから、人は腹を割って真に仲良くなるべきです
薄味な関係に満足していたら真贋見極める感覚は鈍っていきます
そして政治腐敗、会社腐敗、社会腐敗に繋がりかねません

人を思う情こそ、社会を繋いできた人間の武器である
僕は、そう思います

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